ラプラスの魔
- 作者: 山本弘,弘司,安田均
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2002/05
- メディア: 文庫
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「ラプラスの魔」でgoogle検索すると数学的な概念としての「ラプラスの魔」と、古いコンピューターゲームの「ラプラスの魔」が引っかかります。
ラプラスの魔って?:数学編
凄く簡単に、かつ適当に説明すると、数学者ラプラスはニュートンの大ファンでした。ニュートンの提唱した力学は「物体A」と「物体B」があるスピードと角度でぶつかり合った時に、どちらの角度にどれだけの距離だけはじき飛ばされるかを説明した力学です。ビリヤードを想像してもらうと早いでしょう。ラプラスはこれを発展させて、ある概念を提唱しました。
「全ての物質は微細な粒子によって出来ている。それぞれの粒子が衝突して次の反応(化学反応)などが起きているが、全ての粒子の位置と運動量を知る事が出来て、かつその運動の結果を計算する事が出来る《魔(神のような存在)》がいるとしたら、その存在にとっては未来は不確定ではなく、計算によって今後発生する全ての現象を予測する事が出来るだろう」というものです。
これ、適当な説明なので、Wikipediaへのリンクを張っておきます。
ラプラスの魔って?:ゲーム編
1987年だと思いますが、ハミングバードソフトという会社から同名タイトルのコンピューターゲーム作品が発表されました。当時Windowsなんてモノは無く、家庭用のコンピューターといえばNECのPC-88,PC-98シリーズしか無かった時代です。このゲームはホラー要素を多分に取り込んだ名作RPGで、1900年代の初頭のアメリカのマサチューセッツ州の田舎町、ニューカムにある「ウェザートップ館」という地元の人々に「幽霊屋敷」と呼ばれている建物を、探偵、霊能者、カメラマン、科学者、ディレッタント(知恵袋みたいな人?)のそれぞれの職業からキャラクターメイキングして、謎に挑む・・・という作品でした。
特徴的な所がシステム的に幾つかありまして、幽霊屋敷の中ではモンスターが現れるのですが、倒してもお金を落としません。ではどうやってお金を稼ぐかと言うと、「カメラで化け物を撮影して、それを心霊写真として街で売る」というモノでした。これはかなり新鮮でした。カメラの撮影スキルなんてモノも用意されていて、低いとピンぼけ写真になって、半額で買いたたかれたりします。
また、体力点(無くなると死ぬ)の他に精神点といった(まあつまりMP)が用意されていて、これが無くなると「発狂」します。キャラクターの顔グラフィックが用意されているのですが、これが白目になるという結構怖い演出がされていました。精神的な「死」です。
そしてもう一つ特筆すべきなのが、このゲーム「ラプラスの魔」には「クトゥルー神話」の一部が採用されていたという事もありました。
とにかく難易度が高いゲームで、キャラが死ぬ、発狂する、死ぬ、金が無い、死ぬ、怖い、怖い、凄い怖いというゲームでした。ゲームの入ったメディアが5インチフロッピーディスクだった時代です。ハードディスクなんてものは当時ありませんでしたので(あったかも知れないけどメチャ高くて普通は持ってない)、ゲームする時はフロッピーディスクドライブにゲームのディスクを入れて、指示がある場合には入れ替えて・・・とかが普通でした。家庭用ゲーム機ならスーパーファミコンが発売されたのが1990年初頭のはずなので、まだファミコンしか無い時代です。今日び3.5インチのフロッピーディスクだって見かけなくなりましたから、時間の流れは早いですね・・・懐かしい。
レトロゲームとかについて、いつかじっくり話してみたいですね。夢幻の心臓とか、ティル・ナ・ノーグとか、スナッチャーとか、ハイドライドとか、テグザーとか、ソーサリアンとか、エメラルドドラゴンじゃなくてサバッシュとか、太陽の神殿とか、アルファとか、水龍士は名作だったな・・・。怨霊戦記は怖かった。ファイナルロリータ・・・はエロゲか。エイプハンターJ・・・もエロゲだったか? カオスエンジェルス・・・はエロかなあ。まあいいけど。
パソコンレトロゲー、何もかも懐かしい・・・。
文庫の「ラプラスの魔」について
本の「ラプラスの魔」はこのコンピューターゲームを下地にしているのですが、正直ゲームを全く知らなくても楽しめる出来になっています。1900年代初頭のアメリカの雰囲気や、片田舎であるニューカムの閉鎖的な雰囲気などが本編を彩ってくれます。
あるとき、このニューカムの街で「少年少女が行方不明になる」という事件が起きます。二人の少年は幽霊屋敷「ウェザートップ館」の近くで惨殺死体として見つかり、騒然とする事になります。しかしもう一人の少女だけは幾ら捜索をしても見つからなかった・・・という導入です。ここから物語は動き出します。幽霊屋敷と行方不明事件が、怪しげな人々を呼び寄せるのです。
登場人物達も一癖も二癖もある人物ばかりで、幽霊屋敷を利用して適当な事件を起こして一攫千金を狙う山師や、幽霊事件を取材して名を挙げようとするジャーナリスト達、幽霊の存在を科学的に調査しようとする科学者、事件の解決を依頼された探偵、などなどなど・・・です。
そもそも、幽霊屋敷の主だった「ベネディクト・ウェザートップ」は魔術の研究家としてその筋では有名な人物でした。彼ももちろん行方知れずとなっているのですが、そうした魔術的な謎めいた彼の住まい(だった)幽霊屋敷はまさしく魔術的な要素にあふれていて、ゴシックホラーの十分に奇怪な雰囲気を作り出しています。幽霊屋敷に踏み込んだ人々は、ある恐るべき事実に気がついて行く事になります。行方不明の少女は一体どこへ消えたのか? そもそもベネディクト・ウェザートップはどこに行ったのか? 事件の起きる前にニューカムの街で見かけられた「怪しげな東洋人」は何者だったのか? 幽霊屋敷の真実の姿とはなにか? 幾つもの謎が絡まりながら、一つの真実に繋がって行きます。
ここが良かった
ストーリー展開自体は最近のライトノベルを読んでいる人であれば十分に許容範囲内だと思いますし、ひょっとすると古さすら感じるかも知れませんが、物語全体の雰囲気を作るのに一役かっている色々なうんちく(事実かどうかは知りません)が、作品を読み進める楽しさを強めています。ちょっと引用してみます。
そこはまさしく宝の山だった。総冊数ではブラックウッドの蔵書にはるかに及ばなかったが、問題は内容だ――たとえば彼が英語版でしか持っていない『無名祭祀書』の、入手はほとんど不可能と言われるドイツ語の原本があった。
(中略)
アンベールの衝撃的な書物『黒山羊の一族』、血も凍るような内容のボケの『妖術使論』、名高いコットン・マザーの『不可視世界の脅威』等、魔女や魔女狩りに関する資料もあった。カルメットの引用でしか知らなかったランフトの論文『墳墓の屍体咀嚼』の実物も初めて目にした。
まあ、こんな感じでメインストーリーと直接関係のない描写にある程度のページを割く事によって、おぞましい背景世界を表現する事に成功している本です。ちょっとある種作者の偏執狂的な所が垣間見えると言うか、そんな感じでしょうか。
結果
まあ、古い本ですし、当時子供(まあ今でもかもしれませんが)だった私には結構衝撃的な内容だった事は間違いありません。そうしたフィルターがかかっていますので、実際改めて読まれた方の場合、そんなに大した事は無いかも知れません。
が、この本も引っ越し際の本の整理や、紛失等に耐えて今も私の手元にあるので、どれだけ気に入っているかがお分かりになって頂けるかと思います。
星5つでお勧めします。