ある文芸作品の終わり

日帰りの忙しい出張の合間をぬって、僕は地方の寂れた街をふらついて一件の古びた古本屋に立ち寄った。
そこは未だに平成の匂いを引きずっているような寂れた店で、その店の過ごして来た年月をそのまま示すかのようにあちこちに未整理の本が山のように積まれ、都心ではもはや決して見かける事のない旧世紀の匂いを残したまま朽ちているような店だった。レジにはニット帽を深く被った老人が一人、静かに蹲って小さく寝息を立てている。薄汚れたセーターの上にこれまたほつれの目立つジャンパーを着込んで体全体が膨れているように見えた。老人は僕が店内に入って来た事にも気がつかないまま、もう何百年もそうしていたように、北国の冷たい空気にひび割れたその口元を僅かに緩ませて息をしている。
つい僕は妙な気を使う気になり、年老いた店主を気遣うようにそろそろと店内の本を見て回り始めた。こうした店には遥か昔に絶版になってしまった稀覯本などがまれに埋もれている事があり、僕は旅先でこうした店に訪れる事を趣味にしていた。
ふと目をやると、小さな黒塗りの本が見つかった。明らかに旧世紀の本である事を示すかのように製本技術も低く、また印刷の出来も良くはなかった。茶色がかった帯が当時のまま残っており、幾つかの宣伝文句が並べられている。タイトルに目をやると「少女七竈と七人の可愛そうな大人」とあった。作者は桜庭一樹という人物のようだ。僕も名前だけは聞いた事がある作家だった。中を開いてみて見ると、どうやらこの本はこの古本屋と同じように寒い北国を舞台にした美しい少女と少年の心の交流と、醜い大人達の暮らしの侘しさと愛憎を描いた本のようだった。ふむ、悪くない。僕は思った。
「その本はな、その昔ライトノベル作家だったその作者の出世作となった本なんだよ」
しわがれた声に驚いて僕が振り返ると、いつの間にかレジの老人が目を覚ましていて、こちらをその深く落窪んだ目でじっ、と見つめていた。僕が何も言わずにいると、老人はまるでため息のように言葉をゆっくりと紡ぎ出した。
「そう、ライトノベルラノベだ。おまえさん、聞いた事があるかい」
僕は首を横に振った。老人は今度は確かにため息をついた。
「昔はな、ライトノベルと呼ばれる本の分野があったんだ。若者向けの冒険や恋愛や、ありえないような奇跡を扱った、そう、夢のような本の分野だ。若者達はそうした本の中の夢や希望を貪るように読みあさったもんさ」老人は言った。
「しかし、しかしな。ライトノベルではメジャー作家になれなかったのだ。どんなに売れても作家は名声やら名誉を手に入れる事は出来ず、そして印税も大した額にはならなかった。作家達は貧困に喘ぎながら作品を生み出す事にうんざりとして、優れた作家達はみな一般文芸作品を書くようになり、才能の無い者はいつしか消えて行き、そうしてライトノベルと呼ばれる分野はいつの間にか姿を消してしまった」
僕は何も言わずに、老人が次の言葉を吐くのを待った。老人はしょぼくれた目で遠くを見るようにして先を続けた。
「その本の作家もな、昔は、そう、『GOSICK―ゴシック (富士見ミステリー文庫)』というシリーズや、『荒野の恋〈第1部〉catch the tail (ファミ通文庫)』といった名作を生み出していた作家なのだよ。しかし、その本の人気が出たのを境に、ライトノベルを殆ど書かなくなっちまったんだ。両方とも、とても……とても素晴らしく瑞々しい感性が散りばめられたシリーズだったんだ。しかし、しかしな、結局、どちらのシリーズも完結せんかった。私は、私はね、桜庭一樹がもしそのシリーズを捨てずにいてくれたら、ヴィクトリカや久城はどんな結末を迎えただろうか、荒野はどんな大人になっただろうかと、未だに、この歳になっても思い描く事があるのだよ……」
老人の声は、既に死んでしまった思い人に話しかけるように悲しみと――郷愁のような物に満ちていた。そして、もはや心はこの時間にないのだろう、独り言のように小さく「ホロかわいいよホロ」だとか「最高のツンデレは蛍だよ。なあ」などと、よく分からない言葉を口にしていた。僕は手に持っていた本を静かにもとあった場所に戻すと、老人から目をそらすようにして店を出た。
北国の寒さが首元から忍び込んで、僕は身を竦ませた。僕も本が好きだが、この店の老人のようになりたくはなかった。あの老人は「ライトノベル」という昔あった本の分野が溶け残る雪のように消えて行ったのを追いかけるように、こうして寂れた店の奥でゆっくりくすぶる情熱が消えるのを待ち続けて行くのだろうか。僕はあんな風に燃え残りのような余生は送りたくないな、そう幽かに思った。




地元の小さな書店で平済みになっていた「少女七竃と七人の可愛そうな大人」を見た時の私の心境を書くとこんな感じです。ラノベ作家の皆様、今後とも何卒よろしくお願い致します(じゃないと私が上記の老人のような老後をむかえる事になります)。