勘違い助言者は意外に多い

あとね、やろうとしている人を止めるのは良くない。やらせてみればいいんですよ。いや、「やらせてみる」という表現も可笑しいな。俺は俺の意思でやろうとしているんだ、この先にあるのはお前の未来じゃないんだから、余計な口出しをするなよって話。まあ今の俺の姿を見て、ああ懐かしいなあと昔を懐古するのはご自由にどうぞって感じだけど。俺を止めようとしたり、可笑しな忠告だけはするなよな。
heartbreaking.(お前の過去を俺の未来に勝手に重ね見て絶望したり突き放したりするのはやめてくれ)

何かというと非常に話題になっているこちらのブログに関連して言及するのは正直勇気がいるのですが、直接関係のある事に言及する訳でもないし、私も少し思うところがあったので書いてみました。

あー

このエントリには感じる所がありましたね。厳密な意味では違うのでしょうが、似たような事を感じた事があるからです。
自分のブログが以前炎上した時もそう思いましたが、

「自分は相手にとって役に立つ助言をしている善意の第三者

だと完全に信じている(と思われる)人が時々いるんですよね。
助言というのが成立する条件を「取りあえず言えば成立する」とか思っている人がいるのに驚いた事があります。

実社会でもそうですが

普段から親しくしている人達の助言は私の「心に届きます」。
でも親しくない人の助言は「宛名の無い郵便物みたいにどこにも届きません」。
実社会ですらそうなのだから、ネット上で顔も知らない、本人がどんな人間かも分ってない「通りすがり」とか、あるいは「初めてやり取りする相手」やらにどれだけ役に立つような事を言われようが、私の場合は基本的に、

「・・・アンタ誰?」

位しか思いません。
「通りすがり」とかってつまり「赤の他人ですが」って宣言しているのと変わらない訳ですしね。
それでもまあ・・・礼儀正しく、丁寧な言葉を使ってくれて、かなり上手い言葉使いで「助言」してくれた場合は別です。でもそんな人はまあ・・・滅多にいません。
あらゆる助言は言った方と言われた方の双方に、相手に対する「信頼」や「愛着」や「尊重」というものが存在して始めて成立するんじゃないかなあと私は思っているんだけど、そうでもない人は結構いるらしいです。
私は助言が助言として成立するのは「人に助言を請われた場合」のみで、他の場合は常に「余計なお世話」になる危険性が高いと思っています。

言う前に考えよう

ちょっと自戒の意味も込めて書いておきます。

「自分の場合もダメだったから止めた方が良いよ」

「このままだとあなたダメになっちゃうよ」

「あれは失敗だったよ」

などなど、時と場合と相手によっては言いたくなる気持ちはとても良く分かります。
「助言」という行動は、「助言者」の自負心を満たすと同時に、「被助言者」の役にも立つかも知れないという・・・場合によっては全員が得をする美味しい精神活動です。助言して感謝されれば嬉しいし、助言された方も結果として何かが上手く行けば得です。
ですから助言自体は言っても構わない、言っていけないなんて事は無いです。しかし本当に相手に対して価値のある「助言」の言葉にするにはそれまで積み重ねて来た人間関係が大事だって事だと思います。
「相手にとって価値のある助言をする」というのは親兄弟の関係だって難しいのです。匿名のネット社会で「助言」を成立させるのがどれだけ難しいか・・・。
「自分は善意の助言者だ」と根拠もなく信じ込む前に、考えてみるといいのです。自分が助言者たる資格を持っているかどうかを。
言われた側はあなたを「通りすがり」にボソッと変な事を呟いている「怪しい変質者」のように見るのかも知れないのだから。