私の読書スタンスを考えてみる

前のエントリ「好きなキャラクターに(多分)特徴があります」を書いていて一つの事に思い至りました。
私は物語を通じて人の人生に触れる事が好きみたいなので、ひたすら彼ら(あるいは彼女ら)の生き様を追いかけていきたいという感じで本を読んでいるようです

これを前提にして

例えばあなたの読書スタンスを教えてください(雲上四季)というエントリに反応してみると・・・。
ちょっと引用させて頂きます。

たとえばいま読んでいるという理由で取り上げますが、冲方丁オイレンシュピーゲル』は近未来のウィーンが舞台ですが、ウィーンの歴史を知ることで世界観をもっと深く理解できるならウィーンについて調べたいですし、銃器を知ることで戦闘シーンをもっと鮮やかにイメージできるなら銃器について調べたいです。また、SF読みの見地から評価できるポイントがあるのであればSF読みの感性を身につけたいですし、成長小説読みの見地から評価できるポイントがあるのであれば成長小説読みの感性を身につけたいと思います。そうして自分自身の中に、多様な視点、多様な評価軸を備えて、豊富な背景知識と照らし合わせながら、いかなるコードも受容できる状態で、あらゆる角度から、可能な限り面白く読み、そして冲方丁がなにを思ってこの小説を書いたのかを空想しながら、この小説をもっと深く理解し、この小説を媒介に小説全体についての理解を深めたいです。

正直スゲエなとか思います
私は全くこう言った事を考えた事がありません。同じく雲上四季さんのエントリ『時載りリンネ!』に登場する書名&作家名リストを見たとき、正直、

「・・・情熱というか、気合いというか・・・スゴい怨念?

とか思いました(悪口っぽいですが違います)。

例えば

雲上四季さんのこのエントリで引き合いに出しているオイレンシュピーゲルで言えば、私は涼月陽炎夕霧の来し方行く末、つまり、

彼女達が何を求め、何を選び、どうやって生きるのか。

にのみほとんどの興味が集中してしまっていて、その他のモノには余り興味がありません。
ウィーンにせよ、銃器にせよ、あるいは組織や、彼女達を支えるシステムなどは、あくまで彼女達の生き様を浮かび上がらせる舞台装置と割り切ってしまっているところがあります。
舞台で言えばセットや衣装、あるいは小道具にはほとんど興味が行かず、舞台上で繰り広げられる人間の生き方に興味が集中していると言えば良いでしょうか。

と言う訳で

私の読書行為はそこから新しい派生物を生み出さないっぽいですね。
例えば「作品中に出てきたアレの事がもっと詳しく知りたい!」という動機でその「アレ」に突っ込んだ内容について書かれた本を読む、とかそう言った事がほとんど起きません。・・・ほとんど、というか多分全く起きてません。
・・・うーん、閉じてますね。私の知的好奇心は一体どこに行っているんでしょうか!? ひょっとして・・・エロ?*1

*1:結局それかい。