なんとなくキャラメイク考察

訳が分からないから2つに分けてみた

ラノベヒロインに個人的にお願いしたい事のラストで出て来た

幻想(恋いこがれる)する余地を多く残したキャラクターを作ろうとしたら、なんだか逆説的になりますが、性的、人間的な要素を多く削り落として描写して行く必要があるという事になるんですかね。

ですが、

  • ライトノベル(一般の小説もそうですが)のキャラに対する愛着というのは、恐らく半分以上は読者の脳内において発生した幻想であって、作者は読者に対してキャラクターについての「欠落のある情報を程よく作って」読者に対して「幻想のきっかけ」を上手に与える努力をしなければならないという事でもあります。それが足りないキャラクターは、読者の頭の中で一人で踊りだす事が出来ません。

ですので、妄想系作品としてより高みを目指すのであれば、

  • 作者によるキャラの描写は「絵画」「粘土細工」の様に「足して行く」芸術ではなくて、彫刻の様に「(幻想するのに)余計なものを削り落として行き」「そして決められた外殻の中をきっちりと埋めて行く」作業を行う必要がある。

という事になります。
もちろん、「足して行く」作業でキャラクターが作れないという事は無いと思いますが、その場合書けば書く程キャラクターに破綻が発生する可能性が増して行く事になるでしょう。それは最低限必要なリアリティが失われて行くという事に繋がります。キャラクターの成長物語というのは「足している」ように見えますが、あらかじめ「到達地点(外殻)」を決めた上での「荒削り」なだけでしょうね。無駄をそぎ落として完成するのであれば、やはりそれは「引き算」ですね。

例えば長門有希

上記のリンク先のエントリのリストに長門有希が入っていますが、彼女は上の理屈で考えてみると「人間的な要素」「性的な要素」ともにかなりの部分まで剥奪された極端なキャラクターという事になりますね。しかしそれ故に読者に取っては「人間的な意味でも」「性的な意味でも」妄想、幻想する余地が大量に残されている・・・そしてその「ヒント」だけが作品中に大量にちりばめられているという結論に達しそうです。
長門は幻想する(出来る)読者にとって「大人しい女の子」にも「実は嫉妬深い女の子」にも「実は家庭的な女の子」にも「実はえっちな女の子」にも「実は怖い女の子」にも「実は過激な女の子」にもなる余地が残っているのです。
つまり「恋(幻想)」する対象としての可能性を多く持っている。それ故の長門人気なのかも知れません(そう言えば同系列の綾波レイも同じような感じですね)。妄想力に優れたオタク受けするのもうなずけます。
そう考えてみると・・・長門の魅力って「ミロのヴィーナス」的な所があるんですね・・・。未完成故の魅力ですか。

例えば朝比奈みくる

逆に単純に性的な意味合いで幻想する余地を多く残したキャラクターを作り出すには、何となく逆説的ですが、キャラから比較的多めに性的な要素を削り落として、かつ人間的な側面を普通に描写すれば良いと言う事になります。
例えば朝比奈みくるが「体を張って頑張っているのに」意外に人気がないのは、上記の理論からすると性的な要素を(敢えて)余計に強く持たされしまっていて、かつ人間的な要素をかなり残しているため性的にも人間的にも妄想の余地がないのでしょうね。彼女には単純に性的な側面を見る事で欲情する事はできても恋する事は難しい。
そういう意味では性的な方面の妄想の余地を残した「鶴屋さん」の方に人気が出てしまうのは分かる様な気がします。夢(恋心)を持つ(持たせる)ためには隠す部分が必要だって事ですかね・・・昔のアイドルの様に。
みくるというキャラはつまり、自分にとってだけの「可愛い彼女の姿」を妄想する余地が少ないのですね。少なくとも幻想する余地が長門より少ない・・・という事になるのでしょう。妄想力に優れたオタクにはちょっとつまらないキャラクターとなりそうです。

ついでにオマケのハルヒ

じゃあハルヒは? となりそうですが彼女は長門には及ばないものの人間的な意味合いで多く幻想する余地を残したキャラクターですかね。キャラクターを表現する段階で「かなり極端な人間性の削り取り」をやらかしている関係で、長門までとは言わないまでも、みくるよりは幻想の余地を多く残しているのでしょう。
「考えている事が素直に出てこないので分からない」=「幻想の余地」この辺りはハルヒだけでなくいわゆるツンデレキャラクターには全て当てはまりますかね。ツンデレという分野そのものが読者の妄想力によって支えられている分野といっても過言ではないのでしょう。

上記エントリのリストを元に上記の内容を加えて改変してみます

キャラ名 彫刻で例えると
ルイズ 意外にしっかりと削りだしはされているけどかなりとんがった作りの女性像ですかね。好みが人によって別れそうです。
シエスタ 細部までエロティックかつ良妻賢母として作り込まれた女性像でしょうか。メイド服の女性像です。
鴉木メイゼル 削りだしはされているけどかなり危ない方向に作りこまれたの女性像ですかね。少女ですがムチを持ってます。
九鳳院紫 子供として削り出されていますが、女性的な姿も重なっているようです。しかし未だ未完成で、荒削りな印象は拭えません、しかしそれが現時点での魅力となっています。
崩月夕乃 妻として、姉として、あるいは強い女性としてのイメージを強く持たされて作られているほぼ完成した女性像です。
神裂火織 女としての清純さと肉感的なエロティックさが相反するように敢えて強調されて作られた彫刻です。見た人はその精神面での処女性の現れと、それに反する肉体のギャップに落差を感じるでしょう。
オルソラ 宗教者としての要素と女性としての肉感的な部分が同居するようにして完成している彫刻です。ある意味において神裂火織像と近いイメージを持つかも知れませんが、母性的な要素も持った像と言えるかも知れません。
長門有希 殆どまだ削りだされていないのですが、特徴的な部分はしっかりと削りだされている女性像と言えます。不明で欠落した部分は多いのですが、大枠はちゃんとあるので想像はできます。
新庄・運切 複数の要素が複雑に重なっている状態で、かつ制作途中の女性像です。
アリシア・新井 女性としての強さとエロティックさを全面に押し出されて作られた女性像ですね。完成品と言ってよい像でしょう。

こう考えるとキャラクターメイキングって、大変な作業ですね・・・。

参考

ハルヒ 削りだしはされているけど前衛芸術的で理解に苦しむ女性像ですかね。二面性を持っていて、見た人はその一面しか見る事が出来ません。
みくる エロティックな部分を特に強調して細部までに作り込まれた女性像でしょうか。結構細部にわたって削りだされており、ある意味においては現時点で完成しています。
ヴィクトリカ 可愛らしさ、か弱さ、知性などをしっかりとした形で表現するように作り込まれている彫刻です。ただし久城一弥という少年像が一緒に彫り上げられています。

なんだかなー

欲望丸出しのエントリになるはずが、最終的に2つに分けた挙げ句、こんな事になってしまった・・・。一体何が書きたかったのか訳が分からなくなるのはいつもの事ですが、途中からキャラクター論とか、自己幻想論とか対幻想とかの世界の話になっていってしまいました。俺は脳がちょっとアレなんだな・・・コレを見ているサイト持ちの皆さん、良ければ同じ様な事を教えて下さい。
「そんなもん公開すんのはテメエだけだあああ!!」という大合唱が聞こえてきそうですけど・・・。
それより何より、意味不明に陥っていないだろうか? この二つのエントリ・・・。