ダン・サリエルとイドラの魔術師

神曲奏界ポリフォニカ ダン・サリエルとイドラの魔術師 (GA文庫)

神曲奏界ポリフォニカ ダン・サリエルとイドラの魔術師 (GA文庫)

ストーリー

楽家にして神曲楽士、そして若くてイケメンと何拍子もそろった演奏家であるダン・サリエル
古くて高尚であることを拝み倒している老人たちの音楽を馬鹿にしながら、大衆受けの良い音楽をやりながら新しい音楽界を作っている業界の旗手の一人であった。しかし、その性格には難アリで、今日も元気に傲慢で高慢ちきだった。
流石に上級精霊である白銀の虎の姿をした精霊・コジとの契約そのものは諦めたらしいものの、それ以外は傲岸不遜な態度は相変わらずだった。お陰でサリエルに仕える(?)中級精霊であるモモの気苦労も絶えない。しかも「押しかけ弟子」のアマディアまでもが色々とトラブルをつれてくるものだから、今日も騒がしいサリエルの事務所・・・といったところで。
あざの耕平の描き出すポリフォニカシリーズの2巻目が登場なんですが・・・おやおや、結構際どい仕上がりになっているようで・・・?

1巻で

きっちりとキャラクターを立ててしまっているせいか、キャラクター同士が共鳴することによって生み出される物語のダイナミズムとでも言うべきものをきっちりはっきりと書き上げていますね。その辺り、流石といった所でしょうか。
前作では中級精霊のモモに焦点が当たっていましたが、今回は押しかけ弟子のアマディアに焦点が当たっています。その視点の切り替えも自然ですね・・・が・・・。
あざの耕平作品ってなんというか・・・こう、色気というかLOVE寄せが足りないような気がするんですよねぇ・・・それは決してつまらないという事を意味しないわけですけれども、折角うら若き女性キャラクターが元気に動き回っているんですから、もうちょっとこう、ラノベ的展開があっても良いんじゃないかな〜なんて思ったりもします。

で、

話はおおよその所三編なんですが、

  • 一編目はドタバタ
  • 二編目はコメディ
  • 三編目はシリアス

と綺麗に作品の毛色を変えて作ってきています。
・・・といっても恐らく多くの人が注目するのが三編目の表題作「ダン・サリエルとイドラの魔術師」という話じゃないかと思うんですが、この話が際どい際どい! 「音楽」というキーワードを「文芸」に切り替えたら、業界関係者(特に作り手)をバッタバッタと切って捨ててしまうような内容になっています。
ちなみに「イドラの魔術師」というのは、いわば音楽のプロデューサーである新登場キャラクター・シャルマを指すわけですが、彼の発言はあっちこっちで危険です。

「才能がないから」

「しょ、商売になるかならないかが、全てなんですかっ?」
「そんなことはないけど、あいつ、一応プロ目指してるんだぜ? 金にならないんじゃ、しょうがないじゃん?」

「プロの世界に小数点以下は存在しない。いや、少し言い方が悪いかな。もっと正確に言うと、プロの世界では小数点以下の存在には意味がないんだ。『2』なら『2』の、『10』なら『10』の価値があり、商売の仕方がある。が、最低でも『1』がいる。それ以下は『0』と同じ価値しか持たない。『予感』だの『可能性』ってのは、それだけでは無価値なんだよ」

・・・いや〜、作家として成功しているといって良いであろうあざの耕平が言っているという事実が厳しいですねぇ・・・といっても通常の読者ではなくて、いわゆるワナビの人や、あるいは同業他者の人・・・かな?
俺の妹がこんなに可愛いわけがない」の最新刊といい・・・クリエイターいじめが流行っているのかなあ・・・なんて思ったりしました。ま、偶然でしょうけど。

まあ

これはプロデューサーであるシャルマの発言なので、サリエルにはサリエルの言い分があるようです。それは作中でこんな風に語られます。

聴き手を満足させるのがプロの音楽家。ライブの夜、シャルマはそう言った。一方、サリエルはこう言った。自分の音楽を認めさせるのが、プロの音楽家だ、と。
シャルマのそれが血の通わないマーケットの理論だとするなら、サリエルのそれは熱いプライドを奥に秘めたアーティストの理論だ。どちらが正しいわけでもどちらが間違っているわけでもない。

ここでは敢えて音楽家を小説家と読み替えてしまいますが、まるで編集者の理論と作者の理論を正面からぶつけているかのような話の展開に読者としてはどーもドキドキしてしまいますね。話の中で「音楽家」としてこれらの考え方に引っかき回される見習いのアマディアはもう色々としっちゃかめっちゃかになってます。
面白いと言えば面白いんですけど・・・いいのかなあ、ここまで書いちゃって・・・というのが率直な感想だったりします。

総合

星4つですかね〜。
あっちこっちからの方法で読者を楽しませてくれる辺りはさすが「プロの小説家」といったところでしょうか。それは商業的な意味でもそうですし、芸術としての意味でもそうです。恐らく、その二つを過不足無く持っている人間、あるいは足りない部分を人から借りることが出来る人間だけが成功できるんでしょうねえ・・・なんてしみじみ思ったりしました。
ま、そんなこと難しく考えなくても面白い本ではあります。ちょっと表題作は趣味(?)に走った気配がないわけでもないですけど、それはそれでいいんじゃないでしょうかね。どんな意味であっても緊張感がある物語は、それはそれで面白いものですから。
さて、順調に巻数を重ねている様に見えるこのシリーズですが、一体最後はどんなシーンを見せてくれるのか・・・とにかく次の3巻を期待して待ちましょうかね。

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