比翼連理になりたいね

Something Orangeさんのエントリを出発点にして、何だか色々な人(自分含む)が色々な意見を提出していてとっても面白いですね。
所で、私のスタンスは元のエントリの通り「自分を赦すのは一人では出来ない」という事なんですが、実はこれと一緒に哲学者のミシェル・フーコーの「権力は下から来る」という言葉を思い出したりしてました。

この言葉に対する

私の理解が正しければ――

権力というものはありとあらゆる人の中に分散して存在しているものであって、目に見える権力者の持っている権力は、実は下からの力の集合体として存在しているものだ

という事だったと思う。

何でそんな言葉を思い出したか

分かり難い(俺もよく分かんなくなってきた)かもしれないので、この話を先生と生徒の関係に喩えて説明してみようかな。

  • Case1
    • 先生は生徒をちゃんと指導する気がある
    • 生徒は先生の指導を受け入れる気がある
  • Case2
    • 先生は生徒をちゃんと指導する気がある
    • 生徒は先生の指導を受け入れる気がない
  • Case3
    • 先生は生徒をちゃんと指導する気がない
    • 生徒は先生の指導を受け入れる気がない

さて、この3つの例を見て頂いて、Case1のように理想的な教師と生徒の関係を構築するためにCase2では「何が足りないのか」というと、「生徒が先生に寄せる信頼」からくる「権力」な訳です。2のケースでは、先生にやる気があっても生徒から信頼を勝ち得ていないため権力がない。だから言うことを聞かせられないために指導出来ない。
確かに自分が先生として指導して行くつもりがあるというのは間違いなく大事なのですが、それは自分一人が叫んでいたとしてもただの裸の王様になるだけだという事ですね。
生徒一人一人が与えてくれる「信頼の集合体」=「権力」こそが「先生の指導力」の正体な訳です。
Case3はそれ以前の問題ですね。

さて

上のケースを今回の「許す/許さん」の話に置き換えてみようと思う。

  • Case1
    • 私は私という人間をちゃんと許し(認め)ている
    • 他者もあなたという人間を許し(認め)ている
  • Case2
    • 私は私という人間を許し(認め)ている
    • 他者はあなたという人間を許し(認め)ていない
  • Case3
    • 私は私を許す(認める)気がない
    • 他者はあなたという人間を許し(認め)ていない

こうなるのかな?
で、私が今回言いたかったのはCase2のようなケースが想像出来たからですね。先生と生徒の関係で言えば、

自分がいくら先生だって言い張ったって、生徒が認めてくれなければ先生になれたと言い難いんじゃないかな?

という事なのです。
まえのエントリでコメント欄に書いたような気もするけど、無人島に一人で暮らしているのなら別に裸の王様でもいいですけど、実社会で自己完結しても意味ないかなと。
この話でも上の「信頼」=「権力」の話と同時に、沢山の人に認められればそれだけその許しは強く、大きくなっていって、心の平安も強くなるでしょう・・・という事です。

もちろん

それが独りよがりみたいなものでも両方の例でのCase3のような「誰も彼もが何もかも諦めていてグダグダ」よりは信頼関係を「いつか築ける可能性が生まれた」という意味で遥かにマシだと思います。

そうすると

自分で自分を認めるのも大事なら
他者に自分を認めてもらうのも同じだけ大事
どちらかが欠けても不完全だと思う
という結論です。
私の書き方も悪いんですが、もとのSomething Orangeさんのエントリに全面的に反対するような感じではないという事ですね。なんとなく補足したかったというイメージに近いでしょうか?
「自分を許す」のは「許しの過程」のスタートの一つに過ぎないのであって、それで完結するようなものではないんだろうという事です。

ところで

だから、発想を逆転して、他者を先に赦すべきなのである。普通の発想からすると、そんなことをしたら、自分一人だけが赦されず、ますます不遇感が募ると考えるかもしれない。だがまさに、そうではないと言いたいのだ。
萌え理論Blog「まず、あなた自身が他人を赦してあげて下さい。」

これは話としては分かるけど「具体的に許しを得るための方法論」になってしまっているので、一歩踏み込んだ別の議論じゃないのかな? ニワトリが先かタマゴが先かって話ですか。この場合は自分から始めましょうという事ですね。
許しというものはどちらかだけで成り立つものではないというのは上に書いた通りなので(恋愛とかもそうですな!)、自分が始めるか、他者から初めてもらうか、というのは確かにありますね。因果は巡る糸車、情けは人のためならず。
上のCaseに翻訳すると「まず先生が生徒に心を開いて、そこから信頼を勝ち取りましょう」という事でしょうか。それはそれで悪くないですね。でも、突然愛されたりする方がドラマチックで良いかもね? 当たり前か・・・。