えぐり魔じゃないですけど

嫌な事件が多いですね・・・。

人を殺したり、犯したり、放火したり、盗んだり。
ニュースになっているものだけでも沢山あるというのに、ニュース以前の事件やら、公になっていない事件を含めたら一体どれだけの犯罪が起きて、どれだけの人間が泣いているんでしょうね。考えるだけで嫌になります。
そして定期的に「漫画の影響だ」とか「ビデオの残虐描写が」「ゲーム脳が」とか報道しているマスコミを見ていると”この世の全ての悪”みたいな都合の良い存在を探し続け、まさに作り出そうとしている愚かな存在の様に見えて仕方がありません。

同時に

「政治を馬鹿にする社会には、馬鹿にされるような政治しか生まれない」といった内容の言葉が何処かにあった事も思い出します。政治をマスコミに置き換えると、つまり現在の腐り切ったマスコミを作り出したのは視聴者である我々全員に原因があるという事になるのでしょうか。

しかし僕は

「ここにいる我々全員に責任がある」という言葉に潜む「責任逃れ」の意識すら思い出します。やはり責任は誰かが取らなければならないのか? じゃあ誰が、何が、どこが、いけないのか? どこで間違っているのか? ・・・いつの間にか犯人探しに戻ってしまっている自分に気がつきます。そして、ああ、この醜さはマスコミの醜さそのままではないかと気がついて、呆然とします。
社会に満ちているこの醜さは自分自身のものだ。僕が憎んでいるのは自分自身が投影された影に過ぎないのだと。

結局

マスコミに限らず、僕にとって今の所あらゆる社会組織は全く信用するに値していません。
しかし僕はそこに属して社会を利用し、利用さなければ生きて行く事が出来ません。寄生虫のような生き物であってもその社会の一部を構成せざるを得ません。
だから結果として・・・その社会組織の一部を構成する自分すら信じるには値しなくなります・・・いもしない「誰か」に向かって僕が投げかけた呪いは一巡して自分の所まで戻ってきて、自分を信じられなくしてくれました。
じゃあ何を信じましょうか? どうやって自分を正当化しましょうか? 何を理由にこれから戦って、他の人を傷つける事を良しとして、奪い合いが基本のこの世界で、どうやって生きていきましょうか? 


薄っぺらい言葉だけの未来?
誰かを傷つけずにはおかない夢?
決して信じる事の出来ない愛?
簡単に崩れかねない友情?
ダタで転がっているはずもない希望?


――本当は誰かが僕をぎゅっと暖かく抱きしめてくれて、「大丈夫だよ……」って耳元で優しく祝福してくれればきっとそれだけで僕の世界は何もかもが、本当に何もかもが良くなるはずなのに。