『すすめ、ぬれねずみしょうたい』

げんあん:おくさん
ぶん:ほぼきんぐ
え:だれかにおねがいしたい

あるよるのおはなし。
ぬれねずみしょうたいのふたりは
きょうもげんきにあるいています。
ぬれねずみしょうたいには「ぜんしんあるのみ」だからです。


えらいたいちょうはとことこ。
ぶかのたいいんはぴょこぴょこ。
とことこ。ぴょこぴょこ。とことこ。ぴょこぴょこ。とことこ。ぴょこぴょこ。とことこ。ぴょこぴょこ。
ふたりはじまんのながいおひげをゆらしながら
あるいてゆくのです。


でも、よるのふかいひには、たとえきびしいくんれんをうけたふたりでも、ちょっとだけ、ほんとうにちょっとだけこころぼそくなるのです。
「たいちょう、くらいよるですね」
「ぬれねずみしょうたいはあめのよるにしゅっぱつするから、くらいよるなのはしかたがないのだぞ」
「それにしても、くらいよるですね」
「ふむ、たしかにこんなにくらいと、あしもとがあぶないかもしれんな。そうだ、あかりをさがすぞ」
「あかりがあればあんしんですね」
「ふむ、あかりがあればあんしんだ」
「わかりましたたいちょう。あかりをさがします」
「ふむ、がんばってさがすのだ」
あかりをさがしながらふたりはやっぱりあるきます。
とことこ。ぴょこぴょこ。とことこ。ぴょこぴょこ。とことこ。ぴょこぴょこ。とことこ。ぴょこぴょこ。


そうしてしばらくあるいたあと
ふたりのまえにちいさなあかりがみえました。
「たいちょう、あかりがみえます」
「ふむ、あかりがみえるな」
そこにはいっぴきのほたるがいたのでした。
ほたるはたのしそうにおしりを
きゅっきゅっきゅっ
とみがいて、ぴかぴかとひからせています。
「ふむ、われわれもおしりをみがいてあかりにしよう」
「はい、たいちょう」
ふたりはほたるのまねをして、じぶんのおしりをきゅっきゅっきゅっとみがきます。
ながくてりっぱなしっぽもこのときばかりはくるんとまるめてみがきます。
きゅっきゅっきゅっ。きゅっきゅっきゅっ。きゅっきゅっきゅっ。きゅっきゅっきゅっ。
でもちっともほたるのようにひかってはくれません。


そのときふたりのようすをみていたほたるがいいました。
「おしりをみがいても、きみたちじゃひからないよ」
「ふむ、どうやらそうらしい」
たいちょうはおしりをみがくのをやめていいました。
「ほたるどのはどうやっておしりをひからせているのですか」
たいいんはざんねんそうにおしりをみながらききました。
「これはね、ルシフェリン-ルシフェラーゼ反応と言って、励起状態にあるカルボニル基の酸素原子が基底状態に戻るときのエネルギーの差が光になっているんだ」
ほたるがむねをはっていいました。
「ふむ、たしかにぬれねずみしょうたいのそうびひんにはそのようなものはないな」
「たいちょう、こまりましたね」
「ふむ、くらいよるだからな。なんとかしてあかりがほしいのだが」
たいちょうはこまってかんがえこみました。たいいんもこまってかんがえこみました。


そんなとき、ほたるがいいました。
「どこまでいくのかしらないけれど、ちかくまでならぼくがあしもとをてらしてあげようか」
そういってほたるははねをのばすと、ぬれねずみしょうたいのふたりのまわりをとびました。
「たいちょう、ほたるどののおかげであしもとがあかるくなりました」
「ふむ、これはうれしいことだな。ほたるどの、ではこのやぶのでぐちまでおねがいできるだろうか」
「いいよ。ぼくにはかんたんなことさ」
ほたるはふわふわととびながら、たいちょうとたいいんのあしもとをじまんのおしりでてらしました。
「ふむ、これであんしんだな」
「たいちょう、これであんしんですね」
こうしてぬれねずみしょうたいのふたりはこのよるもあるきつづけたのでした。
どこかにあるという『チーズの森』をめざして、ふたりはげんきいっぱいにあるいていくのです。