感想書いた→作家に嫌われた→仕方ないじゃん?

先日のエントリ

「昨晩のVIPのアレ「ラノベ作家だけど、暇すぎるので質疑応答」で、自らをラノベ作家だという方の発言でこんな部分がありました。

自称書評家は、ホント嫌い。俺個人というより、作家全般が大体嫌っている。
飲み会とかでは、よくそんな愚痴が出るw

「自称書評家」ってのが、どういう人種を指すんだか分かりませんし*1、この人がどんな本を書いているのかも分かりませんし、極端な話本当に作家なのかどうかすら分かりません・・・まあその辺りは分からないことだらけなんですけど、取りあえず話にならないので全て真実だと仮定して以下、話を進めます。

私が

この人の言っていた「自称書評家」かどうかは別として、まず思ったのは、

もし私の書いた感想を読んで、喜んでくれたらとても嬉しい。でも嫌われたら嫌われたで、それはそれで悪くない。

ですね。
昨日のエントリにも書きましたが、「『愛の反対は?』と聞かれたなら、私は『憎悪』ではなく『無関心』と答える人間」です。
私の書いた感想を含め、私を嫌いだという作家の方もひょっとしたらいるかも知れません。それは残念ですが仕方がないです。
でも、こんな私の書いた感想をとても喜んでくれた作家の方も幾人かいらっしゃいました。死ヌ程嬉しかったです。
そんなもんです。

それに

書評/感想を書いて好かれるにせよ嫌われるにせよ、実際の所なにがその原因になっているのかは「好いた/嫌った作家本人」にしか分かりません。
例えば、

  • 全く見当違いの所を褒めているのが気に入った/気に入らない
  • 実は痛い所を突かれてしまったのが気に入った/気に入らない
  • 作品全体を勘違いされたのがのが気に入った/気に入らない
  • とにかく絶賛されているのが気に入った/気に入らない
  • とにかくこき下ろされているのがのが気に入った/気に入らない
  • とにかく馬鹿げているから気に入った/気に入らない

などなど・・・どれも無いとは言い切れません。
・・・でもなんらかの形で自己主張を積極的に行っている人なら言うまでもなく気がついているんじゃないでしょうか?

どんな形であれ自己主張を行う以上、好かれたり嫌われたりするのは当たり前。

だという事を。これは自己主張/自己顕示欲に付きまとう業と言っても良いかもしれません
よかれと思ってやった事が原因で嫌われる、意地悪のつもりでやった事が原因で好かれる、熱烈な愛を表現したらストーカー扱い、嫌いなので無視していたら素直じゃないとか言われた・・・現実にはそんなあべこべな話だって幾らでもあります。
もちろんブログやっていても同じような事は起こるでしょう。そして自分に忠実であろうとすればする程、八方美人ではいられなくなります。さらには、何を理由に好かれて、何を理由に嫌われるのかも表現してみるまで分からない。
そしていつかその結果は自分に跳ね返ってくるでしょう。それが良い結果をもたらすか、あるいは悪い知らせなのか・・・それは分かりませんが。

それから

再び同じ部分を引用しますが、

自称書評家は、ホント嫌い。俺個人というより、作家全般が大体嫌っている。
飲み会とかでは、よくそんな愚痴が出るw

実は同時に笑いがこみ上げました。
この心理を、今まで一方的に情報を管理出来て、大衆を操る事が出来たテレビ/新聞などの旧マスコミが、ネットの普及に伴って大衆が自分達の影響力を脅かすようになってきたことに不安感/不快感を持っているのと一緒みたいに感じたからです。

かつて、作家達は一般の人に対して一方的に情報を発信出来る一種の優位性を持っていました。そしてその地位に就ける事自体が尊敬を集める事でもあったと言って良いと思います。だから「先生」なんて呼ばれたんでしょう。
作家と読者の関係は間違っても対等では無かったし、天と地程の開きがありました。

しかし今や

「名も無き名無し」の人が全世界に向けて情報を発信出来るようになりました。
黙っていたはずの人達が黙っていなくなった*2のはネットを活用している人なら当然のように知っている事でしょう。かつてあったはずの「作家と読者」の間にあった「天と地」の開きは昔と比べて確実に狭まっています。
しかし、上で出てきた「愚痴を言っている作家達」にはその流れを食い止める事は出来ないし、恐らく食い止めるための口実も思いつかない。でも今まで持っていた自分達の優位性が徐々に失われつつある事にも気がついている。だから「愚痴」を言う。

「一方的に表現したい。名も無き誰かに批判なんてされたくない」

という一方的に表現出来るという既得権益に縋り付きたいという心理が透けて見えるようです。

「人の苦労も知らずに好き勝手言いやがって・・・」

でもなければこんな感じですかね? そんなもん客商売していれば誰だって通る道です

そしてさらには

書く事に金銭のやり取りが発生する「職業書評家*3」が自分の立場やしがらみ、あるいは生活のために書きたくても書けない事を、匿名掲示板の名無しやAmazonのレビュアーや大きな影響力を持ったブロガーが暴いてしまう事すら時としてあり得るのでしょう。そしてそれはネットの無かった時代には考えられないような痛苦を作家達に与えているのかも知れません。
しかし、その痛みを、

  • 「ある意味喜ぶべき事」
  • 「仕方のない事」
  • 「場合によっては受け入れるべき事」
  • 「時として我慢すべき事」
  • 「状況によっては受け流す能力が必要な事」

と考えられない作家は、自分達がかつていたネットの無い社会*4が風雨から守られているぬくぬくとした温室であった事にすら未だに気がついていないのだと思います。そしてネットの普及しだしたこの時代こそが、温室の扉が開け放たれた時代じゃないのかなあと私は思います。そしてその流れは止まらないと思います。
・・・酒場で愚痴を言うのも結構ですし、自称書評家を嫌うのも結構ですが、それよりもっと自分の作品を高める努力をした方が良いんじゃないでしょうか。この際動機はなんでも良いでしょう。お金のため、楽しんでもらうため、養うべき家族のため、自己顕示欲のため・・・色々あります。誰でも欲望は持っていますから、少しも恥じるような事ではないと思いますし。
あるいは自らを芸術家であると信じていて、自分が現時点で発揮出来る最高のパフォーマンスを実現した作品と作り上げたと信じるのならば、現在の自分の作品にプライドを持って、小さな馬鹿げた批判など完全無視すれば良いと思いますね。
とにかく、愚痴を言って停滞していると、ほんの一握りの天賦の才をもった作家と、自らの不足を知ってその不足を埋める努力を怠らなかった作家以外は、気がついたら街頭や2chAmazonやどっかのネットの片隅で自ら、

「私の本を買ってくださいお願いします! 楽しい本ですから!」

とかって営業しなければいけないようになっちゃうかも知れません。

ところで

上でも書いた通りこのエントリは例の2chでのやり取りが本物のラノベ作家の手によるものという前提で書いています。もし偽物ならここで書いた事は全て意味が無くなりますね。どうせならその方がいいですが

それから

私の感想を喜んでくれた作家の方、あるいは匿名でも批判してくれた作家の方もいるかも知れません。心の底から感謝致します。あなた達のおかげでまだまだ適当に感想を書いて行けそうです。
もちろん、いつもこのブログを読んで頂いている一般の読者の方々にも感謝致します。それが批判にせよ同意にせよ、あなた達のおかげでまだまだこの辺りでドロドロしていられそうです。

さて

またもの凄く過激な事を抜かしてしまったような気がしますが、皆さんはどのように思いますか? 仮定に仮定を積み重ねている話なので鼻で笑う人の方が多いかも知れませんが・・・ね。

追記

このエントリのコメント欄が溢れています!
コメントを書いても反映されないという原因不明のオソロシイ事が起きているので、もしこのエントリにコメントしたいという人は、こちらのエントリにお願いします。

この話は

こちらからこちらのエントリにコメントがどんどんと流れて行き、結果として自称作家とネット書評家のまとめ/コメント欄全解放というエントリで纏められています。

*1:書評と感想の明確な区別もつかない私です。

*2:2chはその典型ですね。

*3:どの位いるのか知りませんが。

*4:作者と読者が直接繋がらない社会。