自称作家とネット書評家のまとめ/コメント欄全解放

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まず

問題のエントリを読んでくれた人に感謝を。ありがとうございます。
そしてあらゆる意味で不快にさせた人に対しては謝罪します。申し訳ありません。管理人の私の責任です

今回のやり取りを「まあ興味深く見ていて」「取りあえず参考になるかも」と思う方は、ご一読を。

今回の問題点

過激すぎる

そもそも、私の書いたエントリが非常に攻撃的と受け取られた事ですね。
・・・これは私の認識では「ちょっとキツいけど特定している訳じゃないし、まあOK?」という感じでアップしているんですが、その過激さやキツさは「読み手によって変わる」というのが当たり前なので、その点についての配慮が全く足りない。
以前作品を酷評した時にもありましたが、「感情をそのままぶつけたようなエントリ」は私にとって普通であっても、読み手(例えばその作品のファン)にとってはそうではない。この開きは非常に大きいという事ですね。


確かにコメントは多くもらえて、有意義に思えましたが「理性的かつ論理的な場」と「冷静な視点」が発生させる土壌が大本の過激エントリにはないので、不快感を感じる人は当然大きく反発する・・・。となると、当然感情的になりますから妙な罵倒が混じったり(私よりの意見ですが他のコメントを「バカ」とか指摘してきた人もいました)してしまう・・・言われた方も当然腹が立つ・・・悪循環ですね。
そういう「誤解の余地を大きく残したり、はっきりしない事を適当に書いてしまった」という意味では2chに書き込んだ「自称作家」と私は同じレベルですね。

理論的じゃない

私はそれなりに考えたつもりでも、前提が非常に曖昧なままで書き出しているという事ですね。
基本的に私は自分の思った通りに書いています。コメント欄でも言っていますがこのブログが「自分の備忘録」で「私」に向けたものであるため、極端な話「説明する気が余りない」ということ。
コメントで散々突っ込まれましたが「論旨の一貫性のなさや論理矛盾、わかりにくさが改善されない」というのは、私が理論的に組み立ててものをあまり考えない事から来ています。私自身良く分かってない事をなんとか言葉にして書いている・・・というところなので「なんでそうなるんだよ!」と聞かれた場合に、
「A=B」で「B=C」だから「A=C」である。
の様な解答が出来ない所ですね。これもコメントで指摘がありました。

前提が怪しい

これはコメントを頂いていた「たかあきらさん」からの指摘ですが。

元の2chのログが、複数の視点で見れる事。
つまり、元記事のログに関し、4通りの解釈が出来るのですよね。
1.自称作家さん(個人)が、特定の書評サイト(個人)を指して「自称書評家」といった。
2.自称作家さん(個人)が、書評サイト全般(複数)を指して「自称書評家」といった。
3.作家さんたち(複数)を代表して自称作家さんが、特定の書評サイト(個人)を指して「自称書評家」といった。
4.作家さんたち(複数)を代表して自称作家さんが、書評サイト全般(複数)を指して「自称書評家」といった。
これだけを見ても、色々なことが曖昧になっていることが明らかになります。


もし第一人称が個人(単数)なら、それは誰の意見か。
もし第一人称が複数なら、それは誰の意見か。そして「自称作家」さんはそれらの人たちの意見を総括し代弁する立場の人なのか。
もし第二人称が単数なら、その「自称書評家」とは誰のことか。
もし第二人称が複数なら、何が気に入らないのか。

という前提条件ですね。
私はコメントを受け初めてやっと「私が言及したかった対象は具体的になんなのか?」ということに思い至りました。
こうした点を踏まえない状態で書き始めれば読んだ人が、

「一体誰に向かって言っているんだよ!?」

と思っても全く不思議ではありません。

こうした

私が呈示した前提が

  • 「過激」
  • 「非論理的」
  • 「前提が怪しい」

という失敗を抱えているため、意見は沢山でましたが全くまとまらない・・・私は私で相手の言っている事が感覚的に理解出来ない、当然聞いている方はもっと分からない・・・という現象が起きたのだと思います。
これは意見(コメント他)を求める立場の人間としては全くもって失敗でした。
これは間違いなく私の失敗です。重ねて申し上げますが、不快に思われた方は申し訳ありませんでした。

それから

その上で、今回のコメントに出てきたそれぞれの意見をまとめます。
以下はやはり「たかあきら」さんの意見です。それぞれの立ち位置の違いを纏めてくれました。

批判している方の主張は結局のところ、「プロは何をいっても赦されない。hobo_kingは何を言っても赦されると思っている」という"ダブルスタンダード"は変だろうと述べていて、「それを正当化するのは誠意に欠ける」という理論。


対してhobo_kingの方は、「プロなら批判を受けることも有名税」「公の場で読者を否定するようなことをいうのはあるまじき事」という内容でエントリを立てている。


通りすがりさんたちは「自称作家」は複数形且つ総括的(作家の総意)と評価し、「自称書評家」は(「いつも感想中」を含む)複数形であり、「論を戦わせるのなら対等に」と訴えている。


対してhobo_kingは「自称作家」は単数(特定個人。但し公のPNは不詳)、「自称書評家」は(「いつも感想中」を含む)複数で、「自称作家さんと論を戦わせるつもりはなく、たとえ現実の作家さんに不快な思いをさせたとしても自己のスタンスは貫き通す」と主張している。

そして「両者の差異」問題では、通りすがりさんたちは「プロ作家は意見に反論する機会はないが、自称書評家は即座に反論出来る」という点と、「プロ作家は自分個人の評判が収入の増減に直結するが、自称書評家は訪問者数が増減する程度である」という背負っているリスクの差に着目して「だからhobo_kingは卑怯」という結論に至っている。


対してhobo_kingは「プロ作家はそれを収入とするが、自称書評家は無償である」という点と、「プロ作家は書籍という形で作品を世に出すが、自称書評家はネットでゲリラ活動しか出来ない」という点を主張し、「プロ作家は主観丸出しのことを書いてもそれが芸風と看做されるが、自称書評家は作者に対して失礼だと批判される」というのは作家の甘えであると切り捨てている。
その上で、「プロ作家は意見にネット上で反論すると叩かれるが、自称書評家は作家に意見すると作者に嫌われる」のは仕方がない、と割り切っている。

極論では、今回の一件は、hobo_kingは「自称作家」さんのスタンスのみを問題とし、通りすがりさんたちはhobo_kingも作家さんも「表現者」として対等なのだから、作家にそれだけのことを求めるのなら自分も同等の姿勢を貫け、といっているんですよね。

ただ問題なのは、この「通りすがり」さんたちは一人ではないということ。
私はここで「通りすがりさんたちは……といっている」と書きましたが、全員が全員そうであるとも限らない。
だから、「通りすがりA」に対するコメントと「通りすがりB」に対するコメントに関し、それぞれの立ち位置に応じて返答すると、二つのコメントに矛盾(と取られる内容)が生じ、それを「通りすがりC」に指摘されて「だからhobo_kingの言葉は信頼出来ない」と評される。
全く違う基準、全く違うテーマで言い合っていたら、いつまで経っても終わる訳がないし、発展性もない非建設的な罵り合いに終わってしまう。
かといって「hobo_kingが問題にしているのは自称作家さんのスタンスに関してだ」といっても、通りすがりさんたちは「ダブルスタンダードだ」というでしょう。

最後は、私への援護射撃も入っているような気もしますが、正直な所同感です。
実際後半は疲れてしまい、また「通りすがりさん」の多さには訳が分からなくなりましたし、コメント返しを書いている最中に次から次へとコメントが入りますし、そしてどんどん時間だけ流れて、一体誰に対して意見を言っているのか分からなくなる時が多々ありました。

また

これらの違いに加えて、

  • 書評と感想の違い
  • 書評の定義

などの問題も提出されています。

いかがでしょうか

賛同/批判・・・批判の方が多かったですが、おおよそこんな感じじゃないかと私も思っています。
「卑怯者」あるいは「誠意がない」と言われる理由は、「たかあきらさん」のこの冷静な指摘でやっと分かりました。しかし「たかあきらさん」が代弁してくれた「hobo_kingの持論のシンプルなまとめ」の部分は基本的に変わりません。
ただし「そちらの方が全関係者にとって良いに決まっている」というスタンスがあれば、そちらに変える用意があります。
もちろんこれらの事を改めて書いたからと言って、私に不快感を既に感じている人の心を動かせるとかは一切思いませんし、シモキタさんなどは私のブログを改めて見てくれるとは思いませんが・・・。その点については上で述べた通り、私は大きく失敗をしているので、あらためて謝罪します。申し訳ありませんでした。狭量かつ視野が狭かったとしか言いようがありません

そして

私はこれらの前提を「すべて受け入れた上で」さらに意見を聞きたいという欲求がありますので、再度コメント欄を全面解放します。大本のまとめをしてくれた「たかあきらさん」もどうぞよろしくお願いします。

私に対して

コメントのやり取りの結果不快感を持たれている方(実際にシモキタさんとの対話は私が切ってしまっていますし、呆れたとまで仰っているかたが複数います)も多くいらっしゃると思いますがよろしければ「それぞれのスタンスをどうして取っているのか」などの自分の位置表明とその理由を頂けると嬉しいです。

ただし

条件として、

  • 上記の通り、本件については色々な条件が複雑に絡み合っているので、コメントをして頂く場合には、それぞれのスタンスを可能な限り明示した上でお願いします。
  • 「通りすがり」禁止です。せめてシモキタさんのように固有のハンドルネーム(可能な限りシンプルで)を持ってコメントをお願いします。・・・訳が分からなくなりますので。
  • コメント対応は基本的に「私とコメントをくれた人」という姿勢でやっていましたが、コメントくれた同士で意見を言い合うのも良いです。
  • コメントが溢れるような状態があれば、再度エントリを建て直します。
  • それから「書評」と「感想」の違いという問題も出ていますが、基本的に私は「感想」書いているつもりなので、その上で指摘をもらえると助かります。
  • 私に対しての必要な罵倒/誹謗中傷はポリシー的にOKですが、一応私も人間の端くれなのでやり過ぎないようにしてください。罵倒目的のコメントも禁止です。意味ないので(←追記)。
  • ただし連続書き込みとかは禁止です。同一IPから同じようなコメントが連続で入った場合には、削除します。
  • 前提条件のこの部分が自分と違う/私はオリジナルなこのようなスタンスだ、という場合には指摘を下さい。別途追加します。
  • 私も時間に限りがありますので、常に即時対応は可能では無い事をご了承下さい。
  • まとまったと思える意見は私の時間の許す限りで、「一つの指針」としてこのエントリ内にまとめなおします。
  • コメントの文字数は可能な限り短文でお願いします。箇条書きとかが理想ですが、可能な範囲でお願いします。また溢れる可能性がありますので。
  • もちろん、私以外への誹謗中傷などは絶対禁止です。
  • 関係ありませんが、私に対しての「ちんこ呼ばわり」は自分で言っているときがあるのでセーフですが。節度を持ってお願いします。

上記の条件を飲んで頂ければ限定的な某匿名掲示板と同じように扱って頂いて結構です。土曜の夜ですし。
可能なら「ネット書評家は作家に対してどのようなスタンスで相対するべきか」とかはなんらかの結論(ここを見ている皆さんにとって「その位ならまあいいか・・・」と思われる妥協点)を見つけたいと思います。こちらを見られている皆様、どうかよろしければご一助を

追記

ちょい訂正しました。
本件と本の内容に対する酷評はまあ無関係と思えましたので、「見つけたいもの」から外しました。

以上です。