ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート

ストーリー

ひとつ、イケニエビトを殺した人だけがそのことを憶えてる。
ふたつ、イケニエビトは殺してもたった数年でよみがえる。
みっつ、タマシイビトは人の記憶をむしゃむしゃ食べる。
よっつ、タマシイビトはイケニエビトを好んで食べる。
いつつ、イケニエビトの歌は遠い国からやってくる。
むっつ、イケニエビトは自然とこの世に紛れこむ。
ななつ、タマシイビトは歌声聞いてやってくる。

僕、女の子を殺したんだ――。
奇妙な告白から始まる奇妙で不思議で――少し切なくて、悲しくて、そして夢のある話。

実に

奇妙な話です。
ラブストーリーでありながら、奇怪な都市伝説とも言えそうなものを扱った話でもあり、そして同時に少年少女の生々しいLifeの話でもあります。生活と書いたら変だな、でも人生というような渋い感じじゃないな――と言う訳で「Life」です。
簡単には「面白い」と言って片付けられない「Life」がこの話にはあります。・・・いっそライトノベルとも言い難い。でも、ライトノベルでしかあり得ないような話ですね。
一体何がベネズエラなの? ビターなのにスウィートなの? はて? と思いながら読んだんですけど、読み終わってみると確かにタイトルはもうこれしかないだろうと思えるから不思議です。

なんと言いますか

生々しい少年少女の内面――決して美しいとは言い難い――の描写がとても素晴らしい本です。ちょっと幾つか引用してみましょうか。

女は自分を改造するのにお金を使うけど、男はパソコンとか自分じゃないものを飾って楽しむ。そういえば車とか電車とか男は改造できるものが大好きだ。女の子もその一部なんだろう。バッグを買い与えてカスタマイズ。ブーツを買い与えてカスタマイズ。キスのときの舌の絡め方を開発してカスタマイズ――――なんちゃって。

私は第一声で「感動した」とか言うボキャブラリーの貧困な人間と会話するのは極力避けることにしている。言葉使いは伝染する。科学的に証明できなかろうとこれはこの世の決まりごと。

いやあ、いいですね。
これは主人公の一人である少女の考えていることなんですけど・・・着眼点がいいというか、そんな感じがします。そもそもこの少女――名前は左女牛明海――ですが、大体彼女の第一声からして、いかしています。

「焼いたフルーツってずるい味がする」

ですからね。
もうこの一言でこの話に吸い込まれる感じがします。ええ、狡いですよね、洋なしとか、リンゴとかね。フルーツが狡いのか、フルーツを焼いている奴がずるいのか、分かりませんけどね。

そして

そんな彼女の人生と絡むことになるもう一人の少女がこの話の「特異点」です。
その少女について語ると、それはそのまま重大なネタバレに繋がるような気がするので避けますが・・・まあ普通の存在ではありません。そして彼女を通じて左女牛さんは一人の少年・神野と出会うことになり、彼ら3人の奇妙な関係が生まれるのですね。
彼らの関係はなんとも当たり前のようで、いやもの凄く特別なもののような気がする関係です。少なくともライトノベルでは珍しい関係でしょうね。まるで一般文芸作品にありそうな関係です。その・・・「特異点」さえなければですが。
その辺りは興味を持った人が実際に読んで確認するのがベストだと思いますね。言葉にすれば陳腐になって堕落するものというのがこの世には確かにあって・・・彼らの関係も多分そういった物の一つじゃないかな・・・なんて思いますね。

総合

星・・・難しいなあこの話。サービス込みだと5つになるんだけど、贔屓かなあ・・・? まあ4つにしておこうかな。
一見何やら不条理系の話なんですけど、まるで血で書かれたような生々しさがある幾つもの告白が、この話を読者のそばに連れてきます。あり得ないような話の中に確かに脈打つ青春の血潮とか、そんな感じなんでしょうかね。
でもなんですかねえ・・・こういう話を読むと、ああ、確かに今の自分は幼かったあの頃の延長線上にいるんだなあ・・・なんて思わされますね。つまりそういう生々しさがある話ですよ。
そうそう、ブログをやっている身としては感じるものがあった作中のセリフを引用してこの感想を閉めましょうかね。

「左女牛さんは誰とでもつながっていられたと言ったけど、誰とでもつながってるってことは、誰ともつながっていないことと似てるんじゃないかな?」

大人になるということは、自分が誰と結びつくべきか、誰と結びつきたいのか、それを考えて、感じて、選んでいく作業なのではないかな。なんて思いました。

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