殺×愛4—きるらぶ FOUR—

もう5巻に期待する事にするよ・・・。

殺×愛4―きるらぶFOUR (富士見ファンタジア文庫)
殺×愛4―きるらぶFOUR (富士見ファンタジア文庫)風見 周

富士見書房 2006-06
売り上げランキング : 106325

おすすめ平均 star
starほのぼのできました。
star…なんというか
starミニスカチャイナドレスの後はウサギさん

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

注意喚起のため設定

読む人によってはここより下は『心の安寧を損なう酷評』になっている可能性が高くなっております。

ファンの人は要注意! この感想が地雷です!

我慢の前半

恋模様すら——羨ましくない

ちなみに学園祭パート(本編では「Side B 学校生活を送る僕たち」)の方の話ね。すっごい不思議なんだなコレが。
微のなまちちあたったり、オトナのチューしたり、来夏に不器用ながらも言い寄られたり、サクヤが自分の事でやきもきしたり・・・決して嫌いなはずではないシチュエーションが、一つとして羨ましいと感じない
少女たちは可愛いのだけど、ロボットのフリをしている少年と乳くりあっていても、それはただの現象であって恋ではない。心を殺した密に感情移入が出来ない私は完全に置いてけぼり。・・・無感動を全面に押し出した密は人としての偽物感がありすぎるんだな。
苦悩しているのか?、無視しているのか?、熱血しているのか?、ウソをついているのか? 無気力なのか? その時々で態度が一貫していない感じが強くて、一体何を見ているのか分からない。だから何処まで言っても私という読者は傍観者だ。そうなると人の恋模様を覗き見している気分になって、全く楽しくない。電車の中でいちゃついているカップルを眺める時のような空虚さ
しかし、無気力を決め込んでいるかと思えば状況に流されて熱血したりする。その変化には途中がなくて0と100みたいに極端を行ったり来たり。細かい心の動きが追えない。躁鬱が激しすぎる人とでも言えば良いのだろうか? よく分からない。

現実逃避指数が高過ぎ

フムン。またしてもあり得なさ指数がの学園生活が繰り広げられていますな。
しかし不思議なのが、いわゆるあり得なさ指数が高い学園生活を描いたラノベは数あれど、ここまで「ありえねえ〜」って思う本も珍しいんだよな・・・。

『ようやく訪れた《平和》だ。しかし、この穏やかな日々は、長く続かないかもしれない。明日にも、終わってしまうかもしれないんだ。なあ、諸君。我々は、ただ漠然と平穏を享受するだけで良いのだろうか? 一日は八六四〇〇秒しかない。かったるい授業だからと一時間居眠りをしていれば、そのうちの三六〇〇秒を失ってしまう。そのように無駄に《平和》を浪費してしまっていいのだろうか?』

『実行委員諸君、クラスへ戻ったら、こう伝えろ。学園祭終了時までにダンスパートナーを見つけろ、とな。そして、後夜祭で愛のダンスを踊るのだッ! 共に桜花祭を作り上げ、その後、気になるアイツとかがり火の前で舞い踊る……。触れ合う手と手、絡み合う視線、高鳴る鼓動……。嗚呼、実に感動的じゃないか! これを機に多くのカップルが生まれるに違いないぞ!』

必殺恋愛仕掛人高天原Aのこのあり得なさも凄い。というか物語の主題からすると存在自体が既に違和感。
それから高天原Aに普通に追随する生徒達がまた嘘くさい。とにかくお祭り騒ぎ感が嘘くさい。こういっちゃなんだけどリアリティといったものが欠片もない。その辺りを一番端的に現しているのはp150、p151あたりの学園祭の呼び込みの声だな。流石に2ページに渡ってかかれた文章を引用するのはやめるけど、TVの向こうのアニメの戦争くらいにリアリティがない
ついでに言えば、学園祭にのめり込む姿は気味の悪さすら感じてしまう。誰も彼もが生きる戦いを放棄して、死の恐怖を紛らわせるために狂ったように「思い出作り」に走る姿って素晴らしそうに見えてその実、夢も希望もないよね?就職直前の高校生か!?
オマケで言えば《平和》の定義は人によってちがうんだ馬鹿——とか誰も言わないのが凄い変だ。
そんな話を密の傍観者視点で見ている事の苦痛と行ったら・・・あなたそら、相当なもんですよ? 熱狂に巻き込まれて自分を騙す事すらできない。・・・何かの拷問?


(余談)
フォークダンスは羨ましくないどころか、苦々しさすら感じるぞ?

  1. 破滅を待つ世界でダンス
  2. 折角だから好きな相手と踊りなさい
  3. 頑張って恋愛しろと生徒会長
  4. だけど僕には相手がいない

自分だったら間違いなくこうなるというのが分かりきっているからな!

程よく後半

前半は酷い印象だったけど、密がそれなりに学園祭に参加する気になってくると話が変わってくるんだな。
彼が情景を映すだけのカメラから人物に昇格する事で、作品内に自分を投影する場所がある程度生まれてくる。そしてそこから見る学園祭は——まあ良いね。青春って感じだ。たとえそれが夢も希望もない出来事でも、少なくとも物語に参加できるから。
密の隠しつづけ、偽りつづけたホンネが垣間見えだすとき、話は突然流れに乗る。それまではただただノイズが垂れ流されている駄作だな。
気違い帽子屋——マッドハッターという人物が密に接触し、ALICEの現状とサクヤの本当が物語を流れ始めると実に面白い。傍観者ではなく参加者になる瞬間とでも言えば良いのか。

最終章で

我らが密はある大事なことに気がつくのだけど、これについては一番最初に書いた理由からまったく心が動かなかった。笑ってしまう位空虚すぎた。本当に前半の前降りがまったく機能しなかったな。
ただ、密が本気になっているお陰で本筋(?)の「Side A 街を守る僕たち」は楽しい
残酷な現実はあるけどそれと戦っている姿は《厳しい現実から目を背けるために行われる祭》より遥かに希望に満ちあふれ、輝かしい。学園祭は盛り上がれば盛り上がる程《シリアスな現実逃避》の色合いを強め、空虚かつ退廃的に感じられるのだけど、裏で戦う密とサクヤだけは真の希望がある。
ついでにいえば、短編っぽい作りになっている「クリスマスリバース」は実に良かったね。にゃみちゃんが色々とダイタンなのにくわえ、来夏が素直になり、サクヤが真剣になる。この話は楽しく読めたな。

総合

我慢の展開、ついに付いたぜ星2つ。
前半読んでいてキレそうになった。「SideA」「SideB」という交互にシリアス/コメディがやってくる展開でなかったら途中で壁投げしてたな、きっと。しかし後半は良い。ぶっちゃけ、後半だけで十分かも。
この作者、どう考えても青春学園コメディとかに向いてないと思う。学校に行った事のない人間がマンガやアニメから仕入れた知識を元に場面を作っているみたいで書き割り感が凄い。変すぎる。
無理して明るくしようとしているみたいな、無理してお気楽学園物語を書こうとして極端なキャラクターを配置し過ぎだと思うね。その代表格が高天原Aと猿渡。正直いらない・・・というか扱いきれてないという感じかな(そういえばこんな印象はフルメタの短編でも思ったな)。
しかし一転、シリアスな展開になり、切なさ悲しさを全面に押し出し始めると俄然魅力が増してくる。キャラクターの心の動きにリアルが増して、味わいが深くなる。今後は是非シリアス一辺倒でお願いします。
吹き出しがついた漫画的イラストはまあ面白くて良いね。

感想リンク

booklines.net  Alles ist im Wandel  ライトノベル名言図書館  積読を重ねる日々  今日もだらだら、読書日記。
ちなみに私ほど不快表明をしている人は恐らくいないので、大抵の人は安心して読める作風なんじゃ? と他のブログさんを巡っていて思った。うんうん。