映像文化の段階的爛熟について

先日

ある映像作品についてエントリを書いたところ、いろいろな作品を紹介してもらった。
その関係で一連の映像作品に触れるという貴重な体験をさせてもらったことと、その作品群について思うところがあったので適当にまとめてみた。

第一段階

原材料1


これを本家本元として良いのかどうかいまいち知識の足りない私には分からないのですが、まあ再生回数が多いのでよしとする。これが先日のエントリに取り上げた映像作品。とてもキュート。
しかし、ここで注目してほしいのはアイドルマスターというゲームや、中で踊っているキャラクターではなく「ふたりのもじぴったん」という曲が存在し、それに人気があるという点だけです。

原材料2


これはかなり昔からある有名な映像作品。
ドイツ人の少年がアンリアル・トーナメントというネットワークシューティングゲームに没入帰依し、脳汁を垂れ流しながら崩壊していく様が赤裸々に記録された映像です。なんというか、凄い。

第二段階


第一段階の原材料1の作品をアレンジする人が出てきた。
これは「ふたりのもじぴったん」をあの初音ミクに歌わせた作品。この作品くらいまでなら第一段階を知らなくても楽しめる可能性がある。

第三段階

第一段階と第二段階の作品を合成する人が出現。
そうなると上記の作品群を知っていることが前提として要求される。
知らないと多分最初の数秒を見ただけで内容の濃さにどん引き。画面内で暴れている奴が何者かも分からなければ、曲の正体も分からないままでこの作品を見れば、「ついて行けねえ・・・」と感じることはほぼ間違いない。

第四段階

もはや完全なるカオスと化した第四段階。
上記作品群を知っていないと見た瞬間に何が発生したのか分からないという状況になるであろう。一つの完成を見たと言っても良い。多分ピカソキュビズムとかに目覚めたのもこんな感じで段階を踏んだんではないかな・・・などと無茶な事を考えたりする。

第五段階

もう言うことは何もない。
全てはもうなんというかユニバースな感じになって太陽と対決する。
何故ケツにネギを刺すのか、運動会プロテインパワーとはなにか、モグラはなぜ発進するのか、月面で初音ミクは何がしたいのかなど細かいことを考えてはいけない。考える必要もない。意味が崩壊していく様はダダイズム的というかシュールレアリズム的ですらある。

このように

映像文化は段階を踏んで爛熟するのだということをまとめてみた。実際の所は知らん。
でも、ひょっとしたらあらゆる文化は熟成が進めば進むほど意味の崩壊が強くなり、シュールレアリズムの方向に進むのかも知れない・・・などとニセ文化人ぽくまとめた(使用時間:約15分)ところで仕事に戻るね。

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教えてくれたid:spark氏に感謝。腹筋が確実に5本は切れた。