オタクの生き様に生命の神秘とか感じるべきかも
時々
テレビとかで明らかに不気味なものに見せようとしてオタクが取り上げられる事がありますよね。
つまり——。
「三次元の女に興味はありません」
というような涼宮ハルヒばりの主張をするオタクが出てきて、まあ大抵はキモイものとして笑われたり呆れられたりしている訳です。
この間も深夜のテレビ番組かなんかで上記のようなオタクをどっかから引っ張り出してきて*1とにかく笑い者にするのが目的っぽい番組を見ました。
私もね
オタクが怖いとかってエントリを書いちゃう位ですから、オタクそのものについてある種の不気味さとか怖さを感じているのは事実です。
しかし・・・、
「ちょっと待てよ? 単純に不気味とか怖いとか言っている場合じゃなくて、そこに生命の神秘とか感じるべきなんじゃなかろーか?」
と夢で見たので*2寝起きですが発作的にこうしてエントリを書いている訳です。
どうしてそんな風に思ったのかという脳みその動きを忘れないように記録しておこうと思います。ついでにちょっと調べたりもしました。
以下が本題です。
生物にとって
自分の遺伝子を後に残すというのは至上命題のはずじゃないですか。
それこそサケとか自分が死ぬの承知で川を遡って産卵とかする訳ですし、自分の命を捨ててまで次世代を残そうとする生き物の数は決して少なくありませんよね。カマキリのオスだって自分が喰われる可能性があるのにメスと交尾しようとする訳ですし。
そうしたものを目の当たりにする時、私は生命活動の偉大さに触れたような気がします。
で、話変わって
別の方向で驚かせてくれる生き物もいます。
有名どころではレミング(タビネズミ)の行動とかですね。
リンク先はwikipediaの「集団自殺」の項目ですが、見ている側からはなんだか良く分からない理由でレミングはじゃんじゃか死ぬ訳です。しかもwikipediaで見る限りは、色々と説はあるみたいですが、実際の所の理由ははっきりしていないらしい。不思議ですね。まさしく生命の神秘ですね。
これらはあくまで極端な例で
集団自殺まで行かないまでも、群れを守るために利他的な行動*3を取っているように見られる動物がいるという話も聞いた事があります。今現在の学説がどうなっているのか分かりませんが、それを聞いた時に「生き物って不思議だなあ」と思った記憶があります。
・・・おや? 調べると利己的遺伝子なんて項目にも辿り着いてしまいました。
遺伝子中心で考えると理解がたやすいのは、ミツバチの働きバチなど、社会性昆虫における不妊階層がみせる利他的な行動である。自らは子孫を残さずひたすら女王バチに献身する働きバチの行動に、どのような生物学的利益があるのか?遺伝子主観の立場からはこう説明できる。働きバチの持つ遺伝子(母親の手助け行動をとらせる遺伝子も含む)にとって、75%だけ共通遺伝子を持つ女王バチの繁殖を助けることは、結局自分自身で繁殖をするよりも、自分自身のコピーを効率的に増やすことになるのである。つまり働きバチの行動は表面上は利他的に見えるが、遺伝子にとっては自らの利益に十分かなう(利己的)のである。
(wikipedia 「利己的遺伝子」より引用)
んー? オタクの行動に、なんか、似てない?
ちょっと自分なりに書き換えてみる。
遺伝子中心で考えると理解がたやすいのは、人間のオタクなど、サブカルチャーにおけるオタク階層がみせる利他的な行動である。自らはコンテンツを残さずひたすらクリエイターやクリエイターの作り出したコンテンツに献身するオタクの行動に、どのような生物学的利益があるのか?遺伝子主観の立場からはこう説明できる。オタクの持つ遺伝子(クリエイターの手助け行動をとらせる遺伝子も含む)にとって、75%だけ共通遺伝子を持つクリエイターの生命活動を助けることは、結局自分自身で繁殖をするよりも、自分自身のコピーを効率的に増やすことになるのである。つまりオタクの行動は表面上は利他的に見えるが、遺伝子にとっては自らの利益に十分かなう(利己的)のである。
こんな感じ? かなあ?
○○信者って言われる類いのオタクってこれかも。
三次元の女性に興味のないオタクは、実は上にある利己的遺伝子のように「自分にとって優れたコンテンツを提供してくれる優良なオタク(クリエイター)」を支持する事によって利己的に振る舞っているのかもしれません。
あるいは
何らかの進化の結果か、環境の変化のせいかは分かりませんが、自分の遺伝子ではなくミームを残そうという方向に進んだのかもしれません。
ミーム(meme)とは、いわゆる文化的遺伝子で、文化内の「変異」が「遺伝(伝達)」的に承継され、「自然選択(淘汰)」される様子を進化になぞらえたとき、遺伝子に相当する仮想の主体である。例として災害時に飛び交うデマ、流行語、ファッション、言語など、すべてミームという仮想の主体を用いて説明できるとする。例えば「ジーパンを履く」という風習が広がった過程をミームの視点から捉え直せば、『1840年代後半のアメリカで「ジーパンを履く」というミームが突然変異により発生し、以後このミームは口コミ、商店でのディスプレイ、メディアなどを通して世界中の人々の脳あるいは心に数多くの自己の複製を送り込むことに成功した。』となる。訳語としては 摸倣子、摸伝子、意伝子 がある。
(wikipedia 「ミーム」より引用)
私はどっちかと言えばこっちのタイプかなあ? 上のオタクと本当に違うのかどうかも良く分かんないけど*4。
それとも
もっと別の理由*5があるのかも知れませんが、何にしたって「生命の神秘」と言ってもいいのかも知れないと思った次第です。
怖いとか言っている場合じゃない
自分もオタクだろうと思っている私としては、真剣に考えてみる必要がありそうなネタですね。これからなんか頭の良い人がこの手の事をについて言及していないかちょっと注意深く見守って行きたいと思います。
でもとにかく色々と考え中。私の中でオタクが怖くなくなる日も、そう遠くないかもしれません。