冬の山小屋の夜話

小屋の外は完全な吹雪になっていた。もし今この小屋を出てどこかに行こうとすれば、5メートルも進めば完全にいまここにある山小屋の存在を見失ってしまうだろう。
「まあ、今晩は諦めることだな」
部屋の奥からしわがれた声が聞こえた。
「・・・俺も死にたくないしよ、まあ、いそがにゃならねえ理由もねえし」
ほ、と部屋の奥にいた老人がため息とも笑い声とも取れる声を出した。小屋から出られないとなればわざわざ窓際なんぞにいる必要はない。彼はさっさと火の側に戻った。
「しかしよ、この時期はいつもこんなもんなのか・・・じいさんあんた、ここに一人で暮らしてんだろ?」
「そうさな、もうかれこれ20年になるかの」
「一人で大変じゃねえのか?」
「こう見えても慣れればそれ程悪い所でもないのじゃな。儂にはもう身内もおらんし、気楽なもんじゃ。」
「・・・そうか、悪い事聞いちまったか?」
「気にするような事ではないぞ。儂はここが気に入っとるんでな」
「そうか」
部屋の中央に据えられた囲炉裏で燃える木々のパチパチと爆ぜる音と、遠くから聞こえてくるような吹雪の音。こう見えて小屋の作りは想像以上にしっかりしているらしく、激しい吹雪すらもどこか遠い出来事のように感じた。
若者は黙り込む。特に何か話がある訳でもなければ、酒がある訳でもない。さっさと眠った方が良さそうにも感じたが、つい先ほどまで遭難しかかっていたという現実が、彼をわずかに高揚した気分にしていた。
「じいさん」
「なんじゃ」
「なんか面白れえ話とかはねえか? なにしろ退屈だしよ。まあ飯もおごってもらった挙げ句こんな事をいうのもなんだけどよ・・・じいさんの今までの人生とかよ、そんなのでも良いからなんか話を聞かせちゃくれねえかな。まあなんか話しても良い事があればって事だがな」
ほ、とまた、老人が真っ白の口ひげを振るわせて声を出す。まるで仙人のような風貌だ。中国の奥地辺りにいたら本当に勘違いされそうだ。ねじくれ曲がった杖が手元に無い事に違和感を感じる。
「・・・長くなるぞ、若いの」
「面白れえ話なら、まあ別に構わねえけどよ、なにしろ暇だしよ・・・嵐も収まりそうにねえし」
「そうさなこれは、この物語は言わば・・・」
そう言って老人は手に持った煙管をポンと叩いた。紫煙が口元からふわあっと吐き出されて、老人の周囲に漂った。
「遥か神話の昔から、今の今までずっと、ずぅーっと、連綿と続いて来た物語じゃな」
「・・・なんだい、期待させてくれるじゃねえか」
「日々の暮らしの中で何となく、しかし完全にやる気をなくした少年――まあつまり若い頃の儂じゃがな――が、糞便をベッドで垂れ流し続ける物語なのじゃが」


「ナニ?」


「とにかく当時の儂はやる気がなくなってな、最初のうちは飲みきって空いたペットボトルに小便をする程度じゃったんだが、しまいにはそれも面倒になっての・・・」
「・・・・・」
「こうモリモリモリモリとスゥェットの尻辺りが大便で不細工に膨れ上がって行く感触やら屎尿の暖かい感触やらがな」
「ほう」
若者は自分の声が遥か彼方から聞こえたような気がした。
「・・・ところでこの話は一晩中続くのか?」
「そうじゃ」
「ずっと同じテンションでか?」
「そうじゃ、まだまだ導入部分じゃ。もう語りだしたのでな、やめる事は出来んぞ?」
「・・・そうか」


「おい、若いのどうした。な、プワッ、い、いたいけで孤独な老人に一体なんという暴虐な振る舞いをっ!? これからっ、これからなんじゃっ! 溜まりにたまって混ぜこぜになった排泄物がベッドからドロドロとなって六畳一間の部屋を満たして、やがてベランダへ、ついには異臭騒ぎが起こったんじゃが儂も頑固な性格をしておったからよりムキになって食っては出して出して、って・・・ブフォオオオッ!?」
「いいからジジイその口を開くなああああああ!」