"文学少女"遠子先輩のヒ・ミ・ツ!

ってタイトルは

「偽りあり」ですね。正確には「"文学少女"遠子先輩の説得力のヒ・ミ・ツ!」です。・・・はい変な期待をした人手を挙げて〜。
まあこのエントリ、な〜んとなく思いついたんで書きます。

“文学少女”と慟哭の巡礼者 (ファミ通文庫)

“文学少女”と慟哭の巡礼者 (ファミ通文庫)

今や

ラノベ読みに絶大な評価を受けている(んじゃないかな?)野村美月氏の「”文学少女”シリーズ」ですが、ここでの”文学少女”たる遠子先輩の一番大事なポジションは「探偵」であると同時に「憑き物落とし*1」のポジションもあわせ持ってますよね。・・・愛読している方に取っては今更何言ってんだって感じですが。あ、あと妙なボケ先輩で妖怪(?)ってのもあるか・・・。まあそっちは本題じゃないので割愛。
「探偵」の方は「真実」を推測する能力と正しい観察眼という知性があれば可能な訳ですが*2、「憑き物落とし」の方はそうはいかない。登場人物や読者を含め、「憑き物が落ちた」と説得&納得させる必要がある。
・・・今までの所「憑かれた人」の「憑き物」はおおよそ落としてきていると言っていいんではないでしょうか。まあ憑き物が落ちた結果、抜け殻みたいになっちゃった人もいなくはないですが*3・・・いずれにしても遠子先輩、見事ですね。

ん、ちょっと待てよ?

登場人物を納得させるのは、作者のご都合主義でどうとでもなる所がありますね?
読者が納得出来なくても、作品を「そういうものとして」書いてしまえばいいのだから、強引と言える手法を使ってでも登場人物を納得させて「憑き物落とし」を可能にしてしまう事は出来るでしょう。
・・・しかし、それではこの本の「登場人物」は納得させられても「読者」は納得しないでしょう。読んだ人の中には「ナニこの超展開?」と思う人がきっと出てきます
でも、このシリーズの人気を見ていると、おおよその読者が遠子先輩の「憑き物落とし」の実力を納得しているように思えます。じゃないとここまで人気がでないでしょう。

でも

遠子先輩って所詮はただの女子高校生なんですよね・・・しかもとぼけた所のある・・・
人生の酸いも甘いも噛み分けた貫禄ある大人でもなければ、周囲から尊敬を集めるような地位と実力を持った人物でもありません。それどころか遠子先輩は本編中に登場する機会もそれ程多くないんですよね。主人公はあくまで心葉で、彼女は助言者くらいの位置づけでの登場です。
それなのに、彼女の言葉に「登場人物が耳を傾ける*4」だけでなく「読者に対しても同時に説得力を持ち」、さらに「登場人物は憑き物まで落とされ」て「読者はその展開に無理が無い」と納得出来させられます。

さて・・・。

彼女の言葉にただの真実を解き明かす「探偵」以上の「憑き物落とし」の力を与えているものは何か?
登場人物だけではなく、読者にまでその「憑き物落とし」の力を納得させている力の源泉は何か?
・・・という話です。

こっから完全なる想像ですが

彼女に説得力(登場人物&読者へのという意味)を与えているのは、ズバリ「過去の権威」じゃないかと思います。
多くの人が「凄いよ?」と認めた権威を流用して自分の意見のバックボーンとし、自分の辿り着いた「真実」にそれを上乗せすることで言葉に力を持たせているのですね
で、ここでいう「過去の権威」とは何かというと・・・「名作と呼ばれた文学作品」「有名作家達」ですね。
多くの人が認め、素晴らしいと評価し、これには価値があり、そして一つの真実である・・・と認めた文学作品を自分の意見に上乗せすることで、「探偵」以上の力を獲得している訳ですね。それは「人間失格」であったり、「嵐が丘」であったり・・・最新作で言えば「銀河鉄道の夜」&「宮沢賢治の人生」ですね。
聞こえの悪そうな言い方をすれば「ただの女子高校生の主観論」を語る際に、有名文学作品からの引用を大量に加える事によって「普遍的な客観論」「揺るぎ様のない真実」の様に見せかける事に成功している訳です。・・・もっと悪く言うと「虎の威を借る狐」と言ってもいいでしょう
手法が良い悪いとかの話はどうでもいいですが、結果としてそれは大成功していると言えるのではないでしょうか。

事実

遠子先輩は「謎解き」に引用を多用します。
最新作でも相当多くの引用を行います。作品の引用だけではなく、実在した作家達の人生に踏み入り、彼らがどうしてその物語を書いたのか、どんな気持ちで生きたのかという「作家の積み重ねた人生」という事実すらも自分の力に変えて、登場人物、ひいては読者までも説得して行きます
もし、この「引用」や「引用元の権威」が全く存在しなかったとしたら*5・・・おそらく「”文学少女”シリーズ」の持つ印象は全く違ったものになっていたでしょう。登場人物は納得しても、読者は納得しきれずに置き去りになっていた可能性がかなり上がるんじゃないでしょうか。

もちろんですが

そうした作品構造を持たせる事に成功した作者の野村美月の作品作りは見事ですね。
モチーフを有名作品に求める所からはじまって、元々そういう事がありうる話として作られているのがこの”文学少女”と銘打ったシリーズな訳ですから、だれも遠子先輩が有名文芸作品からの大量の引用をしたり、文芸作品に独自の解釈を加えて説得を試みたとしても変な事をやっているとは思いませんし、文芸作品を利用した説得の流れも上手ですね。
この辺りは作者の野村美月氏の手腕というか、着想が見事なのでしょうね。これは素直に素晴らしいですね。
しかも遠子先輩が可愛いので、私としては言う事無しですな〜。

完全なる余談

個人の意見*6とかでも、自分の文章に簡単に説得力を持たせたかったり、共感を簡単に得たいと思ったら、なるべく有名で多くの人に評価されているデータとか作品とかからの引用とかを多用し、そこに自分の言葉を上乗せすればいいんじゃないかな? 遠子先輩手法です。
結論が全く同じだったとしても「個人の意見」だけで文章を構成するよりグンと説得力が上がります*7。目新しい事は何も言っていなくても上手くやれば頭が良さそうにも見えます。まあ、あんまりやりすぎると「細か過ぎてメンドイ」となりますが、そこら辺のさじ加減は自分で見極めるしかないですね。まあそれも慣れです。私も実生活ではよくやります。
引用の仕方ですが、場合によっては複数の引用元を用意して、都合の良い所だけ切り取ってきたって(多分)大丈夫です。
あんまりいい加減だと一部の知恵者が、

「この〜全体の趣旨は結果として〜だから、そういう引用は間違ってる!」

というツッコミが入る可能性がありますが、大抵はそこまでいかないでしょう。気がついたとしても一部の人間だけです。きっと。
・・・なので、間違っても主観論バリバリで根拠の無い私の文章を引用して、自分の説得力を高める材料にしちゃいけませんという余談でした。

そうそう

この引用手法、自分以外の誰かを批判する時にも大変有用です。なぜなら引用元の権威を利用すれば、自分はその物陰に隠れてある程度まで好きな事が言えます
ただしもちろん借りる権威が批判する相手の権威より薄っぺらかったら逆に返り討ちにあって蜂の巣にされますが・・・。自分の安全を図るなら、権威の引用元は批判する相手より必ず社会的に力があるモノを選ばねばならないでしょう。

つーか

遠子先輩にこのブログの文章食べさせたら、何味って言うのかな!? ちんこ味とか言われたら、いろんな意味でショックだ!

追記ね〜

トラックバック頂きましたんで読みやすいように本文内からもリンクしておきます。猫拳@はてなさんですね。
読んでみての感想は「あ"あ〜、なるほろ〜」という感じです。
ただ、個人的には「登場人物に対しての説得力」という意味では十分納得出来たのだけど、やっぱり「読者に対しての説得力」=「読者が超展開と感じない」という意味では納得しきれなかった感じでした。すんません。
・・・って投げっぱなしだと意味不明なので、追記しました。

そのためには、相手が疑うことなく信じている身近な「常識」を打破してやることが、ときに有効です。

遠子先輩は、相手のマイナスの思い込みを解きほぐすために、全く異なる“想像”を提示します。そして、物語の解釈が無限にあるように、遠子先輩の“想像”も決して断定にはならず、常に相手の答えを促がすものです。強固な思い込みを揺るがされた相手は、目を逸らし続けた“真実”を自ら語ってしまうのです。もちろん、遠子先輩の“想像”が“真実”に迫っているからこそ、それが呼び水となるのですが。
(猫拳@はてなさんから引用)

登場人物を思い込みから解き放つためには新たな解釈を想像させる事・・・というのが大事だというのはそのままその通りのようですね。
文学少女は実際にそれを作品中で実行し、実現しています。この辺りの解釈、猫拳さんの解釈の方が正しいっぽいですね。

でも

それはその「強固な思い込み」を破壊するに足る力が「一介の少女に確かにある」と読者に納得させる事に成功している事の説明にならないのじゃないかなとか思います。

”文学少女”シリーズ」という作品として一番大変なのは、その「登場人物に新たな想像の第一歩を踏み出させる事」ではなくて、「登場人物がそれを納得しつつ新しい想像に踏み出した」と読者に納得させることじゃないでしょうか

元のエントリでも触れてますが、全く新しい“想像”を呈示するタメの「呼び水」は有名文学作品でなくても良いはずなんです。注に書いたりしましたが「隣の家のオジサンの日記」でも「全く知られていない同人誌の一文」でも良いはずなんです。例えば一般的に存在する「心理カウンセラー」とかが「特に文芸作品を引用することをせずに似た様な事をする」という事をするように。
でも、そうではない。
・・・いや、適当な説得でも作品の登場人物は納得するかもしれない。しかし登場人物は納得させられても、読者が納得しない。「ああ、確かに無理無く固定観念を打ち破っている」と思えないと思う。
そうなると・・・作者独りよがりの超展開になりかねない。
でも、どうやら読者達はちゃんと納得してこの「”文学少女”シリーズ」を読んでいるみたいです。
この「”文学少女”シリーズ」は作品構造的に「名作と呼ばれた文芸作品」を取り上げている。モチーフとする作品はなんでも良い(余り有名でなくてもちっとも構わないはず)にも関わらず、です。

そのあたり「遠子先輩が過去の権威を利用している」というより「作者の野村美月が過去の権威を利用している」と言った方がより正しいみたいですね。
こう書くと聞こえは悪いですが、見事な作品作りだという思いは変わりませんが。
いずれにしても、踏み込んだ猫拳さんのエントリ&トラバに感謝。

*1:再生とか復活とか再出発とか過去の清算とか、そういったものを担当する人生のカウンセラーみたいなイメージでお願いします。

*2:バーロー少年みたいなモンです。

*3:2巻とか。

*4:これは一応ご都合主義でもなんとかなりますね。

*5:例えば「私の隣の家に住んでる石田くん(13歳)は日記でこう書いているわ」とか・・・それじゃコメディですがな!

*6:会社でのプレゼンとか、レポートの発表とか、個人のブログなんかもそうか。

*7:まあ当たり前っちゃあ当たり前です。