返事。
さて、hobo_kingさんは、ぼくの態度に「信仰」や、「ある種の熱狂に包まれた崇高な気配」を感じるといいます。それ自体は個人の感想だから良い。
しかし、なぜそれが即座に「ただし、信仰を持たない人間は彼らの生き方に「得体の知れない不気味さ」や「生理的な嫌悪感」を持つだろう」という一般論にシフトされるのでしょうか?
この理屈が正しいとすると、「Something Orange」に日参しているひとは、ぼくと同じ「信仰」を持っているか、それとも「得体の知れない不気味さ」や「生理的な嫌悪感」を我慢して読んでいるか、二つに一つということになります。
あるいは、初めから悪意をもって読んでいるのかもしれません。しかし、そんなことがあり得るでしょうか?
たしかに、ぼくと趣味を同じくしないひとが、ぼくのサイトを訪れて不気味さなり嫌悪感なりを感じることはありえるし、じっさいにいくらでもあることでしょう。
しかし、一般論として「持つだろう」といい切るその根拠は何でしょう? そうであることもあるし、そうでないこともある、とは思いませんか?
hobo_kingさんがどう感じるのも個人の自由ですが、もし根拠もなく「あいつのサイトを訪れたひとは不気味さや嫌悪感を感じるだろう」というのなら、それは喧嘩を売っているに等しい文言だと思います。
ぼく個人がどこをどう不快に思ったということではなく、ごく常識的に考えて、あいてを侮辱していると受け取られる文面だということです。
もちろん、ぼくのサイトが、同じ「信仰」をもつひと以外には、不気味で嫌悪感を催すものに違いないと考える合理的な根拠があれば話は別ですが、「自分がそう感じたから」以外に何かあるでしょうか?
レス。(Something Orange)
実は
しばらく前に「積極的にオタクであること。」というエントリを書かれていたと思いますが、私はそれを「kaienさんは、自ら積極的にオタクでいたい」と宣言しているのだなあと読んだのですね。我はオタクだ、と。
で
例えばその本エントリの方の一文、
よくいるよね、アニオタをばかにしつつ、現代アニメの一本も見たことがない奴とか。それはやっぱり最低だと思うんですよ。ある文化を非難するときは、その文化の最高の作品を味わってからにするべき。
あるいは先日のこのエントリに私がブコメで付けた質問を受けての一つのコメントに、
「風俗の実体を知らずに風俗文化を馬鹿にしているのなら、それはやっぱり良くないと思いますね。」
とあったりとか。
これらを元に本エントリを作ったのです。
こうしたスタンスは
というような事とイコールになると思いますし、ここのブログ風に言えば、
という姿勢かなと思えます。
個人的には正直言い切るのは凄い根性だと思います。普通は難しく考える事無くなんらかの感想を持って終りでしょう*1。
こうした「思考停止人間」がいなければ世の中に「キモイ」とか「うざい」とか*2などという「単純に何かを見下す便利な言葉」は存在しない訳ですし、今やこれらの言葉を知らない人の方が少ないと思いますから実在は確かでしょう。
こうした「思考停止人間」と「kaien」さん仰られているスタンスの違いはもの凄く大きいです。
これらの違いに気づいた事を切っ掛けに
いわゆる世間一般での「オタク」に話を持っていったのです。
トップランナーの具体的な話を参考に、「具体的に誰だかは分からないけれどもオタクと呼ばれる総合的なもの」へと思考したのです。
ですので
私の言いたい事としては、
「得体の知れない不気味さ」や「生理的な嫌悪感」
を「一般的に言ってそのように思われる対象」は、
- いわゆる「頭ごなしにキモイ」と言われる「いったいどこにいるのか分からない幻想種としてのオタク」
の事にシフトしている訳です。まあその辺りだけ押さえておけばいいような気がします。
なんというか
・・・時間がたってから思うのは「明らかに住んでいる場所が違う」でしょうかね。理解し合えない感じがひしひしとします。