「のうりん」の絵問題から感じたことをつらつらと

「私はこんな感じでしたよ」

色々と騒ぎになってますが、いやあ、私がもしこのコラボの主催者側だったら絶対SNSで同じことやって炎上騒ぎ起こした自信が満々にあるって思うんですよね……だって本当にあの良田胡蝶ちゃんのイラストをエロいとか欠片も思わなかったもんで。
実際「可愛らしく描けてるなあ。さすが切符氏だぜ……」とかでしたから。
でも世の中を見渡せば「いやらしい……」「無理やりやらされてる感が凄い」「見た瞬間にセクハラ絵」とか言われていた訳で、正直かなりビックリしましたよ。

「なんでこんなに感じ方が違うのかしらん?」

……まあその後「俺なんでそう感じなかったんかなあ」とか考えた時、シンプルに「『のうりん』という作品に長く触れていて、良田胡蝶ちゃんをよく知っていたから」って結論に到達したんですけど。
これあくまで大雑把な例えですけど、

それらを今現在の世の中でエロとしてだけ切り出して多くの人が取り上げてああだこうだ言いたくなるか、っていうと、批判的な視点ではあまり無いんじゃないかと思うんですよ。だって「マリリン・モンロー峰不二子もそういう部分を含んでいる存在だから」って前提が出来上がってるからだと思うからです。「主人公がアフロって何考えてるんだ」「あのカッコ悪いメカデザインは何なんだ」って改めてケチ付けられても何がなんだか。だってこれイデオンですよ? みたいなもんです。

「キャラクター全体を知ってたからか?」

のうりん」の原作読んでると、それを当然のものとしてみる積み重ねを10冊とか続けてる訳です。
そうすると大騒ぎになった良田胡蝶ちゃんのイラストのあの姿も、

  • 畜産に関して凄い熱意を注いでいる真面目少女
  • ツナギ姿で牛の世話をする姿が標準
  • 同級生に非常に分かりやすい恋心を抱いていて微笑ましいを通りすぎている感じ
  • しかし物凄く素直ではないので一体どうなってしまうのか周囲がヤキモキする
  • 指摘されるまでもなく普段から胸がデカイのを恥ずかしがっている
  • 「む、胸のことは言うなっ!」

という原作における彼女のキャラクターを一枚絵で端的に表現しただけにしか見えないんですよね。胸がでかいとか恥じらっているとか、わざわざ「良田胡蝶を構成する個別の要素」を解体してどうこう言うとか思いつかなかったです。だって「良田胡蝶って元からそういう部分を含んでいる存在だから」です。
いやそれどころか……作中でしょっちゅう恥ずかしがっていたりするんで、

「胸のことで本人をからかったりするの止めなよ。本人も気にして恥じらったり隠そうとしたりしてるけど、良田胡蝶ちゃんはそういう人でしょうが。なのにわざわざ胸の大きさとか恥じらってるとか取り上げてどうこう言うのもセクハラの一部じゃん。エロいって文句つけてるお前の視線がエロいよ」

って実在の人物でもないのに考えたりしましたからね。

「どっちが正しいかなんて分かんねえ」

自分の考えが変な気がしてはいますけど、ぶっちゃけ本当にそんな感じでした。
……まあこの問題の切り口としては公共性の問題とかそれを仕掛けた側の思惑とかそもそものキャラクター創りの部分とか、まあ色々ありそうなんで実際にはそんな単純な話じゃないんですが。
でもあの絵を大騒ぎした人がほぼ原作未読であろうことは間違いないと思ってますがね。一人の独立したキャラクターとしての視点がないから、キャラの一要素だけ自然に抜き出して批判するんだろうって思ったりします(或いは強度のおっぱい星人で、胸が大きいと問答無用でそうしか見えない、とか)。
でも改めて絵を眺めてみて、

確かにキャラクターとしての手がかりなしのまま、この絵を要素だけを手がかりに見たらエロく見えるか? ……そう見えそうだな……。というか見る人は確かに一定数いそうだな……。

って気がついたのが随分後です。
キャラクターを知ってる人知らない人、目にする人に両方いるのは分かりきってることですからね。ファン向けのコラボとしてはエロくなくても(私みたいな感じ方の人とか)、偶然それを目にした人にはエロく映ったりするも避けられないし、そしてエロいって言い出した人に対して「そりゃお前の受け取り方が変だろ」とか言うのもまた間違ってるって思いますし。
地味に「目をつけられたのが運の尽き」って言えなくもない気がしますが、それ言ったら身も蓋もないですね。でも本件の内部と外部の大きな温度差は、恐らくこの辺り「要素で見たか/キャラクター全体で見たか」にあるんじゃないかと思ってます。

「誰がエロいって決めた!?」

もちろんエロいって誰がどう感じるのかって千差万別過ぎて分からないってのももちろんありますが。
はてブのコメントにも書いたけど、かつて西洋では裸婦画が猥褻なものとして大批判の憂き目にあっていた時代があります。今の世なら大多数が美術史に残る作品として見るマネの「草上の昼食 」とか、当時激しく批判されたことでも有名だったりします。さらに時代を遡れば裸婦画描いて異端審問会に没収されたりとか。「鏡のヴィーナス」という裸婦画なんて怒り狂った女性に包丁で刺されまくったなんて事例も実際にあったりします。……20世紀の話ですよ?
猥褻というのは半世紀違えば、或いは土地が変われば、文化的背景が違えば、宗教が変われば、そして受け手の状態が変われば全く違ってしまうようなものだってことです。昭和初期の日本の女学生が現代の少女たちのような短いスカートを着たら、当たり前のように下品とか恥知らずと言われそうです。水着でビキニ着たら恥ずかしくないのかと聞かれたでしょう。うる星やつらラムちゃんの姿がヤラシイって騒ぎになったのもそう遠い昔の話じゃないですよ?
日本で有名な「チャタレイ裁判」とかの事例を出すまでもなく、猥褻とか卑猥っていうのはいつでも酷く曖昧です。それは性的興奮を何から得てしまうかという点に不変の合理的な正解が存在しないからです。

「疑ったりしないの?」

なので、「のうりん」絵でも「これを問題あると感じられない人の感覚はおかしい」とまで言い切っている人とかいましたけど、なんで猥褻とかいやらしさなんて曖昧な存在のものについてそこまで断言できるのか私には良くわかりません。いやらしいって感じることが理解できないのではなく、時代とともに大規模アップデートされることが避けがたいシロモノで、自分の立ち位置もあやふやなのにそれを曇りなく信じられる心境が理解し難いと言いたいのです。特にこの件は18禁とかのレーティングみたいにルール化されている部分を乗り越えちゃってる訳でもないですしね。
ただ同時に「この『のうりん』の絵には問題は全くないだろいい加減にしろ!」とか言いたいわけでもないです。単に、「貴方の自称”正常な感覚”を保証してくれるものは一体どこにあんの? 疑問に感じないの?」って言いたいだけなんです。
「私とは違いすぎる」「この絵を不快に思う」とかならよく分かります。でも時々「世間というのは、私でしょう?」ということを平然と宣って、それどころかそれを世の中に強制する人がいたりするので油断できません。まあ些細な言葉遣いの問題の部分が多いでしょうからあまりカリカリするようなことでもないんですけど、間違いなくいますよね。
……言うなればマナー問題みたいなものでしょうか? エスカレーターの右側は空けるのがマナー、みたいな。いやでもそれ正しいの? 誰にとって? 貴方の口にするマナーって単なる俺マナーじゃないの? って思ったりすることありません?
それと同じような問題だと感じてます。

「貴方は何がエロく感じます?」

ついでに、私個人の話になりますが、こうした現代のアニメ調のイラストとかと裸婦画を比較して見た場合、よりエロく見えたりするのは裸婦画の方だったりすることがしばしばあります。
なんというんでしょうか……画家の視線を通り抜けて出てきた女性の裸の絵って、そこにはエロスに関する幻想とか妄想的な何かとか画家の主観を含みまくってる訳じゃないですか。それを見るっていうのは……まるでお熱い夫婦の寝室を覗いているような気分になる時があるというか……。
裸のマハ」って有名な絵がありますけど、あれとか画家とモデルの間の物語を想像して色々と悶々とします。あの女性の眼差しとか、それを受けながら絵にする画家の気持ちとか……なんかそういうのです。
作品に含まれる物語というか作家性というか、そういうものが私の脳内のエロスイッチに直結することがあるってことですかね。もちろん逆に物語性がエロを完全に排除することもあります。私の場合、前者が「裸のマハ」だったり、後者が今回ののうりん絵だったりするって話で、そういう人は珍しくないんじゃないかって話です。
まあ上手く説明も出来ないんですけど、でもまあそういう人もいるんだってことを押さえておいては欲しいです。

「Noが嫌なんじゃないです」

繰り返しますけど、あらゆるコンテンツは公開先の場を意識する必要がないなんて言うつもりはないんですけどね。好きなものは好き、イヤなものはイヤって言われる、それ普通の反応ですよね。
結果として主催者はチラシを回収したんでしたっけ? それはそれで間違った判断だとかもちろん言いません。批判している人がおかしいとかももちろん思いません。感じ方はみな違うものだし、そういう人たちの不快感を黙殺するのもまた変だろうと思うからです。そもそも事の発端は観光絡みの宣伝話ですし、無視していいどころか笑い事じゃないでしょうし。
私個人が本件で不快に思うこととすれば「自分の偏見を『一般的に』『世間では』『常識的に』『ポリティカル・コレクトネスの観点から』などの言葉で多数派を装って押し付ける声だけでかい人」がイヤなんです。
……まあ私もいろいろ口走ってきてますから、人ごとじゃない感じはひしひしとしてますけど……。私は正しい、お前は間違ってるって言い切るのは快感ですから。……でもそんなことこの世の中にどれだけあるんだろうっていつも思ったりしますので、この手の話はずーっと口を噤んで黙々と人生を歩いて行くのが一番利口な振る舞い、かも知れません。

まあ久しぶりに

脳内に出力したいことが溢れてきたんでまとめましたけど、すっきりしたようなしないような……。でもいわゆる偏見とか主観でしか見ることが出来ない話題って難しいです。……さらに考えてみれば、ブログなんて個人の偏見の塊の表明みたいなもんですし……偏見から自由になるというのは……(以下永遠にループ)