ハロー、ジーニアス

ハロー、ジーニアス (電撃文庫 ゆ 3-1)

ハロー、ジーニアス (電撃文庫 ゆ 3-1)

ストーリー

子供の出生率が著しく落ちた近未来。政府は子供を一カ所に集中させて教育するという方針をとっていた。それと時を同じくして世界中にごく少数ながら出現しだしたジーニアス”と呼ばれる超越的な天才達。そんなどこかおかしくなった世界が舞台の物語。
主人公の竹原高行(たけはらたかゆき)は走り高跳びの選手として陸上部のエースとして活躍してきたが、怪我を理由に二度と飛べない烙印を押されてしまって以来、くすぶり続ける毎日を送っていた。進むことも戻ることも出来ず、自分の過ごしてきた過去とこれからの未来を想像する他、何も手に出来ない日々が続いていた。
しかし、そんな彼の元にある日青天の霹靂とも言える出来事が起こる。学園に在学中だった”ジーニアス”である竜王寺八葉(かいりゅうおうじやつは)が直接高行を第二科学部とやらにスカウトをしにきたのだった。勉強の成績など決してよくない俺を何故スカウトに来たのか? そんな疑問を持ちながらもちょっとした興味本位で第二科学部に顔を出す高行。そう、どうせあと一ヶ月の事だ。高行はもうじき学園を辞めることを決意していた。それまでの間、奇妙な行動を見せた”ジーニアス”とやらに付き合ってみるのも悪くないかも知れない。
そんな理由で彼らは一緒に行動をし始めたのだった。それが一体何を生み出すことになるのか、彼らはまだ知らない。
という感じで語られるちょっと変わった近未来世界の青春物語の1巻がこちらです。

天才とその他大勢と

という比較がでっかくドカンと描写されるのかなと最初は思っていたんですけど、それはいい意味で裏切られた感じがしますね。
この話の主人公は竹原高行という挫折した少年であり、そしてその目から見たどこかに歪みのある近未来社会を描きつつ、彼の再生を描き上げた作品となっていたからです。
確かにジーニアスと呼ばれる天才は出てきますし――というかヒロインか――その天才に振り回される主人公というのが基本的な構図となっていますけど、いわゆるよくある”なし崩しに主人公が巻き込まれてグダグタな展開になる”というライトノベルにはなっていないという事です。
高行少年は未熟ながらも確固とした主体性を持っており、物事に関わるときはそこに常に自己との対話(長かったり短かったり色々ですが)が存在しているように思いました。曖昧な状態には期限を設ける、甘い誘いでも堕落するような誘いには乗らない、安易な逃げには走らない、などといったどこか自分に対しての厳しい視線を忘れてはいない――そんな少年が主人公です。

だからなおさら

足のけがによって高飛びをする道を完全に奪われた高行が正直不憫でなりませんでした。
逃げ出すような道を決して好んで選ぶような少年ではないという事が他の場面での行動から透けて見えるので、高飛びをすることを永遠に奪われてしまったという事実が彼にどれだけの喪失を与えたのか、そしてその出来事以来部活に顔を出さずに逃げようとすることはどれだけの苦しみなのか、彼の心の痛みとはどれだけのものだったのか間接的に浮かび上がらせて来るようでした。
そして現実は残酷で――彼をその事実からいつまでもそっとしておいてはくれません。高行は良くも悪くも構内でのトップアスリートだったので、その特権的な立場を利用して好き放題やってきたツケを払わせようと色々な人間が寄ってくるわけです。高行自身が自覚していますが、まさしく因果応報というヤツかも知れません。
しかし、既に極刑を受けている人間をさらに苦しめようとする行為には一体どんな正義があるのでしょうか・・・。私も人としてそうした人たちの気持ちは分かるのですが、それらを客観視した時、どこかしらに単純だけど根深い醜さと邪悪さの片鱗を見ているような気がしました。
まあ結果としてその事は高行を救うことになるのですが、それはしかし、高行が戦うことで勝ち取ったささやかな栄誉であって、間違っても彼に一泡吹かせたいと思っていた有象無象の手柄ではないことだけは間違いないはずです。

そして同時に

この話はジーニアスとして特別な扱いを受ける無類の天才であるヒロイン海竜王寺八葉の物語でもあります。
これはちょっとしたネタバレになってしまいますが、天から何もかもを与えられていながらにして、その実何一つとしてものに出来ていない天才少女が、全てをそぎ落とした結果として身につけるに至った高行のジャンプの姿に魅せられたのは決して偶然ではないのでしょう。
大胆で活動的に見えて実はどこまでも繊細かつ奥手、勝手気ままに見えても実は計算しての行動。そうした振る舞いを見せるジーニアス・海竜王寺八葉は高行と性格的に似ているところがありながら、どこまでも正反対の素質の持ち主です。
また、基本的にお色気とお笑い担当なのも彼女なので、まさに八面六臂の大活躍とも言えそうです。まあタイトルが「ハロー、ジーニアス」なので、活躍してくれないと困りますが。
その人となりを説明しようとすればまずは”ジーニアス”である、と表現される彼女ですが、それ以外の部分で実に魅力がある少女です。序盤と後半では全く違った姿を見せることになり、恐らく読者の感じる印象も真逆になってしまいそうな少女なのですが、未完成品だからこそ発揮できる魅力が不思議なほどに溢れているように感じました。

「僕は、色んなものから逃げてきた。色々なものを怖がって、逃げて逃げて逃げ続けて、そのせいで周りの人を傷つけて、そのことからも逃げ出して、そういうことをずっと続けてきた。日本に戻って、一年間引きこもって、考えて考えて、考えているだけじゃ駄目だと分かった。だからもう、どんなことからも逃げないと決めたんだ」

今始めて逃げるという選択をしている高行と、今始めて逃げないという選択をした海竜王寺。対極的な二人ですが、根っこに流れる部分で似ている二人でもあります。また、彼女と高行はこんな会話もしていました。

「不可能性を選択するということは、山を切り崩してそれらしい形を見つけ出すこと。可能性を選択するということは、土を盛って自分の望む形を作り上げることだ。できた形は同じかも知れないが、きっと土を盛った方が眺めは良いに違いない」
「お前は俺をフォローしてるのか? それともけなしてるのか?」
「そんな意味のないことはしない。ただ事実を述べているまでだ」

可能性の固まりである海竜王寺と、不可能性を体現した高行。荒削りでまだ形のはっきりしない海竜王寺と、削り上げて鋭くとがりついには致命的な亀裂の入った高行。真逆の存在なのに不思議なほど重ねた姿が同じように見えるというのが面白い対比ですね。

また

周囲を固めるサブキャラクターたちもなかなかに魅力的です。
ただし残念なことに、一部のキャラクター以外は活躍の機会がないままこの1巻は終わってしまいます。口絵カラーにページを与えられていながら殆ど登場機会すらない有屋美月や、高行の寮に住んでる香澄おねえさんなどがその典型でしょうか。他にもやはり寮の関係者である瑠璃垣のおっさんや、陸上部の顧問である馬門田子(モンちゃん)などがそれにあてはまりそうです。
流石に物語のキーマンとなっている高行のライバル・灰塚清彦や、灰塚に懸想する娘の伊佐勇里などはそれなりに重要な役所となっていますが、上に挙げたようなキャラクターたちは次の本では(確か2巻が出てるよね?)もう少し日が当たると良いのになとか思いますね。まああんまりあっちこっちに視点を飛ばすのも考え物なので、その辺りのさじ加減は作り手としては頭を悩ますに違いないところでしょうが。
しかし鷹嘴由真だけは今のところはっきりと嫌いですね。私は昔から”他者をコントロールする存在”というのが気に入らない質でして、生理的に受け付けませんでした。そのうちしっかりと報いを受けて欲しいと強く願っていたりします。まあ彼女本人にしか分からない苦労もあるんでしょうけど、その辺りをフォローしてくれると助かります。今のままだと唾を吐きかけたい位には嫌いですのでね。

総合

星4つは固い。サービス込みで5つでも良いかもしれないので5つにしておこうかな。
所々表現の仕方に揺らぎがあるような印象があって、まだまだ荒削りな印象を受けたんですけれども、それでも他のライトノベルではなかなか読めないような骨太の青春物語を読めたところが実に収穫でした。軟派で甘ったれた作品が増える中、少しでも気骨を感じさせてくれる作品に出会えるというのは幸せなことです。
高行と海竜王寺の物語はまだ続くようですが、正直この1巻で終わっても良いんじゃないかと思える出来でした。編集からの指示でラスト付近を2巻に繋がれるように直した可能性というかそういう匂いがプンプンしましたが、それでも悪くないと思える出来じゃないでしょうか。読んで損のない作品だと思います。
イラストはナイロン氏です。良いですね。カラーも白黒イラストも一定以上の水準に達していると思えます。特に白黒イラストの方はなかなかに頑張っているんじゃないでしょうか。まだまだ頑張れるとは思いますけれども、背景などに手抜きを感じないのが非常にポイント高いですね。背景が当たり前のように真っ白な絵師さんとか多いですからしてね・・・。

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