荒野の恋

荒野の恋〈第1部〉catch the tail (ファミ通文庫)

荒野の恋〈第1部〉catch the tail (ファミ通文庫)

ストーリー

山野内荒野・12歳。恋愛小説家の父をもつ、今年中学生になった少女。その少女の視点から語られる「恋のしっぽ」をつかまえるお話。
恋ってなんだろう? 大人になるってどういうことだろう? 荒野は薄もやの中を手探りで進んで行く。
瑞々しい少女の世界をそのまま描き出した作品。

説明が困難ですけど

非常に素敵なお話ですね。
少女特有の問題から失敗して、羞恥心のために、

「尼になろうかとおもう」

いえ、つまり生理用品を持っているところをちょっと気になっている少年に見られてしまっただけなんですけどね。他にも独特で切り込むような印象を与えてくれる言葉が荒野の口を借りて沢山出てきます。

からだの変化は、本人の了承なしにとつぜん始まって、終了するまで待ったなしに続くのだ……

私は男なんでいわゆる「からだの変化」なんてものを味わった事が無いので、なにやらこういう少女特有の感想をしみじみ語られると奇妙にドキッとするような感じがします。それは少女という「女性のほんの一瞬のきらめくような瞬間」に目が眩むからなのかもしれませんし、あるいは物語から現実に立ち返った時に「女性というだけで、男には決して分からない何かを抱え持っているんだな」とか思ったりするせいでしょうか。

ところで

荒野という少女はいわゆる何かの分野に押し込める事が出来るような少女ではないですね。例えばこんなやり取りがあります。

(なんだか、いい匂いがする)
荒野はそう思って、顔を近づけて、くんくん鼻をうごめかしてみる。
神無月くんが、飛び上がった。
「なにしてる!」
「に……匂いをかいでる」
「犬か、おまえは」
「いい匂いがする」
「ど、どんな?」
神無月くんは不安そうに聞いてきた。
「どうって……日なたっぽい匂いかな。あと、ちょっと汗」
「汗ぇ!?」
「いい匂い」

……なんだか大胆なんだか、女っぽいんだか、子供なんだか(子供なんでしょうけど)はっきりと分からないけど奇妙な妖精のように子供と大人の間を浮遊するイメージ。やっぱり「少女」としか言いようがないですね。

荒野の世界

荒野の父親は恋愛小説家で、愛人を沢山作っては捨ててしまうような、そんな父親。
荒野と関係のないところで父は女を作り、荒野の世界に不思議な影を落とします。荒野の父を知る上に出て来た神無月くんは荒野の父をこんな風に評します。

「小説もきっと、ハングリー・アートなんだよ。あの人はきっと、恋愛小説を書き続けるために、あんな、蜻蛉みたいな男になったんだ。あれは人間じゃない。言葉に憑かれた生霊さ。女って餌を食っては書き、書いては食うんだ。きっと、死ぬまでやめないんだ」

荒野は父を「蜻蛉みたいな人よ」と父親の愛人から言われています。その父の女達が落とす影。

また、いつものだ。パパと関わった女の人の、潤んだ、狂気の瞳。

妖精のような少女の世界に、「男」と「女」という「性」が忍び寄ってきます。それは自分の外からも、内からも。
避けることの出来ない満ち潮のように荒野の世界をヒタヒタと……ゆっくり覆って行きます。
不快とか、怖いとか、不気味とか、甘いとか、素敵とか……一言の言葉で決して言い表すことの出来ない得体の知れない「何か」今までの荒野には見ていても見えていなかった「何か」。荒野はそれをつかまえようとします。

作者・桜庭一樹の生み出す表現の世界

いまの気持ちはなんだか不安で、すごく怒っているのにも似てて、へんだと思うこと。恋っていうのはもっとかわいくって、幸せなものかと思っていたこと。だから……。
いまの、不安で、湿った、どこか暗い熱さ……。

誰かに褒めてほしい料理は、おいしくても、どこか苦い。

「それは優しさじゃないわ、荒野ちゃん。それはね、無関心よ」
その言葉の、大人特有の傲慢な響きに、荒野は憎しみに近い感情を覚える。

胸がちくんと痛む。
ぐぅん、とまたやってくる波。
あの、波。
荒野はそれをつかみやすくなってきている。でも、そのまま動けない。

とにかく

星5つは決して揺るがない作品です。
私ごときがこの作品に関しての紹介文やら感想文を書いていること自体が何か間違っているんではないかと思えるような名作です。
出版レーベルは確かにライトノベルかも知れませんが、この本を読了後に「所詮は子供の読む本だな」と切って捨てる大人がいたら、その人のために悲しみを感じてやっていいと思います。想像力や感受性が摩耗しているのでしょうから。
ミギー氏のイラストも「あってよかった……」と思えるような素敵な出来です。個人的にはこの作品にばっちりあっていると思いますね。この一点だけをとってもラノベで出版されてよかった!と思えますね。