黄昏の風景

放課後の夕闇が迫りつつあるこの時間は、屋上で過ごす事にしていた。
そもそもかなりレベルの高い進学校として名高いこの学校では、放課後まで残って屋上で遊ぶ(黄昏れるのはもちろん)生徒など殆どいないのだ。その中でも人の来る事が殆ど無い給水塔の影は絶好の僕の”放心”ポイントなのだった。が、この場所を知る生徒は意外にも少ない。今日も一人でここに来ては、沈みゆく夕日を一人で眺めていた。そう、この場所は夕方に西側の景色を眺めるのは最高のポイントだった。
「あれ、アンタいたんだ」
ぼーっと夕日を眺めていると、背後から声をかけられた。振り向くと、すっきり伸びた背と、長い髪が見えた。彼女はこの学校の3年生、僕の先輩に当たる人だった。構内では美人で通っているが、そのえげつない性格から男子にはあまり人気がない。
「まあ、いいけど。ち、ちょっと、もうちょっと向こうにいきなさいよ」
「………」
何と言うか彼女は人当たりがとても悪い。黙っていれば美人なのだが、まあそれでも僕はあまり気にしていない。彼女と初めて会ってそろそろ1年になるので(最初に会ったのもここだ)妙に酷い扱いにもいい加減慣れっこになってしまった。彼女もこの黄昏の風景がお気に入りなのか、僕がここに来ている時に何度も鉢合わせをしている。
最初は正直意外というのが感想だった。先輩はとにかく派手な人で、言い寄って来た男子生徒を蹴り飛ばしたとか、期末テストでトップを取ったとか、修学旅行の当日寝過ごして、一人別便で現地にいった(らしい)とか、そんな話を聞いた事がある。そういうとにかく元気な印象のある人が、こうして放課後の時間に屋上で一人(大抵僕がいるが)夕日を眺めているというのはとても不思議な出来事のような気がした。これは彼女にとっての神聖な儀式のようなものなのかも知れない、なんて事も思った。だから僕は彼女の邪魔をする事がないように、話しかけられる場合を除いて、口を閉ざした。沈黙は別に嫌いじゃない。
先輩はいつもそうしているように僕の隣の壁に腰掛けて、やはり同じように西の空を見上げながら、微妙に放心しているようにも、緊張しているようにも見える不思議な表情をしていた。それもまあいつもの事なので僕は気にしない事にする。あまり横顔を観察しているとどやされる事もあるからだ。
以前しみじみと綺麗な横顔を見ていたら、怒った先輩にどつき回された事がある。顔を見ていただけなのだから真っ赤になって怒るまでしなくても良いのに、と僕は思う。
「そういや、あんたさ、ツンデレって知ってる?」
不意に隣から声が聞こえた。彼女は時々変な事を聞いて来るというのは今までの時間で気がついていた。どんな映画が好きだとか、どこぞのケーキは期待はずれだったけどアンタは食べた事があるかとか、男はやっぱり胸が大きな女が好きなのかとか(返答に困った記憶がある)、ジャン・クロード・ヴァン・ダムは一作目のプレデターの中の人だと言う事を知っているかとか(当然知らなかった)。
時々この人錯乱しているんじゃないかとか思う事もあった。とにかく脈絡がないから。一度はアンタの肩幅はどの位だとか、体の寸法を記録させろとか言われた事がある。僕は別に標本とかになる気はないんですが。結局強制的に調べられてしまったが、アレが一体なんの意味を持っていたのかは未だに分からない。
ツンデレって、あのツンデレですか」
「そーよ。で、実際にはどういう意味な訳? 知っていたら教えなさい」
僕は少し頭をひねる。具体的な例を出さずに説明するのは意外と難しい。僕は元々話すのがあまり得意ではないから、慎重に頭の中で言葉を組み立てる。
「確か……好きな人の前で普段はツンツンしているけど、時々本音が出て照れたりしてデレッとする女の子とか、そんなのだと思いますけど」
「はあ、なるほどね、うまい事言うね……そうすると、私とかは、ど、どうなの。当てはまるの?」
「先輩ですかぁ?」
僕はつい声をひっくり返しながら返事をしてしまった。先輩はツンデレとかそういった次元に収まらないだろうし、そもそもツンツンしかしていない。デレを見る機会が無い訳だから、判断のしようが無い。大体こんな事を女の人に聞かれるのが初めてで、僕は軽い混乱状態にあった。
「先輩はその、僕に聞くのが間違いだと思いますけど、その、ツンツンばかりだし、僕は先輩がデレッとしている所を見た事もありませんし。今後も見ないでしょうから、ツンデレかどうかなんてちっとも分かりません。そもそも似合いそうもありません。………大体デレッとする事なんてあるんですか? 先輩がそういう相手を見つけてからじゃないと僕には何とも………」
――今にして思えば、これはかなり致命的な発言だったと思う。僕の話の途中から、隣で微妙に先輩が肩を震わせ出した。
「………ふ、ふ、ふ、そう、そうね。………アンタは見た事無いかもね。今後も見ないだろうね。そりゃ、分かる訳ないね」
「な、ど、どうしたんですか」
「そう、そう、そうだよね、確かにね、私はそういうキャラじゃないって分かってたけど、これ程とは思わなかった。いくら時間をかけても話が全然進まないのはどうしてなんだとか、魅力が無いのかとか、ずっと思ってたわけ」
僕の方を見ている様で見ていない、先輩の横顔には何か強い決意が漲っているようだった。
「いえ、なんだか話がちっとも見えませんけど、何が起きているんですか。落ち着いて下さい」
「う・る・さ・い」
先輩は力強く言い放つと、その意外に小さな掌をぎゅっと握って立ち上がった。そして僕の目の前にクルリと回り込むと、座った僕を上から見下ろす。細くて小さな体なのに、凄い迫力だった。三白眼のような目つきで僕をねめつけると断固たる口調で言った。
「立ちなさい」
「は、はい」
絶対に殴られるに違いないと思った。先輩はもの凄い顔でこちらを睨んでいる。
「………今は丁度夕方よね。夕焼けが綺麗だわね。もう少して地平線の向こうに沈みきってしまう夕日を背景に私がいまここに立っている訳よ。分かる?分かってる?」
「わ、わかります」
「ち、ちょうど良い時間帯だと思わない?」
「何にですか」
「ほ、ほら、私はどうなの、美人だと思わない」
「え、まあ、思いますけど」
「ア、アンタさ、私のこの桜色でぷっくりと良い形の唇に興味とかないの。触れてみたいとか、き、き、き、……」
先輩は言葉を言いよどみながら、その細い綺麗な指先で、恐らく無意識にゆっくりと自分の唇をなぞった。先輩の唇はつやつやと光っていた。その仕草は猛烈に蠱惑的で、僕は脳みそがくらくらするのを感じる。
「そ、それは、まあ、思います、けど」
よく分からない。心臓がドキドキしてこめかみの辺りを通る太い血管が脈打つのが分かる。それに反比例するように今起こりつつある出来事が分からなくなって来ていた。そんな風な事を夢想した事すら無かったから、あまりに準備が足りない。
「し、したいなら、ほら、お願いしてみなさいよ。ちゃんとお願い出来たら、か、か、考えなくもないわって、言ってるのよ、分かる? 私の言いたい事が、分かる? ここまで言っているのに、分からなかったら、もう殴る!」
「わ、わかります」
「じゃあ、わかったら、お願いして見なさいよ。さっさと! 即座に! 私が待ち続けた分だけ早く! すみやかに! いいから早くしなさい。わ、私が倒れそうだから。したいなら、したいって、そしたら………」
先輩が緊張感を誤摩化すかのようにその長い髪の毛を掻き揚げた。細く長く整えられたその髪の毛が、背後からのオレンジ色の夕日に流れて金色に煌めいた。先輩は顔を真っ赤にして、夕日の光に今にも消えてしまいそうな程――震えて、怯えていた。意外と生真面目な印象を持ったその細い眉が、本当に不安げに震えている。夕日は空の鱗雲までも緋色に染め上げ、今日の残り僅かな光を僕らに注いでいた。静かにふわりと秋の風が僕らの周りを包み、先輩の姿が真っ赤に燃える松明のように見えて、僕は――。


僕は、その日初めて、先輩に、少しだけ触れた。


「ちょ、ちょっとした好奇心って奴だから! 別にアンタだったからとか、そんなんじゃないんだからね。勘違いするんじゃないわよ!」
先輩は、今なら立派な、ツンデレです。完全にノックアウトされたゆだった脳みそで、やっとの事で僕はそう思った。




ゼロの使い魔」10巻のルイズに触発されて書いた。「ツンデレから女王様への華麗なる開花」がテーマ。ついカッとなってやった。後悔はしていない。
個人的にいい女王様はツンデレだと思う。カッとなってばかりで僕もうダメだ……。