あなたのための物語

あなたのための物語 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

あなたのための物語 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

ストーリー

時は2083年。ニューロンロジカル社の経営者にして研究者のサマンサ・ウォーカーは、脳内の経験や感情を記述することが可能なITP(Image Transfer Protocol)というシステムを開発していた。サマンサはその研究過程でITPプロトコルによって記述された仮想人格≪wanna be≫を作り出す。
そしてサマンサたちニューロンロジカル社はその仮想人格に小説の創作活動を行わせることによって、ITPによって記述された存在の創作性の試験を行っていた。
そんな矢先、サマンサ自身に予想外の事実が判明する。サマンサは科学技術の進歩した未来であっても避けることが出来ない死病に蝕まれていたのだ。その余命、僅か半年——。サマンサは現実から目を逸らすようにITPの開発へとのめり込んでいくのだが・・・。
円環少女」を書いている作者による、本格SF作品です・・・が。

みもふたもないですが

私にこの作品の構造とか細かな部分について論じるだけの知性はありません。はっきりとギブアップです。
しかし感じるものはあります。この作品は徹頭徹尾”死”を掘り下げた作品で、それは最初のページから最後のページまで一切揺らぐことなく”死”を中心に語られます。登場人物まで必要最低限に抑え、ひたすらサマンサ視点での行き場の無い現実を描き続けます。
そこに妥協は全くなく、容赦のない”死”の予感に恐れ、震え、怒り、怯える人間の姿が描かれます。美しくもなければ分かりやすくて優しい救いもありません。ひたすらに文字を費やして病にやつれ、衰えていき、そして死んでいく人間の姿を描いています。
もちろんSF作品ですし、仮想人格というものを作り出した上での思考実験的な要素も大量に詰まっていますが・・・そのいずれもやはり”死”の匂いが染みついています。

難しいことを抜きにして

読了後に思ったことは・・・ただ一つ、作者の長谷敏司はロマンティストなのだなあ・・・という事でしょうか。
これは勝手な想像に過ぎないのですが、きっと作者は我々の前に余りにも理不尽に横たわる”死”というものを解体してしまいたかったのではないでしょうか。そしてその解体作業に必要だったのがSF的舞台だったのではないか、などと思ったのです。
柴村仁が「プシュケの涙」という作品で絵画的に、あるいは叙情的に”死”を切り取ったのとは対照的に、長谷敏司は「あなたのための物語」という作品で”死”という曖昧な曲線で構成された存在を微分しまくって、一つの数学的な解を文学的に表現してみたかったのではないでしょうか。
きっと作者は誰にでも訪れる”死”をむき身のまま受け止めることが出来なかったのではないでしょうか。だから解体しようとした。”死”の解体を試みた結果としての作品はどこまでもロジカルで叙事的。しかしその創作動機はどこまでもロマンティックでセンチメンタル——そんな風に感じたのです。

この作品には

救いがないと上では書きましたが、果たしてそれは正しいのかというと・・・どうも違うようです。
この作品のタイトルは「あなたのための物語」です。「あなた」は主人公であるサマンサを指し示すと同時に、読者である我々をも指し示します。そして物語のなかで仮想人格≪wanna be≫が指し示した一つの認識が、主人公のサマンサを通り過ぎて読者である我々にまで届くのです。
”死”は究極の理不尽です。積み重ねた全ては意味を失い、何もかもが無に帰します。そこには例外はありません。しかしこの本を読み終えた私たちはひょっとしたら自らの”死”その時に、この物語を思って消えていくことができるかも知れません。それは物語の作り手である長谷敏司から読者である我々の記憶の底へと渡される最高の贈り物ではないでしょうか。

総合

5つ星ですか。
正直あまり良いSF読者とは言えない私ですから判定不能としておきたいところですが・・・なんだか相変わらず物語そのものに圧倒されてしまったのでこの星になっています。私の中で一つだけ確かな事としては——ライトノベル作家が放つ「渾身の一撃」がこの作品にはある、という事でしょうか。
知恵者が作品の構造をもっと深くかみ砕いていけば、作者によって巧妙に仕組まれた企みを暴くことも、奥底に込められたメッセージを正しく受け取ることもきっと出来るのではないかと思うのですが、単なる一読者に過ぎない私はこの程度の認識で精一杯です。
いつかですが・・・この物語を再読しようと思うとき、必要なものが自分の中に満ちていればそれらの謎は自ずと明らかになることかも知れません。今はその時を楽しみにこの本を書棚へとしまおうと思います。

感想リンク