プリンセス・ビター・マイ・スウィート

ストーリー

ひとつ、タマシイビトには記憶を選んで抜き取るものがいる。
ふたつ、タマシイビトは記憶を食べないままだと狂いだす。
みっつ、タマシイビトは人の女に入りこんで子供を残す。
よっつ、タマシイビトは決まったかたちをもっていない。
いつつ、タマシイビトはイケニエビトをエサにする。
むっつ、タマシイビトに近い人間もこの世にいる。
ななつ、タマシイビトは人間とは異なる生き物。

記憶を食べて、人を食べてしまう生き物は、美しい少女の姿をしていた。
不思議で、不気味で、愛しくて、そしてもの悲しくて、でも幸せな物語。

この読了感

今の気分はなんでしょうかね? 良い気分なんでしょうか、悪い気分なんでしょうか。
悲しめばいいのか喜べばいいのかよく分かっていません。まあ前の作品もそんな話でしたから今回もそんな感じなのだろうとは思っていましたけど――それでもやっぱり、言葉に出来ない苦しさが胸にわだかまっています。
激しい片恋をした時のように、胸が満ち足りているようで実は全く足りていないような――、何かが足りないのは分かっているのにその不足こそが一番愛おしいのだという事が分かっているような――そんな奇妙な充実感とでも言うべきものに苛まれています。
つまり・・・読むべき話を読んだ、そういう事なんでしょうね。

前回は

イケニエビトという「記憶を食われるために存在している不思議ないきもの」を主題に扱った作品でしたが、今回はその逆で「記憶を食べるために存在している不思議ないきもの」を中心に据えた作品です。
突飛な設定と言って良いのかも知れませんが・・・それでもこの作品の中には少年少女の心に脈打つ特有の鼓動のような物を感じることが出来ます。こんな話は――他に無いに違いありません。

「正解は?」と俺はぼそりと聞く。
「わたしです。あなたはわたしのことが好きです。どうしてこんな簡単なこともわからないんですか」
「不思議な告白だな。普通は『わたしはあなたのことが好き』だろ」
「それくらいわかっています」

「お前の八重歯、正直かわいかったぞ」

恋に翻弄されるタマシイビトのプリンセス・畠山チャチャ。そしてお相手はありきたりな少年の関屋晴之。二人の辿る数奇な運命。それは本当にビターで、でもやっぱりスウィートで・・・この作者の言葉を借りれば、焼いたフルーツのように「ずるい味」のする作品なんですね。

でも

なんだろうかこの「ずるさ」。ずるいのに少しもイヤじゃないんです。いや、だからずるいのかな・・・?
読んでいると決して実らない事を知っている恋を一心不乱にしていた時の事を思い出してしまいます。記憶の中の実らなかった恋はいつまでも満たされない想いだけれども、いつまでも決して腐り落ちることのない果実となって心の中で芳醇な匂いを発していて・・・その果実の香りを嗅いでしまったような気持ちにさせられるのです。
そして、香りとともに記憶は鮮やかに甦る――例えタマシイビトに記憶を食われてしまったとしても。そういう本です。不思議で・・・そしてきっと、素敵な物語です。

総合

星・・・5つにしようかな。
前の話も4つか5つで迷いましたけど、やっぱり5つ星にするだけの価値がこの話にはあるように思います。設定そのものは荒唐無稽だけれども、決してそれだけの話じゃないと言っていいのではないでしょうか。
1巻に出てきた登場人物なんかもちらほらと顔を出していたりするところも読者としては嬉しいですね。イケニエビトもタマシイビトも、立場も生き方もまるで違いますが、その数だけ別の「ビター」で「スウィート」な話があるに違いありません。そんな想像をしてしまう物語です。
なんだかよく分からないんですけど、恋っていいなあ・・・そんな風に思ったりもしました。

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