ラノベ作家が放つ渾身の一撃を味わいたい

いつも

・・・という訳ではないですが、ラノベを読んでいて時々感じる事があります。それは・・・。

「この話を書いた作者の人、本当に自分で書いた作品が『最高に楽しい作品だ』って思っているのだろうか?」

って事です。

たとえラノベでも

沢山読んでいると、

「ああ、この人は(職業/生活/サラリーマン)作家であって、(エンターティナー/アーティスト/芸術家)作家ではないのだな」

という感触を持つ事があるからです。・・・もの凄く大まかに分類すると私はそういう人の作品があまり好きではないようですね。
だからきっとこんな事を言いたくなるのだと思いますが。

もちろんですが

そういう「サラリーマン作家」の人の仕事を否定する気はさらさらないのです。
自分の能力を程よく使ってガス欠を回避しながら、一定以上の周期で一定以上の楽しめる作品を作れる能力というのはそれはそれで希有な才能だと思うからです。想像する事しか出来ませんが、それは恐らく非常に大変な作業でしょう。
しかし・・・やはり何処かで不満を感じてしまう時があります。

「本当にこの作者は、今自分が持っている全ての力をこの作品に注ぎ込んだのだろうか?」
「・・・もっと面白くなるネタや表現やアイデアを持っているのに、出し惜しみをしていないだろうか?」
「完成した本を自分で読み返した時に、『俺の書いたこの話最高に面白い!』って思っているのだろうか?」

という風に感じてしまうという事ですね。

私は

ラノベ作家達が繰り出す最高の一撃を味わってみたい。
隅から隅まで作者の趣味と好みと信念と意地と人生と・・・そういったモノを駆使しまくって作者自身が心の底から「楽しいものを作ってやった!」と納得しているような作品を読んでみたい
テーマはそれこそ何でも良いですね。もともと「何でもあり」な所があるのがラノベですから、ラブコメでも、アクションでも、軍記ものでも、ファンタジーでも、学園ものでも、なんでもです。
ただひたすらに作家が妥協を許さなかった作品を読んでみたいのです。

しかし

こんな話にかなりの無理がある事は分かります。
どんなネタがウケるのかとか、イラストはこの人が旬だとか、装丁はこうした方がいいとか、編集者の好みとかもそれこそ影響するでしょうし、出版社全体の意向もあるでしょうし・・・つまりは「売れなければ意味が無い」という「大人の事情」が厳然たる事実として存在している事を知っています。
それに・・・「やりたい!」と思った作家がそれほど今まで売れてない作家だったりすれば、何を言ってもせせら笑われておしまいというのがオチでしょう。
が・・・それでもやっぱり、無理を承知で、最高の一撃を読んでみたい。
F1やmotoGPの本戦で、優勝するために考えられたレース全体を考えての走りではなく、予選の一発勝負、ひたすらにスピードだけを求めて限界ギリギリの走りをするドライバーやライダーの見せるあの一瞬の究極を見てみたい。
作者が書きたくないあとがきなんて要りません。本編内で全てを出し切って下さい
作者本人がその作品の楽しさに自信のない作品なんて要りません。作者は自分の作品の一番のファンでいて下さい
売れ行きを気にして妥協した作品なんて要りません。例え一冊しか売れなかったとしても作者が最高に気に入っている作品を読んでみたい
まあ「ライトノベル」という分野の性質から言って真逆の贅沢を言っているのは分かりますけど・・・ね。

追記

結構思いつきで書いたエントリだったんだけど、意外な程の反応にビックリ!
ブックマークも沢山付いたし・・・それ以上にはてなスターの付いた数にも驚いた(と思ったら同じ人が沢山付けてたみたい)。

ちなみに「Something Orange」さんからこのネタで「サラリーマン作家などいない」というタイトルでトラックバックをもらったので、ちょっと「Something Orange」さんの原文を引用して、それに回答しますね。

1)その根拠は何なのか? 2)ただの印象ではないのか? また、3)それは古くさい文学幻想とどう違うのか?
4)読者は作家の内心にまで踏み込むべきじゃないと思うんだよね。わかるわけないんだから。
(数字を振ったのはid:hobo_kingです)

私の回答:

  1. 根拠はありません。元の文章でも「感じる」とか「感触」という言葉を使っている通り、ありません。
  2. ただの印象です。
  3. 古くさい文学幻想というのが、一体どういった事を指しているのかが分からなかったです。
  4. そうなの? 作家の「書いているスタンス」や「その時の内心」や「その時の状況」を読み取ったり調べたりして、作品の奥深くまで踏み込む作業も本を読む楽しみの一部じゃないのかなあ? 昔国語の授業でやった覚えがあるけど*1

「サラリーマン作家」なんていないと思う。ただ、作家がいるだけである。

うーん・・・「作家」という単語でまとめてしまって、玉石混淆の文芸世界を曖昧にしてしまうのって、かな〜り作家に対して甘い考え方じゃないかなあ? まあ、そういうスタンスもありと言えばありですけど・・・「いないと思う」って書かれている通り、こちらも客観的な証拠*2が無い限り、やっぱりただの印象じゃないんでしょうか?
というか、この件についてのスタンスに関しては「Something Orange」さんとは全く相容れない感じですね。超大手なのでおおっぴらにこう言う事書くのも妙に怖いですが。

私の

率直な意見としては、

「サラリーマン作家が『いる』か『いない』かの本当の所なんて幽霊みたいなもので、誰にも分からないんじゃ?」

でしょうか。なのでそういう所を突っ込まれても困る・・・と言う感じです。
ちなみに私のスタンスは「いる」ですかね。だから「いる」事を前提に文章を書いてます。

おまけ

雲上四季さんのこのエントリを見て妙にナットク。
締め切りの有無っていうのは大きいかもね。確かに「いついつまでに出版せねばならない」という縛りは「サラリーマン作家」を生み出す大きな理由になっていそうです。
出版社としても定期的に一定数の売れ行きを確保出来る作家を確保出来れば嬉しいでしょうしね。
それから私があまり文学作品に手を出さないのは・・・えーっと、何ででしょう? 読まない訳でもないですが・・・。

うーん

例えば私は映画で言えば、私はハリウッドとかで時々出来てしまったりする「あり得なさ全開だけど愉快痛快な娯楽作品」が好きなんですね。本気で作った単純明快な娯楽作品。間違ってもカンヌで賞を取ったりはしないけど、監督も俳優も「この映画面白いって!」って思っていて、そして観客も「いや〜面白かったねえこの映画!」見たいな感じの作品。
何となくですけど、文学作品はカンヌで賞を狙える作品であって「楽しいけど痛快じゃないかなあ」なんて印象があるのかな? で、ラノベはハリウッド系かなあとか*3
映画で言えば「ダイ・ハード」みたいなラノベが読みたいのかもね・・・ま、作り手が本当の所どう思ってたかなんて分かんないですけど、でも気合いは感じましたかね? うん、そんな感じ。
まあその、映画も締め切りあるけどね、あるいは予算とか・・・。

おまけのおまけ

普通ははてブのコメントに反応するのは止めてるんですけど、これはもう独り言というよりは普通にコメント欄にありそうな質問かなとか思ったので例外的に回答します。
id:FTTHさんの質問ですね。

っつうかさ、ジャンルが「ライトノベル」なんだから、「渾身の一撃」は原理的に/語義的にありえなくね? 「渾身の一撃」が読みたいならなんで「ライトノベル」読んでんの? ねえ何で?(AA略

えーっと、ライトノベルの定義が現状ガッチリと固まっていないので、語義的にあり得ないという事も無いかなと思います。私の場合、ライトノベルに「たったひとつの冴えたやり方」とかまで入ってしまう人*4なので・・・。
なんでライトノベル読んでるの? って言われたら「えー、好きだから」としか答えられませんが、上記のような理由で「渾身の一撃があり得る」と思うし「『分野:ライトノベル』から出た文芸史に残る傑作が出現する事があり得る」と思っている訳です。
というかラノベ作家達ってその位の実力/ポテンシャルを持っていませんかねえ? まあまたしても印象だけの無茶苦茶な意見ですが、どうでしょう・・・?

*1:当時は実につまらなく感じたもんですが。

*2:悪魔の証明じみているので考えるだけ無意味ですが。

*3:暴論ですけど。

*4:昔のエントリにありますが。