少女七竃と七人の可愛そうな大人

少女七竈と七人の可愛そうな大人
少女七竈と七人の可愛そうな大人桜庭 一樹

角川書店 2006-07
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おすすめ平均 star
star鮮やかな赤い色。
star母を許す長い旅
star不思議なほど綺麗な文章

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この本の帯には大変印象的な言葉が書かれている。

わたし、川村七竃十七歳は大変遺憾ながら、美しく生まれてしまった。
男たちなど滅びてしまえ。
吹け、滅びの風。

この本を読み終わった私は言った。
「なんと憎しみが美しく描かれた話だろう。そして、美しい筈の愛や恋がなんと醜く描かれた話だろう。そしてどうして私はこの憎しみを当然のように自分の内に感じてしまうのだろう。そしてどうして愛や恋が醜く描かれる事に納得してしまっているのだろう」
これを聞いた連れ合いはきょとんとしていた。その後しばらく間を置いて、ため息のように連れ合いが言った。
「嗚呼、嗚呼、私達はいつの間にか大人になってしまったのだなあ」
私は気がついていなかったためにはっとした。それは当たり前のように私がもはや少年少女ではなく「七人の可愛そうな大人」側に属しているのだという事を悟らされてしまったから。
読了後に少女七竃や少年雪風の行動に対して感じた気持ちは本編のあちこちに満ちた閉塞感を裏切るかのような得体の知れない清々しい気持ち、そして未来への仄暗い希望。しかし私の今の現実の暮らしにそんな曖昧なものは何一つなく、すべてラベルをふられてしまった古ぶるしいものばかりだ。だから正直、彼女らに我が事のように感情移入出来たかどうかと言われれば上で述べたように、怪しい。彼女達には私がもう無くしてしまったものばかりがあった。そしてそれはとても不安定で、それゆえに美しい。


・・・別の切り口でもう一つ、この作品を語ってみようと思う。

「君がそんなに、美しく、生まれてしまったのはね」
「ええ、ええ」
「君がそんなに美しく生まれてしまったのは」
「ええ、ええ」
「母親がいんらんだったからだ」
「ええ・・・」

これは七竃と雪風の会話だが、実はこの会話はとても激しい恋の囁きでもある。本書を読んでみて確かめて欲しい。それと同時に「いんらん」という言葉の表現が露にするように、彼女達にとって「淫乱」と「いんらん」は違う。決して、全く、リアリティを持っていないのだ。なんと美しい無知。
私は彼女らが七竃の母が淫乱というのを半ば真実として言っているのではないかと感じたが、私は少しも淫乱に思えなかった。淫乱どころか只の激しい恋の犠牲者。
子供達は若木。青々と、黒々と枝葉を伸ばし、いずれ何者かになっていく。それは薄暗く、しかしそれでも希望。
大人達は炭。しかし美しい炭は少なく、しばしば名残惜しげに燃え残り、黒い煙をあげてくすぶる。もう何者にもなれない。それは余生という監獄。大人達は皆、罪人のように苦しい現実をゆっくりと燃え尽きてゆく。

・・・これ以上は私は語らない。ここまでで言葉もつきてしまった。それに私には、恐らくこの本の読者の感じるであろう仄暗い希望と優しさを自分の醜い言葉でかき消してしまう様な言葉を紡ぐ事はできない。
それぞれ、ぜひ手に取ってどのように読了後どのように感じるか、確かめてみて欲しい。


それから、この本に星の数は付けない。私が星の数を付ける気でいるのは、自分でライトノベルと思えた本だけだから。