「いつも感想中」的、感想文の書き方
先日
コメント欄でこんな質問をもらいました。
いつかは自分も感想ブログを作りたいと思っています。そこでhoboさんは書評を書かれるときには、何を注意して書かれていますか?
おお〜、っていうか実はあまり考えていたことが無かったのでちょっと考えてみました。質問文を読んだ直後こそ、
何にも注意して書いてないというか、何考えてるっけ!?
という案配だったのですが、やっぱり幾つかの事に気をつけて書いているようです。それを今回はまとめてみたいと思います。その、質問していただいた方への回答になっているかどうか分からないのでその辺は心配ですけど・・・。
と言う訳で、以下から本題に入ります・・・というか、多分以下の一言で片がつきますね〜。それはどんな内容かというと・・・。
読書感想文は料理の感想を書くように書く
です。
ちょっと曖昧すぎて分からないので、その辺りをかみ砕いて以下で説明していきます。
例えば
あなたが毎日の食事の感想を書くとしたら、どんな風に書きますか?
- 何を食べたかを記録する?
でもそれだけだとレシピとかただの記録を取っているだけになってしまいますよね。
いや、過去の記録を見返すことで「今晩何食べたい?」と聞いてくるお母さんや奥さんの役には立つかもしれませんけど。
- どんな技法や素材が使われた料理だったかを記録する?
うーん、料理評論家だったらまだ分かりますけど、普通の人は違いますし・・・それは感想ではなくて批評とか分析とかになりますかね。
これは特殊な才能とか知識が無いと書けなくなってしまうと思います。
うん
これらはやっぱり両方とも感想とは違うような気がするのです。ある特定の要素が両方から欠けているからですね。
それは「食べたときどんな気持ちだったか」という要素です。それを第一要素——つまり一番書きたいこと——として持ってくることが大事なのではないかと思います。
例えとして、私が昨晩食べた晩ご飯の感想を書いてみたいと思います。
- 食べたもの
- 牛すじの煮込み
- ニラのおひたし
- 冷や奴
- ご飯一膳
これだけだとただの食事の記録ですね。では続けて・・・
牛すじの煮込みはその名の通り煮込み料理であって、如何にして牛すじに味を染みこませ、かつ柔らかく仕上げるかという辺りが大事な料理である。
具材には人参、牛蒡、蒟蒻、筍などが使用されており、それらを弱火で長時間煮込んで柔らかくした後、火を止めて味を具材に染みこませることによって完成するのだが、これらの過程に瑕疵があった場合、食べられなくはないものの味気ない料理となってしまう可能性のある料理である。
また、単に弱火で煮続ければ良いというものでもなく、煮詰まる分その都度味を確認して味の濃さを調整してやる必要がある繊細な料理である。その辺りについては慣れることによって解決されるのであろうが、一定以上の熟練が必要であることは間違いないであろう。
いやこれ、確かにどんな料理かとか、どんなところが注意するところなのかということは書けていますが、それだけですよね。気持ちもクソもあったもんではありませんし、読んでいて私がちっとも楽しくありません。やっぱりこの先に続きます・・・
「前々から作りたい!」と思っていた料理を作っているときの奥さんというのは何故かは分からないけれども妙にご機嫌である。
料理らしきものがほとんど作れないどころか料理をすることに喜びを見いだせない私のような人間にとっては実に不可解であるが、その辺りをつついたところで何やら良い結果がもたらされるとは全く思えないので、つつかないことにする。
うむ、下手に藪をつついてもろくな事はない。
という訳で完成したのが牛すじの煮込みを中心とした晩ご飯だったわけだが、実はこの料理、彼女の母君の得意料理なのであって、私も何度かご相伴に与ったことがある。それを正当に引き継いだ一子相伝の技というかなんというかそういうシロモノである。
で、味の方はと言うとこれが不思議、母君から伝えられたレシピ通りに作っているのであろうし、私にとっては正直非常に美味しいと感じられるのであるが、奥さんは不満らしい。どうしても母君の作った牛すじの煮込みの味にならないのだそうだ。
・・・言われてみれば確かに微妙に違う。ほんの僅かな差ではあるが、確かにコクという意味で何か足りないようだ。奥さんは自らが作成した牛すじの煮込みを目の前にしながら何やら再現性の乏しさにしょぼくれつつあった。
ピンチだ。これはピンチだ。
以前料理をを失敗した時の奥さんの凹み様は大層凄まじく、天の岩戸にこもった天照大神状態だったのでそうした危機は回避されないとイカン。
・・・こういう時、男の甲斐性が問われると言っても良いだろう。
今こそ、いーまーこーそー脳みそをフル回転させるときである!「いやいや待ち給え。確かにコクという意味では言われてみればなんとな〜く足りないような気がするわけであるが、それはバランスが悪いとか一手順足りないとかそういう事ではなくて、単に味付けの濃さの問題ではないかね?」
「うーん、そっかな〜?」・・・とにかく機嫌を回復させるのが大事なのであって、それ以外は基本二の次なのである。
「レシピ通りに作っているのであるから、後疑うべきは素材が良くなかったか、味付けの濃さぐらいしか疑えないではないかね? しかも何やら落ち込んでいるようではあるが、これはこれで大変美味しいではないか。何、気落ちすることなど何一つないのだよ」
「美味しいならいいけど……なんだかな〜」・・・奥さんの精神パラメーターに回復の兆しが見えた辺りでさらに次の一手をすかさず投入する!
「これで今回作った分は全部なのかね?」
「ん? 多めに作ったからあと一食分あるよ?」
「じゃあそれでもう一度味付けに挑戦してみたらどうかね? 味が薄いだけなら調味料を足せば良いことだからな。少々手間が掛かってしまうとは思うが、なに、納得するまでやってみれば良いではないか。もちろん、君が良ければだが……」
「そっか、そうだね〜。まあこれはこれで美味しいって言うならそれでいいし、またやってみればいっかー!」という訳で食卓発のご機嫌斜め危機は回避されたのであった・・・。
実際のところ料理そのものは非常に美味しかったので何を不満がるのかさっぱり分からないと言うのが正直なところだが、料理の善し悪しよりも奥さんの機嫌を第一に考えた方が何事もうまくいくのである。何しろ料理を作ってもらっているという大きな恩がある段階で、作ってもらった料理にケチをつけるなどと言う発想をもってはイカンのである!
このようにして牛すじ煮込みの変は終了した。これはこれで一歩間違えばキューバ危機並に危機だったのだが、終わりよければ全てよしである。
ごちそうさまあっ♪
とまあこんな案配で感想の完成となるのですね。書きたいのはその時どんな気持ちだったかであって、結果どんな体験だったかが書ければ良いのではないかと思うのですね。
まあ
書いていくうちに自分のやりたい方向性が見つかってくると思うので、その時はその時で方向転換すれば良いのじゃないかな〜なんて思います。
あ
あと気をつけていると言えば、
- 重度のネタバレは避ける
- 読者(基本未来の自分)の事を考えて書く
でしょうかね。自分で読み返したくならない感想は良い感想ではないんじゃないかな〜? なんて思うのですよ〜?
こんなもんですかね。どうですか〜? 参考になりましたか〜?