帰る男

年末ともなれば街は今年を終わりにしようと言う活気に満ち満ちていて、騒がしい。
あちこちで忘年会最中と思われるサラリーマンの一団がおり、時折奇声を上げている。社会人ったってその辺りは学生のコンパと大して変わらねえじゃねーかなどと思いつつ、僕は目の前でぶっ倒れている男を見た。会社の先輩だ。しこたま飲んだ挙句腰が立たなくなってぐんにゃりとアスファルトに潰れている。お前はタケノコを喰わされた猫か!と心の中で突っ込みつつ、ここぞとばかりつま先でわき腹に蹴りを入れる。先輩は酒が弱く、ここまで酔えば何をされたとしても翌日覚えていることは無いという事を体験的に僕は知っていた。
「・・・ったく、なんだって今日に限ってそんな飲むんです」
飲み会のシーズン、習慣的に一定以上の理性を残してしまうものは悲劇だ。大抵はへべれけになった野郎の世話を任される。今の僕がまさしくそうだ。相手が若い女性なら大歓迎だけど、あいにく僕が所属する会社は小さく、社員の中に女性の姿はなかった。
「いやあああね、頑張ったんだよ? 頑張ってきたんだよ?」
突然でかい声を上げる先輩。酔ったオッサンは地上で最悪の生命体だ。
「・・・いや訳が分かんねえから」
どうせ何言っているのが自分でも分かっていまい。先輩は相変わらずぐねぐねと奇妙なタコ踊りをしながら地面を這っている。ところでそれ、ブランド物のスーツじゃないんすか。
「いやモテたかったんだよ? おい、聞いてるか?」
「聞いてますよ・・・まあ男でも女でもそんなもんじゃないですか」
「だからさー、モテようと思ってキモイって言われそうな趣味を全部ヤメたんだよ。漫画沢山買ったり、ゲームやりまくったり、アニメ見たりとか、ラノベ買ったりとか、全部だ、全部」
ラノベ?」
ぐねぐねが少し止まり、先輩は顔を上げた。
「なんだよしらねーのか、ケッ! フン・・・まあいい。ライトノベルだよらいとのべる。少年ー少女ーむきぃの、小説!」
「そんなもん読んでたんすかあんた、いい年こいて」
「いい年こいてとかいうな! いやだからヤメたんだってばさ!」
「はあ、そうすか」
本当にどうでもいい話だ。
「でな? その金をファッションとかモテそうな趣味とかにつっこんだワケー」
「そのスーツはそうした一大決心の産物すか」
よれよれになっているMOSCHINOのスーツも変な男に買われて可愛そうに。
「で、っでさ、見事にゲットしたあけよ、それが例の彼女」
「うまいことやってんじゃないすか」
先輩はしかし、そこで突然目を据わらせた。
「・・・でもよぅ、あいつはさあ最近こういう事なわけ。『あんたって中身が無くて実はつまらない男だって事に気が付いたの。だから、サヨナラ。別に好きな男が出来たの』だとさ! パア〜ですよ、パァ〜! はぁ!? なめんじゃねえよなめんじゃはあ! こちとら5年にも及ぶ血の滲む努力の結果、何もかもなげうって社会復帰してんだぞコラあ、オタクやめた分いい目にあったっていいじゃねえかよお、それともあれか、オタクはもう永遠にダメか? 呪われた存在なのか? 忌み子か!? コミケ行ったらキモイか!? 引きこもるぞこのやろう!」
なんとまあ、変な努力をしている人もいたものだ。それで先輩の行動には妙に付け焼刃じみたところがある訳だな。こんな秘密があったとはね。明日みんなに言いふらそう。
「ちくしょう、古巣に帰ってやる。もう俺を止めるものは何もねえ! 明日からラノベ大人買いだ! かつて全力でオタクだった男の底力を見せてやる! 見せつけたるど!」
ぐはあああああああ〜。と、地獄の悪鬼もかくやという表情で何も無い空間を威嚇する先輩がそこにいた。いつの間にか立ち上がっている。つまり、あれだな。これが負け組みって奴だな。しかもサイアクなタイプの負け組みだ。負け組みというより転落組み、解脱組だな。確かにキモイ。
僕の心の言葉はともかく、体が周囲の状況に反応して素早く動く。手を上げた。つまりタクシー。
先輩が立ち上がったのをいい事に止まったタクシーの後部座席に先輩を叩き込むと(事実足蹴にした)、運ちゃんに行き先の住所を告げてドアを閉める。タクシーの運ちゃん、客がキモくて悪いな。でもそれも仕事のうちだろ?
まだ動き出さないタクシーの後部座席から、ガラス越しに歯を剥いてなぜかこちらを威嚇する先輩が見えた。いったいどんな生き物なんだアレは。そうこうしているうちに観念したようにタクシーが走り出す。タクシーの中から先輩が「ちくしょう! ちくしょおおおおおおおおお――――!!!!!」と叫んだ声が聞こえた。あんたどこの誰だ。
夜の闇の中に先輩を乗せたタクシーが消えていく。あんな中年にはなりたくないなあと僕はため息をついた後、可愛い奥さんの待つ家へと帰ることにした。



この作品はフィクションです。実在の人物、団体、事件などにはいっさい関係ありません。
来年もどうか皆様よろしくお願いいたします。