許し(赦し?)の話、一応最終章

なるほどね

これが「一人で出来るもん!」/「デキッコナイス」の無限の対立、というものか。
なんとなくキリがないような気がしていて、反応する事に疑問を感じてた(そもそも否定しても夢も希望も無いし)んだけど、id:b-sunさんが、文面から受ける印象より遥かにちゃんとした方だという事が分かったことと、このやり取りそのものがひょっとしたら自分を救う切っ掛けになる人がいるかも知れない(自分含む)・・・と思ったので、何となく話を続けてみますね。
・・・実は最初id:sunさんの書き方や、表現の仕方を見て「喧嘩を売っているだけの人」かと思っていました・・・*1

新たに

書かれたエントリで、id:b-sunさんはこのように仰られてます。

『あと半分しかねーじゃん…。ナンテコッタイ』
『おいおい!まだ半分もあるじゃーねーか!ウヒョー』

飲みかけグラスのドリンクの量から感じるように、自分の幸せを決めるのは
幸せを招くのは自分自身の意識、ココロだけなんです。
だからこそ、自ら不幸になる必要なんてない、あなたの幸せはあなたのものなのだから
『どうか、あなた自身(が、あなた自身幸せになることを)をゆるしてあげてください』
と、いうことをおっしゃっていると思います。

これは

間違いなく一つの真実だと思います。
しかし、それはやっぱり一つのスタートに過ぎないのだと思います。
もしid:kaienさんの言葉で自分を許せた人がいるなら、自分以外の誰か(ここではid:kaienさん)に「許してもいいんだよ」と認められたからではなかろうか? あるいはid:b-sunの言葉で自分を許せた人がいるなら、自分以外の誰か(ここではid:b-sunさん)に「気の持ち様だよ」と許されたからではなかろうか?
この「許し」には自分以外の「他者」が間違いなく存在しています。
id:b-sunさんは、

自分自身の意識、ココロだけなんです。

と仰っておりますが、「自分自身の意識、ココロ」だって、自分だけの力で作ってきた訳ではないです。
そこには間違いなく他者の影響、他者の価値観、他者から受け継がれた許しが存在しています。それなくしては幸せを招く事どころか、何が幸せなのかも分かりません*2
「自分以外の「誰か」から「YES」と言ってもらう事」という他者が必要だと言うことは、そう言う事です。

たとえば

id:kaienさんのケースで言えば、

もう一度いう。人生の価値はひとがそこにどんなレッテルを貼るかで決まるわけじゃない。
ハゲでもデブでもキモメンでも、馬鹿でも童貞でも要領が悪くても、楽しく生きることは出来る。
――Something Orange「傷口に包帯を。」より引用

最新のエントリで、id:kaienさんは繰り返しこのように仰ってます。「ひと」と書かれていますが、これは恐らく「他者」という事で良いのでしょう。
「他者」のレッテルだけで(自分の)人生の価値が決まる訳ではないのは間違いないです。しかし、自分一人でどうなるモノでもないのはこのエントリそのものを見ていると分かります。

id:kaienさんはこのエントリの最後に「SWAN SONG」の一部を引用しているようですが、それこそが彼がひとから自分を肯定出来る価値観(レッテル)を手に入れたと言う事の証明です。

id:kaienさんは自ら引用している様に「SWAN SONG」の中にある価値観で許されたのかな? それとも全く別の刺激で許されたのかな? あるいはそこに至るまでの思考や人との交わりの貯蓄で許されたのかな? それは分からない。しかし一つだけ間違いが無いのは、

ひとに愛されなかったとしても、だれにも祝福されなかったとしても、あなただけは自分が必死に生き抜いてきたことを知っているはずだ。自分を鞭打つことはもういいじゃないですか。

愛・・・かどうかは分かりませんが、ひとの優しさは間違いなく届いてるんじゃないですか? 祝福も届いているんじゃないですか? 少なくともこのゲームの制作者から。
つまり、id:kaienさんがこの結論に至るのに「自分以外の誰か」の価値観――別にエロゲだろうとラノベだろうと誰かの言葉だろうとなんでも良いですが――による薫陶(人が作ったレッテル)があったという事だけは間違いないんです。
だって、自分の意見を補強する「レッテル」として「自分以外のひとが作り出した「SWAN SONG」というゲームの中の言葉」を実際に引用してあるんだから。
ただ、もちろんそれを自分に貼るかどうかは自分で決められますよね。それが大事だというのは(繰り返しになりますが)間違いないです。

そして同時に

恐らくこうしたエントリを書くこと自体がid:kaienさんからすれば許しの過程そのものだと思います。私は少なくともそうですね。
エントリを書いて大勢の人に読まれて、時には否定されたりもするだろうけど、認めてくれる人も現れて、そして許されるのだと思います。これ自体が「自分一人では許しが完結しない」という事の証明の様でもあります。
「他者からの許し」を必要としない人は、多分チラシの裏に自分の意見を書いて終了、なんじゃないかな? そういう人は本当にタフな人だと思うな。
・・・そうして見ると、こうしてネットで自分の意見を書きまくっている事自体が、自分の存在不安を証明しているようで、微妙な心境になりますね。まるで「私を見て!」って叫んでいる子供みたいですが、自己分析としてはあながち的外れでもないと思う。

否定的な事ばかり

書き連ねているようですが、正直に申し上げまして、元のエントリに書いてある事は素晴らしい事だと思います。
id:kaienさんの言葉や、id:b-sunさんの意見、そして他の人の意見が読者からすれば「新たな許し」として機能していることはお分かりかと思います。前向きで、新しい「許し」ですね。
否定する事から何も始まらないというのは恐らく誰もが身にしみて分かっている事でしょう。それを知りつつも人は一度そういう状態に陥るとなかなか抜け出せないのも事実ですね。
ですから彼らのように、誰かのために(あるいは自分のために)そこから抜け出せる切っ掛けとなる力強い言葉を紡ぎだすのはどんなものであれ素晴らしいし、美しいと思います。エネルギーみたいなものを感じますね。
・・・というか私、Something Orangeの愛読者だし・・・。

最後に

色々語ってきましたが、このネタに関するエントリを書くのはコレで最後にしようと思います*3
id:kaienさんを初め、トラックバックをくれた皆様、あるいはコメントをくれた皆様、ありがとうございます。あなた達の意見が無ければ私のこの論はここまでまとまりませんでした。この場を借りて御礼を申し上げます。
あ、別にトラックバックとかくれるのは全然構わないです。エントリにしないというだけであって、もし許されるのであればトラバ先のブログでコメントとかはさせて頂くかも知れません。
それでは。

*1:実は別の人で何が言いたいのか全く分からない人がいたせいです。sunさんのせいじゃありません

*2:生きるために必要な三大欲求は別。より原始的なものだから。

*3:だってここ、ラノベの感想ブログだし。