さよならピアノソナタ(3)

さよならピアノソナタ〈3〉 (電撃文庫)

さよならピアノソナタ〈3〉 (電撃文庫)

ストーリー

桧川ナオたちの所属するバンド、フェケテリコにとって大事なシーズンがやってきた。
最後には文化祭が控えるこのシーズンは、それより前に体育祭、そして合唱コンクールといったイベントが目白押しの季節でもある。
一見これらのイベントはバンドであるフェケテリコに直接関係のなさそうなものも混じってはいた。・・・が、そこはなかなかに波瀾万丈で、合唱コンクールではコンサートのチケットを賭けて、体育祭では文化祭の演目の時間を賭けてそれぞれ勝負をすることになってしまった。そんなこんなでナオ、真冬、千晶、神楽坂先輩というバンドメンバー全員が結構激動の毎日を送ることになる。
それに併せて真冬の機知であるジュリアンというヴァイオリニストが来日して真冬の前に姿を現したりしては状況を引っかき回す・・・直巳は文化祭前の大事な時期を色々な事件を抱え持って過ごすことになるのだった・・・。
音楽で繋がる絆もあるさ、という感じでリリースされている「さよならピアノソナタ」の3巻です。

相変わらず魅力的なサブキャラ

2巻とかでも名も無きキャラクターが味のある発言をしたりして読者を楽しませてくれましたが、サブキャラ/モブキャラの両方を含めて今回もそういう楽しみがちゃんとあります。
今回新登場する事になるジュリアン(ユーリ)という真冬のかつての知り合いなども要所要所でこの3巻の方向性を決める発言をしてくれます。例えば・・・

「ナオミは、真冬の、なんなの?」

直球ストレート。
さて・・・ナオは何故、何を思って真冬の傍に居続けているのでしょうか?
そしてそれは恐らく真冬だけの話ではありません。真冬の傍にいることは、千晶の傍にいることに繋がり、神楽坂先輩と一緒の活動をしていることにも繋がります。
本当は難しくないはず。そんなものの答えは心のど真ん中にあるに違いないのですから・・・しかし、返事に窮するナオ。それは、きっと、ナオ自身が自分自身に戸惑いを感じているからなのでしょう。

口べたなナオ

上でも少し触れましたが、主人公のナオ/直巳は口べたな少年です。
物語自体が彼の評論家的なモノローグという形式で綴られるため一見饒舌のように感じるけれども、言わなければならない事はいつも言葉にならずに喉に引っかかってしまう彼。

ちゃんと向かい合って話せばいいのに、と廊下ををとぼとぼ歩きながら思う。ちゃんと謝って、訊ねて、それから——伝える。
それができるような人間なら、今頃こんなことになってないよな。

全く持ってその通りですね。大事な一言はいつだって空回り。

「困るの! もっとしっかりしてくれないと! あなたは、わたしの——」
真冬の?
また言葉は途中で、真冬の唇の奥に消える。

まあ、口べたなのはナオだけではありませんが・・・。
でも、そのままではバラバラになってしまうはずのフェケテリコのみんなを繋いでいるものが間違いなくある。それは間違いなく言葉以外の何か。それは現代に唯一残された魔法。

フェケテリコのステージで、ピアノの前に座る真冬を思い浮かべる。持ち上げられた黒い翼の向こうに、鈍く光るドラムセットと、千晶の茶色い髪が見える。振り向くと、ぎっしりと熱気の詰まった観客を前にして、マイクスタンドに寄り添うように、神楽坂先輩の後ろ姿が立っている。静寂の中から立ち上がるピアノのコラール。フィルインで厳かにリズムの流れ込むドラムス、そこにクリーントーンで重ねられたギターの助奏(オブリガート)。先輩の、渇いているのに身体のいちばん奥まで染み通る歌声。

まるで——本当にそこに魔法が姿を現したかのような描写じゃないか!
でもこれらの言葉で表される彼らが一丸となって唱える「それ」——音楽こそが魔法。そう、音楽は魔法ですよ?

いくつもの魔法

この話にはそれらがあちこちで飛び交っています。
もちろんこの話は別にファンタジー作品ではないから、本当の意味での魔法ではないけれど・・・でもその魔法は真冬の指を癒し、千晶に走る力を与え、神楽坂先輩にもう一度始める切っ掛けを与えた。
3人にかかった魔法はそれぞれちょっと違うのかも知れないけれども——その魔法をかけたのは間違いなくナオなのですね。
それはきっと一言で言える簡単な言葉なのだけど、はっきりと口にしたら解けてしまうようなささやかな魔法だから・・・明言するのは避けておきましょう。
でも誰もがその魔法にかかるとき、その力に驚くのです。自分の中にこれだけの力が眠っていたなんて——と。

とまあ

こんなシリアスな展開をそのまま放っておく作者ではないので、そうした発言の周りではやっぱりバカ共がちょろちょろしてまして、

「それ、ユウが呼んだってやつ?」
「なにもん?」
バンドのメンバーがぞろぞろ寄ってくる。怖い。みんなガタイいいし。
「えっとね、僕の大切な人の大切な人」とジュリアンが振り向いて言う。
「ってことは、俺の大切な人の大切な人の大切な人か」
「すると、俺の大切な人の大切な人の大切な人の大切な人ってことになるな」
「俺がいつからおまえの大切な人になったんだよ」
「おまえもホモだろうがユウは男だ」
「表へ出ろ!」
「上等だ!」
ヴォーカルとギタリストはお互いの襟首をつかんでにらみあったまま廊下に出てしまった

こんな人たちが相変わらず作品を華やかにしてくれます。まあ・・・バカが出てくることで華やかになる作品ってのもどうかと思いますが、なんとも可笑しいノリは相変わらず持ち味としてありますね。

総合

うん、楽しいし星5つだな。
こんな風に楽しませてくれるライトノベルは今他にないでしょう。別に特別なことが起こるわけでもない。でも毎日は特別なことだらけ! というのを再認識させてくれるライトノベルです。実に青春していていいですね。
実際のところ、高校生が集まってバンドをやっているだけの小説なんですよ? でもどうですかこの躍動感に疾走感! 誰もこんな話を書けないでしょう。
でも走っているのは物語だけじゃない、作者も一緒になって走っているんだという感じがビシビシと伝わってくる作品でもあります。

Someday girl I don't know when
We're gonna get to that place
Where we really want to go
And we'll walk in the sun

対訳が作中に載っていましたが、一体どれだけの作家達が、こんな気持ちをもって作品を世に送り出しているんでしょうね。いつの日か日差しの下を歩ける日が来るかも知れない。でもいつまで走り続けられるのかなんて分からない。でも走らなければならない。何故なら——

But till then tramps like us
Baby we were born to run

「俺たちのような根無し草は、走るために生まれてきたんだ」
この一作が、最後の一作(最後の疾走)になるかも知れない・・・そして立ち止まることは死ぬことに等しいんだ・・・そんな風に考えたなら、楽しみを後に取っておこうなんて事を考える事はできないでしょう。
だから今できる最高の一撃を作品にぶつけて欲しい。そこにエンターテイナーとしての誇りがあるのなら・・・。なんてつい難しく考えさせられた作品でした。

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