鬱病に自己責任論はなじまない
ブックマークコメントに興味深いコメントがついていたのでちょっと追記をしてみます。
うつ病だろうが皮膚病だろうが糖尿病だろうが、適当に医者行ってクスリもらえば治ると考えるほうがおかしい。治す/やりくりするのは自分だよ。
一種の自己責任論でしょうか・・・こういう意見が出てくる事は個人的には全く不思議には思いませんが。
あくまで参考例として取り上げましたのたので、こちらの方個人の考えについてどうこう言うつもりはありません。短いブックマークコメントでその考えるところ全てをフォローしているとも思えませんし*1。
実際に
私の周囲にもこれに類する言葉を発する人はいました。
曰く、「社会人としての責任感が足りない」、「努力が足りない」、「気合いが足りない」、「甘えるな」、「もう少しだけ頑張ってみろ」、「気の持ちようだろ」・・・とまあ色々です。
確かにどんな病気だろうと最終的に病気を治すのは患者本人の意志と力です。もちろん医者も薬もあくまでサポートする事しかできません。
しかし
逆に言えば患者本人の意志と力が存在しないとき、病は治らないのです。
つまり、場合によっては最悪な結果が出て終わり、なのです。最初の一歩のエネルギーが既に枯渇している時、治療行為そのものが始まらないのですから。
・・・これもどんな病気にも共通ではないでしょうか。
私は
鬱病しか経験がありませんからそれについてしか書けません。ですので病気全般ではなく鬱病に限った話にします。
例として、『気がついたらベッドから全く抜け出せず、ありとあらゆる意欲が消滅し、死ぬ事ばかり考えているような状況に陥っている人間』を想像して下さい。
この人間(仮に「彼」と呼びます)に
『自分が鬱病に罹っていると判断し、適切な治療をするための調査をし、評判の良い医者に行って実際に治療を開始する』
事が果たして出来るでしょうか?
- 彼はどのようにして自分が病気なのだと信じればいいのでしょう?
・・・頭の中のセロトニンが減少しているかどうかなど、鏡では決して見えないのです。
- 彼はどうやって病院に行くための最初の意欲をひねり出せばいいのでしょう?
・・・ネットも見る気力が起きない人間が遠く離れた医者までいけるのでしょうか。しかも精神科です。未だに精神科というのは周囲からの偏見の強いところです。一度でも本格的にかかればメンヘラと呼ばれる現実が待っている事を私は知っています。
- 彼はどうやって良い医者や良い薬を探すための意志と判断力をひねり出せばいいのでしょう?
・・・病気や薬どころか、下手をすると自分の努力が足りない、自分の気合いが足りない、自分の能力不足が全ての原因だと思い込んでいる人間がどうやって医者を捜し出そうとするでしょうか。
実際にはどれも一人では難しいのです。
つまり
- 治る病気だと教えてあげて、病院に連れて行くこと。
- もっと順調に回復する方法があるかも知れないと探してあげる事。
- 病んだ人が安心して治療に取り組めるように、帰ってこれる場所を用意してあげる事。
これらの事は一見非常に簡単なのですが・・・うつ病の酷い時、患者本人には出来ない事なのです。なぜなら、その意欲がないから。
「自分だよ」と
自己責任論にするのは別に構いません。それで上手く行く状況が世の中に多々ある事も知っています。
しかし、あなたは近親者——例えば親が、例えば子供が、例えば妻が、例えば弟が——が同じ状況に陥ってしまったときに、何もせずに見ているだけにしますか? 病気にかかるのも治すのも、確かに自己責任かも知れません。しかし、自己責任だからと放置しますか?
それは病気だから治るのだと勇気づけませんか?
もっと良い治療方法を探してあげたりはしませんか?
少しでもその人が闘病に集中できるように、その人の不安をなくそうとしませんか?
繰り返しますが・・・最終的にはそういう話なのです。私はこう言いたいのです。
「もし鬱病らしき人の身近にいるのであれば、助けるための手を差し伸べて欲しい」
です。それが良い医者や良い薬、良い治療法を探す助けになるのならもっと良い、そいういう話なのです。
そのために大量の力を割けだなどとは言いません。意欲のない鬱病の人間に代わってWebで医者を検索するだけでもいいかも知れません。病院に行くためのタクシーを呼んでやるだけでもいいかも知れません。とにかくあくまであなたの心の余裕のある範囲で構わないのです・・・。