自己表現をするために忘れてはいけない事

もちろんこの文章は、「学校の階段」の感想が元になった文章です。
幾つか自分で思いついた事や考えた事もありますので、これを機会にまとめてみたいと思います。

1.「攻撃する事を許す」=「攻撃される事を許す」

「自分に取って不愉快な作品に出会った時にその作品について酷評すべきかどうか」という点についです。これはもの凄く大きな見方をすれば「他者(創作物を含む)を攻撃する事を自分自身に許すか」という所に行き当たります。
そして「攻撃した事実」は、きっと今後私が「同じようだけど違う物語」を許容した場合に「言ってる事が無茶苦茶じゃん」という事をその人たちが思う原動力になると思いますし、そしてそれは不思議な反応ではないでしょう。

あるいは自分が受けた不快感を跳ね返そうと、ただ単に貶めるためだけの文章を書いたり、私の文章に対して子供っぽい粗探しを始める人も出るかも知れません。幸いな事にそのような目にはあっていませんが、やはりこちらも出て来ても全く不思議ではないです。

単純に「誰かにかけた呪いはいつか自分に跳ね返って来る」と私が思っているからという事ですね。今回の感想を読んで非常に不愉快な想いをされた方はきっといらっしゃると思います。私が投げた呪いを受けてしまった人たちでしょうか。

そして「これらの反応についておかしいと思うか?」と聞かれたら、私は「おかしくない」と応えます。公開された作品を攻撃するという事は、間接的にその作品に愛着を持っている人たちの内面を攻撃するという事でもありますから、至極当たり前の反応と言えると思います。
結局の所、攻撃をすることのリスク(攻撃される事)は自分で背負わなくてはならないのですが、表現している以上は忘れてはいけない事ですね。

2.じゃあ根本的な解決策として表現する事をやめるか?

多分ですが、実生活に支障でもきたさない限りやめないでしょう。
私にとってですが、「このブログで感想を書く」と言う事は「自己表現の一部である」というのが表立った理由だとすれば、裏の理由はぶっちゃけ「ストレス発散」だからです。
「気になる事を書き出すことで一時的にでもそれを棚上げする」なんて事を進める本やら仕事術やらがあったりしますが、それに近いのでしょう。整理して文章化することで頭の中の得体の知れないモヤモヤは外部に吐き出されて、私自身はすっきりするのです。
映画でも漫画でもなんでもそうですが、他者が発信する情報を受けた時に不快感を感じて、ストレスの元になる事がありますが、私はそれを脳みその中で上手く消化できないのでしょうね。その不快感が理論的な説明を持つまで「得体の知れない嫌ななにか」という形で残り続けてしまうのです。一番良い方法が「不快感を感じないような読み方が出来るようになる」でしょうか。
じゃあそれが出来るまでは「チラシの裏にでも書いておけよ」と言えばもちろんそうなのですが「やっぱりその不快感は普通に感じるものなのかどうか?」とかいった事が気になるのも事実ですし、「これを不快に感じませんか?」と人に言いたいのも事実でして、なのでブログで公開する・・・という事になる訳ですね。

3.でもそれって・・・

終わりの無い連鎖みたいな物ですよね。

  • 誰かに不快な気持ちにさせられる→その不快感を他の所で吐き出す→他の誰かが不快な思いをしたりする

明らかに美しくない負の連鎖反応ですよね。このブログで言い直せば・・・。

  • 学校の階段」に私が不快な気持ちにさせられる→その不快感を私が感想という形で吐き出す→感想を読んでくれた人が不快な思いをしたりする

となるでしょう。・・・あんまり楽しかったり嬉しかったり素敵な事とはどうしても思えません。
不快な思いをされた方からすれば「お前のストレス発散になんでつきあわにゃならんねん!」という事になるでしょうか・・・しかしこれって自己表現をする上で絶対避けて通れない問題ですよね。
つまり「他者を傷つけるリスクを負わずに自己表現は可能か?」という話になりますが、厳密な意味では不可能だと思います。
音楽にしろ、絵にしろ、文学にしろ、私の感想にしろ・・・「送り手」と「受け手」が存在して、発信した情報をどのように受け取られるのかは「受け手によって変わる」のが本当の所ですし。攻撃的でなくても、攻撃する意思が無かったとしても不快に思う人が出てくる可能性が常にある訳ですから。
もちろん、経験を積む事によってそのリスクを小さくして行く事は出来るかも知れません。しかし私にはまだまだその経験は足りていないのだと思います。本当に、まだまだです。それこそ「相互理解への努力不足」ですし、「人の振りみて我が振り直せ」ですね。もっと勉強しなくてはいけないという事を忘れてはいけないでしょう。

4.結論

  1. 自己表現する事につきまとうリスクを背負う覚悟を忘れない
  2. もっとライトノベルを楽しめるように(不快な感想を書くリスクを下げるために)「ラノベ脳」を発達させることを忘れない
  3. 自らを人に理解してもらう努力を忘れない

私はなんだかんだ言いつつもライトノベルが大好きなのです。それこそお金を突っ込む事に全く躊躇しないくらいにはです。ですからこんなブログをやっています。
・・・しかし、不快な気持ちにさせてしまう事があると思います。それについてはもう本当に申し訳ないと思います。表現をしている者の端くれとして、その責任は間違いなく私にありますが、正直責任の取り方は分かりません。ですが、それでも表現したいと思います・・・正直に言えば、迷ってもいますが・・・。それでも少なくとも自分にとってはこのブログには価値があります。「可能な限り続けたい」と思う程度にはですね。
夢のような話ですが、自己をはっきりと表現しつつも、誰も不快にさせる事のない表現が出来るようになったらな・・・とか思います。

締めに

いつもコメントを書き込んでくれる皆様、トラックバックをくれたりする皆様、あるいは読んで頂いている皆様、本当にありがとうございます。皆様のおかげでこのブログは存在しているといっても正直過言ではありません。チラシの裏に書き込んでも反応がなくて淋しいですから・・・。この場をかりて改めてお礼申し上げます。
拙い文章で出来上がったブログですが、どうか今後ともよろしくお願い致します。