消閑の挑戦者(1) パーフェクト・キング

消閑の挑戦者―パーフェクト・キング (角川スニーカー文庫)
消閑の挑戦者―パーフェクト・キング (角川スニーカー文庫)岩井 恭平

角川書店 2002-11
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おすすめ平均 star
star天才たちの戦い
star面白いです。オススメします!
starこれが才能の始まりだ!

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「今月はなんの感想を書いてやろう?」という事でお薦めされて手に取った一冊ですが・・・これはタイムリーだった。お薦めしてくれた人に感謝しなければならない。ありがとう。
つーか月初にAmazonに発注したのに届いたの15日かな? 在庫がもうない?

ストーリー

一人の天才少年がいた。この「天才」は学校や国単位の天才ではなく、星の上に君臨する「天才」だ。名を果須田裕杜(かすだゆうと)という。
彼がある「ゲーム」を開催するという。そのゲームの名は<ルール・オブ・ザ・ルール>。知力と体力に秀でた優秀な人間たちが集められて実際に水からの肉体と頭脳そのものを使って争い、勝ち残ったもの——果須田裕杜自身も最終的には含まれる——が頂点に立つというゲーム。主催者側が用意した「防御者」という存在がいるため時として命の危険すらあるゲーム。
そしてそのゲームが開催される日本・潮天市に二人の若者がいた。
奇しくも二人はクラスメイトで、一人は鈴藤小槙(すずふじこまき)という名の少女。天才的な頭脳を持ちながらも「正解が分からない」ためにトロいと思われている人物。もう一人は春野祥(はるのさち)。自らを天才と言い、またそれだけの知性を有し、行動力と実行力に戦闘力まで兼ね備えた少年。
少年は「ゲーム」に最初から参加するつもりだったが、少女は特にその気は無かった。しかしある偶然が二人をゲーム上でのペアにしてしまう。そしてそのまま命すらかけた「ゲーム」が開始されたのだった。

いきなり引用してみよう

恐怖という感情は生きるための防衛本能だ。危険の正体がはっきりしているならば、恐怖を感じない。自動車が迫ってきたら、歩道の隅に寄って避ける。そこに恐怖はない。
もし追いかけてくる”何か”につかまったら、どうなるのだろう? 予想できないのに、逃げる。予想ができないから恐怖する。理由のない恐怖は、本能だ。人間らしい、動物らしい感情。彼女はそれを愛おしいと思う。好き、という感情の正体も分からない。

つい最近、恐怖というものについて自分ながら考察をしてみた立場からすれば、ほぼ同じ事がイキナリ1ページ目に書かれていて驚きというか、なんだか変な気分でしたね。
この思考は主役の一人、鈴藤小槙によるものですが、彼女は質問には答えられるけど、応えることができない天才。何故なら彼女対しての「曖昧な問いかけ」は条件によって無限に分岐する「答えのないもの」だから。
簡単に言えば「拠り所」「意思」「意地」「信念」そう言ったものがない、言うなれば「数字の海の中で孤独に暴走する知性」を持った少女ですね。もっと簡単に言えばコンピュータ。
彼女はことあるごとに「未完成」だと言われてしまう。なにしろ方向性の無い知性ですから、自らの知性を持て余していると言っていい。彼女は作品内でこのような問いかけもします。

『今な、祗園寺くんていう人といっしょにいんねん。祗園寺くんもそうや。ごっつ怖がっとるのに降参せえへんねん。お父さんが言うてたわ。本能はみんな生存本能に向かう指向性に基づいとるんやって。だとしたら、意地っていったいなんやねん。生きるための感情とちゃうなら、いったいなんのためにあんねん。どうしてそんな得体の知れないもんが、他の感情よりも優先されるんやろ』

何でも分かる彼女は実は誰よりも分からないものだらけの少女です。彼女は人間にとっての「意地の価値」すら分かっていない。知りつつ否定しているのではなく、本当に分からない。
この話はこの少女が「応えるための答え」を見つけていくための物語と言えそうですね。彼女は春野祥や他のプレイヤーの影響を受けて変わっていきます。

もう一人の主人公

春野祥の事ですが、彼は完成とは言えないのだろうけど、鈴藤小槙とは決定的に違う部分があります。それが前述した「拠り所」「意思」「意地」「信念」というものの存在ですね。彼は自らの信念を賭けて「ゲーム」に挑戦する。
彼は幼いと言えば幼いのですが、信念は固く、強い。
自分の意思を押し通してそれを「正解」にしてしまおうという強さがある少年です。彼もある事を証明するためにゲームに参加するのですが、彼も鈴藤小槙の影響を受けて変わっていきます。しかしそれでも、大きくは揺るがない。進む方向は変わっても、進む力は衰えない
作品の中でこんなやり取りがあります。

『死者は意思を持たない。彼らは必然的に生命活動を停止しただけだ』
『意思は残る。俺たち生きている人間が受け継ぐ。死んだ人間は無意味じゃない』(春野祥)
『それは真実じゃない。受け継いだ錯覚に陥っているだけだ。愚かな妄想だ』
『俺は愚かじゃない』
『……』
『死んだ人間も、いま生きている人間も、誰一人愚かなんかじゃない』

さて・・・どちらが正解でどちらが間違いなのか? 作品中では答えは明確に出ているとは言い難いので、読者それぞれが決めるべきでしょう。
・・・というか答えなんてでない問題だと思いますが。これって言わば「生きるってな〜に?」って事ですからね。そういえば漫画の「銃夢」でも同じような問いかけがあるシーンが出てきますかね・・・確か・・・。

この世に無意味なものなんて何一つない
死んだ人間も一人もいない

だったかな? さて、どうなんでしょうね。

この話

見所はあちこちにあるんですが、ピックアップしているとキリが無さそうです。
特に作中に出てくる数学者・祗園時蓮と鈴藤小槙のやり取りや、主催者の果須田裕杜から提出される問題(微妙にどこかで見た事あるようなやつばかりだったりするけど・・・)とか、ゲームそのものがルールの追加を許し、かつそれに柔軟に対応していくという流れが一定の緊張感をもたらしています。
しかし・・・こう言ってはなんですが、複雑すぎて、あるいは新要素が多くなりすぎて読者の予想を簡単に超えてしまい、一瞬先が全く予想できない戦いになってしまっているんですね。良い方向にも悪い方向にも想像できないから、怖くない。予想不可能だから、ドキドキできない。この話の知的な魅力はそのまま欠点に直結しているなあ・・・なんて思いました。いえ、私がただの馬鹿という可能性も否めませんが!
そしてそのマイナスを大きく上回るキャラクターの魅力がもう一つ・・・一定の水準には間違いなく達しているんですが、もう一つ隠し味が欲しいなと・・・贅沢?

総合

星4つ。
十分に読ませる作品ですね。もっと人気出てても良かったんと違うかなあ。
よく考えられて作られていて、キャラクターが多く登場する割には混乱してしまうような要素も少なく、ゲームのルールも複雑な割にはやっぱり混乱する要素が少ない本です。
ただ、ゲームの中には便利なアイテムとして、固有の機能を持った「プログラム」というのが存在するんですが、これがどーも「後だしジャンケン何でもあり」というか・・・最初から全てのプログラムの機能が呈示されていれば「敵がアレ持ってたらどうしよう」的な楽しみがあったような気がするんですけどね・・・ページの関係でそこまでは無理か・・・。というかそこまでやったら1冊で終わらないか・・・。
あと「超飛躍」という能力が出てくるんですが、これ面白いですね。事故の時にアドレナリンが出まくってゆっくり物事が見えるみたいなモンかなあ・・・? 脳に悪そうだけど。
強いて言えば「タイトルが悪い」かも「消閑の挑戦者」って・・・いや、意味は分かるけど。パッと見てどんな本だかさっぱり分からないのが致命的なような気がする。
イラストは有名な四季童子氏ですね。口絵カラー1枚目が一番のお気に入りだったりします。