エロマンガの感想を最近書き続けていますが
書き始めて分かったことですが
絵で表現されたものから受けた印象を文章として再出力する事の難しさと、エロスというものの奥の深さですね。
いや真面目な話なんですが、エロマンガの感想を書いているときは不思議な事に哲学的な思考に沈みがちになります。それは恐らくエロスというものが人間の生命としての根幹に関わる要素であるということと無関係ではないでしょう。
ライトノベルの楽しさを表現するには
元もとが文字で表現されていることもあって、次元を飛び越えるような表現の跳躍をする必要が無いのです(基本的に文字→文字)。
が・・・エロマンガ(いや普通のマンガでも同じでしょうが)はどうしても表現の垣根を越える必要があります(絵+文字→文字のみ)。これがやってみると実に奥の深い作業でして、感じた事を表現するのにライトノベルの感想を書くときとはまた違った部分の脳みそをフル回転させています。
また
ライトノベルの楽しさの切り口というのは結構多岐に渡る部分があって、どこから切り取ってもそこそこ頑張れば意外と形になるような気がしているのですが、エロマンガの場合は
- 「エロくてナンボ」
- 「エロくなければ評価されない」
というのが基本的にあります(「キャノン先生」みたいな希有な例外もありますが)。
ライトノベル読者に比較的分かりやすい要素で説明すると、例えばライトノベルに常に「萌えてナンボ」という「縛り」があるようなものだと思ってくれれば分かりやすいのではないでしょうか。
一つのもの(エロスにせよ萌えにせよ)をひたすら追いかけ、対面する時、その作業はどうしてもストイックなものになっていきます。エロマンガの感想を書いているのにストイックにならざるを得ないというのは、何か不思議な気がしますが・・・。
しかもエロという事もあって
どうしてもそれを評価するためには自己の内面に深く潜っていく必要が出てきます。
単に「良かった/悪かった」だけでは括ることができない「何か」の根っこを掴むために(別に誰かに言われてやらされているわけではないのですけど)、自分の性的嗜好から始まって、一体何が人を「性的に興奮させるのか」とか、「性的興奮とは一体何か」という現代人の高度に文明化された性衝動の深淵へと潜っていく必要を表現する上で感じるからです。
また自分自身に縛りを課してもいまして
それは、
- マンガ自体のページの画像などを決して張らない
ですね。これをやれば随分と楽になるのでしょうが、それは「何か違う」と感じているのです。
マンガを「紹介」する事を目的としている場合にその絵(特定のページなど)を画像として貼り付けるのは「絵があってのメディアである」マンガを説明する上で便利かつ最適な方法かも知れません。が、自分の感じた「何か」を表現するためには絵を貼り付けるだけでは出来ないと感じているのです。
そして恐らく私は「紹介」するために何かをこうして文字に書き起こしている訳ではなくて、あくまでやはり自分の中に湧き上がった心の中の何かを「表現」するために頑張っているのだなと感じています。
とにかく
意外と(いや想像以上に)面白いですよ? エロマンガの感想を書くというのは。