コメント欄を閉じているのはヘタレか?

もちろん

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20090326/1238077815
元ネタはこちらのエントリな訳ですが、個人的には

「うーむ、もったいない」

などと思ったりします。それは私がコメント欄とコメントというものを結構大事に思っているところがあるからです。ブコメについては未だにどう振る舞ったらいいものか分からないのでこのエントリでは触れませんが。

まず第一に

ぼくはいつでも意見はウエルカムだが、それはコメントではなくトラックバックでもらうことを想定している。

という部分が私の考え方と違う部分ですかね。トラックバックは確かに便利な機能だけれども、それでは「トラックバックを飛ばせる人だけ」からしか意見をもらえないじゃない? という風に思うからです。
実際にWebを使っている人は年々増えているのだろうけど、自分のブログを持っていて、かつ書かれているエントリに興味を持ってくれて、それに対応するエントリを書き起こす気力のある人からしか意見をもらえない。うん、これは実に勿体ない。MOTTAINAI
会社での話やら学校での話に例えてみると・・・隣の席に座っている人のひとりごとがうるさい状況があったとしても、

「ねえねえ、ちょっと君ひとりごとが多いよ?」

と声をかけるのはNGで、メールやら書類やらで正式なルートを通さないといけないような状況とでも言いましょうか。少なくとも、敷居の高さを感じる状況ではありますね。

そして第二に

これはもう完全に私個人の意見ですが、私はコメントを「ブログの第二のコンテンツ」と思っている部分があるからですが。
自分自身では気がつかなかったことがコメントで修正されたり、あるいは補強されたり、あるいは反論されたりして、最終的にそれを読む人に多角的な視点を与えることに役にたっていると思うからです。
このブログの主催者は確かに私ですが、このブログを運営しているのは私一人ではない、とでもいいましょうか。コメント欄を開けていることによってそれ相応のコストを支払うことになりますが、それだけの価値があると思っています。
少なくとも私が変に天狗になったり傲慢になりすぎたりするのを、コメントをくれる人々が軌道修正してくれている、という印象を持っています。ありがたや、ありがたや・・・。

そして第三に

コメントとトラックバックには決定的に違うと思っているところがあるんですが・・・えー、上手いこと表現できないのですが、一種のパッションというかリビドーというか情熱というか勢いというか、そういうものがコメントにはあると思っています。
そしてそれはその場で書き込んだものにしか存在しない「何か」であって、文面を推敲すればするほど消えて言ってしまう「何か」だと思うのです。電話では伝わるけれどもメールでは伝わらない「何か」だと思うのです。・・・説明するのは困難ですが、コメントはトラックバックで丁重に書かれた意見とはまた違った「気づき」を与えてくれたりします。
丁寧に書かれた長文より、偶然飛び出した一言の方が時として物事の核心を突くことがあるように、コメントにもそうした力があると私は思うのです。トラックバックが一種の知性の発露なら、コメントは感情の発露とでも言えばいいでしょうか。

まあ

長々と書いてきましたが、それでもやっぱりインターネットは怖いところ、というのは確かな事で、コメント欄開けてると色々と大変な事は大変ですね。変な人も定期的に沸くし。閲覧者が多くなればなるほどその対応は手間となってブログ主に襲いかかります。でも、

ブログのスタンダードが今後どうなっていくかは分からないが、コメント欄やブコメではなかなか建設的かつ健全な関係は築けないように思う。

彼の人の言う「建設的かつ健全な関係」というのがどういったものを指すか全く分からないのでなんとも言いづらいところではありますが、私は少なくともコメント欄についてはそうは思いません。そしてそここそがブログの運営者の目には見えない人間性とでも言う部分が試される所ではないでしょうか。
手前味噌ですいませんが、私の
コメント欄に見るブロガーの人間性 - 最近はたまに何か書いたりしてる
というエントリも重ねて読んでもらえたりすると嬉しいですね。

コメント欄は

一種のサポートセンターなのです。フリーダイヤルの窓口なのです。
必ずしも全てのサービスがそうした窓口を開けなければいけないわけではありませんし、ましてや個人で運営するブログ、割ける時間は限られます。多くのコメントに目を通すのも大変ですが、コメントに対して返事を書いたりするのはさらに大変なことですし、コメント返しがなければきっとこのブログのコンテンツももっと多かったに違いない、なんて思ったりもします。
が、エントリの閲覧者の褒め言葉や感謝の言葉、あるいはイヤミや罵倒からではないと拾うことの出来ない「声」があるのも確かな事だと思います。少なくとも私はコメントと相対することによって多くの事を学びましたし、きっとこれからも多くの事を学ぶでしょう。私は時間の許す限りコメントと向き合っていくと思います。
良いことばかりじゃないけど、悪いことばかりでもない、玉石混淆なのがコメント欄でしょうかね。もし閉じたままなのであれば、たまには開いてみたらいかがでしょうかね? コメント欄。実は大きなダイヤモンドが眠っているかも知れませんし。