焼け跡に残るもの/あるいは私は如何にしてコメント全レスを止めて優先順位をつけるようになったか

これはまだ

書いた事がありませんが、いつか書こうと思っていて少しずつ書いていた物です。タイミングとしては今アップするのが一番のように思いますので、これを機会に書いておこうと思います。

以前盛り上がった(「炎上」というとネガティブなイメージなのでそう表現していいのかどうかはわかりませんが)エントリにおいて、私がhobo_kingさんに対して感心し、尊敬した点がひとつありまして。
それは「どんな匿名意見、もしくは煽り、荒らしに近いものに対しても真っ直ぐに向き合って対応している」ということでした。通りすがりさんが書いていらっしゃったように、blogではっきりと言及していた「閲覧者と双方向のやりとりが出来ることがブログのいいところだ」というポリシーを貫いているように見えたのです。
それだけに、このエントリでの、通りすがりさんの2007/12/03 20:13の書き込みに対してのhobo_kingさんの態度は少々残念な気持ちになりました。もちろん皮肉めいた言葉もありますし、端から見ても最後の一文はちょっと余計ではないかなと思いはしたものの(それがレスを無視した最大の理由であろうというのも推測できますが)通りすがりさんの書き込みの内容、主旨自体は意見としてはまっとうだったと感じられたからです。
(勘違い助言者は意外に多い)のシモキタさんのコメントの一部を抜粋

最初はコメントでお返事しようと思ったのですが、長い話ですし、元々書いておきたかった事とも絡む部分がありますし、また自分にとっても大事な部分に触れる話なので、別のエントリとして立てました。

昔語りから入ります

私は母の影響を強く受けて育ちました。
母子家庭・・・という訳ではありませんでしたが、父は仕事人間で家庭というものを全くと言っていい程顧みず、家にいるんだかいないんだか分からないような所がありまして、物心ついた後でも私からすればたまに家にやってくるオジサン、位の認識しかなく、結果として母の影響を強く受けた、と言った方が正しいと思います。

で、

その母ですが、私からすると「とても偉大な人」です。
とにかく気高く、強く、それでいながら柔軟性と問題解決能力に優れ、結果として今でも老若男女を問わず人が集まり、そしてあらゆる全てを受け入れた上でそれでも自分の道を邁進する、凄まじいと言える親でした。私を含め子育てから家事を一手に引き受け、お金にルーズな父の代わりに生活に必要な金銭のやりくりと将来設計を一人で行いました。それでいて誰かの陰口を言っている所など未だに見た事もありませんし、自分が言われたとしても負けずに立って戦い続けた人でした。
まだ生きていますので過去形にするのも変ですが、その姿勢は今でも失われず、六十歳を過ぎた今になってもネットなどの新しいものを積極的に取り入れ*1、私があげたWindowsPCでネトゲをやり、skypeを使い、ニコニコ動画に出没し・・・あるいはオンライントレードなどでガッチリ利益を出してしまったりする、正直恐るべき母です。
現在の母の理想は、

「いつか八十歳位の歳になった時、何の後ろ盾もないような状態で小さな子どもを2、3人育てる事になったとしても、絶望する事無く再度スックと立ち上がり、歯を食いしばって目を見開いて、荒野を邁進するような人間になりたいね」

「昔読んだ文学作品に影響されたんだ」なんて本人は笑いながら言っていましたが・・・正直本当にやりそうな人間です。まさしく荒野のライオン一匹という感じです。

そうした

母の背中を見て育ちましたので、息子である私が「いつか母のような気高く強い大人になりたい」と思ったのは何ら不思議な事は無かったのでしょう。自然とその背中を追いかけるようになりました。
しかし歳を取るにつれてその距離は遠ざかるように感じるばかりでした。
高校を卒業し、大学を卒業し、社会人になり、そして一定のキャリアを積んだ上でもまだまだ近づく事は出来ず、あの誇り高い後ろ姿だけを羨望の眼差しで静かに眺めるのが精一杯だったと言っていいと思います。
よくも悪くも「母の生き様に捕われていた」のでしょう。私は自分の限界を超えて、自分を追い詰める事を始めました。

結果として

私はちょっと壊れました。
まあその辺についてはある意味どうでもいいので割愛しますが、身の程知らずに限界を超えて挑戦を続けた結果、逆にまともな私生活が送れなくなるような所まで落ちました。それでもまだ、

「自分にはやれるはずだ。だってパンジャの子だからな」

なんて感じで自分を律し続けました。
人に優しく、自分に厳しく、周囲に笑顔を振りまき、仕事では客の喜びを第一に考えて行動し続けました。
そこから先は非常に分かりやすいです。限界を超えた私はぶっちゃけ重力崩壊を起こすように潰れ続け、表情が消え失せ、人と話をする事が苦痛になってしまい、なんだか何もかも上手く行かなくなりました。そしてそのたびに焦りは加速し、また自分に厳しくあたる・・・悪循環です。結果、人生を強制的に一休みするハメになりました。
昔の話で今でこそその悪循環からは逃れでていますが、まだ「母の後ろ姿」が目蓋に焼き付いてしました。

しかし

先日の炎上*2の時の話です。
やはり自分の理想を追いかけたいという気持ちが強く出ていたのでしょう。そう、シモキタさんの仰るポリシーを貫き、そしてその向こう側に辿り着き、その過程から何かを拾い上げると同時に、それでも邁進したいという思いが強くあったのです。
そんな感じで私はブログを運営していました。そしてそれに倣って、

「ちゃんとコメントを(自分の信じる誠実さと信念と理想に従って)全員に返そう!」

と頑張っていました。

ただし

「元・通りすがり」の奥さん*3は違いました。そんな私を見て、奥さんは一言、

「なんでそんなに真面目に返さなきゃイケナイの? 顔も見た事無い相手なのに? 不思議なんだけど」

とちょっと怒り気味に言いました。続けてブログのコメント欄を見て、

「マトモに相手をする価値がある人、どれだけいるの? なんかあなたの目つきも必死過ぎておかしいし」

と続け、そして、

「そんな知らない人に真面目にコメント返す時間があるなら、もっと身近に大事にしなきゃイケナイ相手がいるでしょう!?」

奥さんは自分の顔を指差しながらそう言いました。
・・・まあ確か連休を全部潰してのコメント返しでしたから、その最中奥さんをほったらかしですものね。遊びに行きたかったりしたかも知れません。それは別に助言でもなんでもなく、彼女は彼女の身勝手さ全開で私に言いたいように言っただけでした*4

彼女の何気ない一言でしたが

その瞬間正直、ハッとしました。
一度人生をハングアップさせたにもかかわらず、私は相変わらず何もかもを大事にしたかったみたいです。
過去の失敗から得た教訓はまだ身に付いておらず、自分には全てを完璧に実行出来るはずだ・・・という「高過ぎる理想」を相変わらず設定して、それに向かって相変わらず突っ走っていたのです。
でも、私は24時間365日正確に動き続ける事の出来るサーバーではないし、またそうした可用性を要求されるネットワークサービスでもなく、間違いを起こさない完成された人間でもなく、聖人君子でも無かったので、そんなことは不可能に近いはず。
可能ならばそうしたいし、出来なくはないのかも知れませんが、人間である以上それを達成した陰で何かが犠牲になっているのは間違いないのです。そしてこの時犠牲にしていたのは現実での妻や友人との時間でした
それを振り返った時・・・やっぱりそれは何かがおかしい、と感じたのです。

そして私は

優先順位を明確につける事を始めました。
普段の生活から始まって、ブログの運営方針などなど・・・色々です。
しかし例えば人の繋がりにおいて「優先順位をつける」というのは余り美しくないと未だに思います。「自分は誰々が好きだから優先!」とか「誰々はキライだから後回し」なんて正直やりたいと思いません。しかし、私が私を壊さないでいるためには「それが必要」だと学んだのです。
このブログでの優先順位は例えば・・・、

自分と家族、そして妻>リアルの友人など>私を理解しようとしてくれる人>>>>>>>>>>>>>>>その他正体不明の通りすがり

ですね。
自分の隣にいる人と、あるいはネットでも親しくしている人と、世界のどこかにいる名前も顔も知らぬ誰かを並列に扱う事は、私に限って言えば*5高すぎる理想だと気がついたのです。
その後のエントリで「非常にためになった」という事を書いているのですが、それは

「自分にとって大切な者(物)の優先順位をきっちりとつけて行動しないと、私はすぐに全てを完璧にこなそうとしてダメになる。私はその程度のスペックしか持たない小さいサーバーマシンなのだから」

という閃き/確信があったからなのでした。
自分にとって偉大であり続ける母の後ろ姿を追いかけるのを止めた瞬間・・・と言っても良いかも知れません。

結果として

ブログにはある程度の距離を置くようになりましたし、単に馬鹿みたいなコメントは敢えて容赦なく消すようにしましたし、時にはやっぱり敢えて無視する事も自覚的に始めました
それは一種の堕落/理想の放棄なのかも知れませんが、やはりどこまで行ってもブログは所詮趣味なのです
今回、「通りすがり」さんにコメントを返さなかったのはそうした理由があったからなのでした。
コメントは消さない(それこそ「書き込みの内容、主旨自体は意見としてはまっとうだったと感じられたから」という理由のためです。)、でもコメントから感じたいらだちを押しつぶしてコメントを返してやるほど自分に高みを求める必要もない、そう判断したからです。

そうは言っても

やはり理想が美しく思えるのも事実です。
ですのでやっぱり読んだ人からコメントとかもらったら、そのコメントには可能な限り誠実に対応したいなあという気持ちに変わりは、あんまり、ありません。しかし、それを自分の中で「義務」にするのを止めた・・・ただそれだけの事なのです
だから今回、「通りすがり」さんにコメントを返さなかったのは自分の中では一つのテストケースでもありました。
簡単に一言で説明するために、エントリに自分でつけたブックマークコメントを引っ張ってきます。

誰の言葉でもどっしり受け止められる人間が理想かも知れないけど、俺はそんな凄い人間にはなれそうも無いからなあ。身近な人の言葉を受け止めて、真摯に行動するだけで精一杯です。

これが正直な回答です。
身近な人・・・というのは非常に曖昧な表現ですので、やっぱり今でも誰を大切に思うか、で悩む事はありますが、それでもやはりそうした人や物は確かに心の中に存在するのです。

私が

こうして変わった事は、それこそ顔を知らない読者の誰かを失望させたかも知れません。
しかし、私にもそれ以上に大事なこと/大切なことがあった・・・それだけです。身近な人を失望させないために、知らない人をある程度切り捨てるようになったということです。
それはいわゆる堕落かもしれません。人の尊敬を得られるような生き方ではないかも知れません。それでも自分にとってそうした生き方が必要に違いないと感じたのです。
私は日常生活に加え、このブログを通じて日々変わりつつあります。どんどん変わって行くと思います。そしてその行く末を見て人がどのように感じるかは分かりません。しかしそれこそが「私」です。それを大事に、私は変わって行く私を受け入れて行こうと思いますし、変わって行く私を受け入れてくれる人達と一緒にいたいと思います。

*1:多分2chあたりにも出没しているはずです!

*2:使ってみると想像以上に便利な言葉なのでもうこれで行きましょう!

*3:最初はそれこそ赤の他人ですからね。

*4:本人に確認済みです。「だって構ってくれなかったからつまんなかったんだもん」でした。

*5:ひょっとしたらそれが出来る人もいるのかも知れません。