ダン・サリエルと真夜中のカルテット

ストーリー

楽家にして神曲楽士、そして若くてイケメンと何拍子もそろった演奏家であるダン・サリエル
音楽評論家には「大衆受け」やら「消耗品」やらと書かれたりするサリエルの音楽だったが、それにしたって売れているのは間違いなく、結果として彼はいつだって傲岸不遜で尊大極まる態度をとり続けてきた。のだが・・・。
そんなサリエルに恐ろしいものが訪れる。全く突然に、そしてどうしようもなくやってきた”それ”は、サリエルの頭の上にじっとりと停滞したままでそこを動く気配がさっぱり見えなかったのだ。クリエイティブな活動をしている人につきものな”それ”――つまりスランプである。
そうはいっても自称天才なサリエルがスランプっぽいものに陥るのは良くあることだったので契約精霊のモモも最初はそれほど心配していなかったのだが、時間が経つにつれて今回はかなりまずいんじゃないか? という事に気がつきはじめる。押しかけ弟子としてサリエルを慕うアマディアにも、アマディアの周りをウロウロしている上級精霊のコジの目にも、今回のサリエルは”かなりヤバそう”だった!
という感じで始まるあざの耕平によるポリフォニカシリーズの三冊目、なんかこれで一応一区切りみたいな事があとがきに書いてあるんですが・・・。

スランプですか

あるんですかね、あるんでしょうね、スランプ。
まー創作とは言えないこんな感想を書き散らしている私でも「なんか上手く書けねえなあ〜」というのは良くあることなので何となく分かりますが、実際の所はマジそれでメシ食ってる人にしか分からないようなどうしようもない波のようなものなんでしょうな。
という訳でとにかくサリエルがスランプです。超傲慢なサリエルも今度ばかりはかなり堪えたようで、序盤から迷走しっぱなしです。まあどんな感じなのかは33ページの最初のイラスト(セックス・ピストルズとか思い出しました)とか見てもらえると分かるんじゃないかとか思うんですが、これがまだ序の口だというから今回は深刻です。なにしろ・・・。

「な、何か気に障りましたか、コジさん? 済みません。すぐに退散しますんで……」
ヘコヘコ頭を下げながら、サリエルが玄関に向かう。その姿は卑屈そのもの。およそ、いつものサリエルとは正反対の姿だ。

まあその・・・積み重ねれば積み重ねるほど良くなるものとは限らないのが芸術の世界でしょうし、そうすると芸術家たちは”裏打ちのない才能””根拠のない自信”とでも言ったものにすがって立つしかない訳ですよね・・・。で、一度その”自信”やら”才能への信頼”が失われるととことん脆いというのがむき出しになって出てます。それが実に笑えますが、なんだか心のどこかで笑えない感じがするのは何故でしょう? うーむ・・・。

とにかく

今回はこのスランプ話を導入にしてその他の話も書かれているんですが、前巻と同じようになにやら際どい部分があったりして読んでいる私はニヤニヤしっぱなしだったりしました。それはサリエルが自分の事をあーだこーだと書いた音楽批評を読んでの反応なんですが。

「いいかっ!? これは何も、オレだけの思いではないはずだ! ジャンルを問わず、世のクリエイターの大半は、したり顔の批評家どもの身勝手な分析だの評価だのに、怒りと屈辱で煮えくりかえっているはずなのだ! たとえ表向きには真面目くさって『批評は真摯に受け止めたい』とか発言しようと、腹の底では消えてなくなれと思っているに違いない! 絶対にそうに決まっている! だってムカツクんだから!」
「ちょっ!? サ、サリエル先生! お気持ちはわかりますが、あくまで個人的な意見を、さも一般論のように仰るのは――」
「構うものか! 実際、オレの知り合いのあの作曲家も、あの歌手も――それにあの大御所だって、酒の席では同じことを言ってたんだ! これはクリエイターにとっては、当然のことなんだよっ!? そのことを、オレはやつらに教育せねばならん! 自分が、『何様!?』『死ね!』と罵倒――いやさ、呪詛されていることを、無自覚な批評家連中に教えてやるのだ!」
「ま、待つのだ、サリエル! それこそ、『何様!?』『死ね!』的な発言だぞ? 調子に乗るのも大概にしておけ!」

・・・えー、作者のあざの耕平氏はあとがきで「私の考えじゃないからね!?」と強調していますが、どうだか(笑)。

個人的な

意見を言わせてもらえば、サリエルの言うことももっともだなあとか思います。自分が苦労して作った作品(しかも批評家連中はその苦労なんて少しも知りはしないのだ!)に一方的に違う土俵からケチをつけられれば、そら腹も立つわいな。
という訳であざの・・・じゃなかったサリエル氏の怒りには共感できますが、それは上の引用部分のアマディアとコジによるサリエルへのツッコミを含めてという感じですね。その・・・「批評家連中に腹が立つ」けどその一方で「そんな事思っちゃイカン」という相反する感情が渦巻く感じ、とでも言いますか。
例えば私ですが、ここで書いている事がただの趣味のブログで、しかも人様の尻馬に乗っかって書き散らしている駄文だという自覚があります。が、それでも適当で見当違いな事とか言われてこき下ろされたりすると、フツーに腹立ちますものね。でもそうした第三者の視点が新しい発見を生んでくれたりする事もあったりするので、結果として「痛がゆい」という微妙な心境になります。・・・まあ大抵は「テメーみたいなヤツは通勤・通学途中の電車の中でうんこ漏らして悶え死ねー!」とか思って終了なんですけど。
んで、ライトノベル作家の方々が私と同じような精神性を持っていると仮定した場合、こんな感想ブログやっている私は大抵のライトノベル作家には頭から無視されているか、寄生虫のように嫌われていることでしょう。まー当然の報いという感じでしょうかね。

脱線しましたが

えーっと、最後の話はアマディアが中心になって作られる話ですね。
サリエルのスランプと、スランプからの復活が書かれた後で「一年中スランプ」のアマディアの話に繋げていくのは実に上手いやり方だと思いましたね。しかもアマディアは今回、神曲楽士を目指しているという自分の進退を賭けて「極度のあがり症」という問題に向かっていくことになります。
このアマディアの話へのもって行き方が上手いというのは上で書いたとおりですが、それより上手いなあと思ったのは、このアマディアの話にただ一人として「悪人が登場しない」という所でしょうか。話を作るだけなら恐らく「アマディアの気持ちを無視して彼女を好きにしようとする悪人」とか出した方が楽だと思うんですが、あざの耕平氏はそうしたある意味安易な道を選びませんでした。
ちょっとした中編くらいの話なんですが、実のところ結構な部分で作者の非凡な創作姿勢が見える良作じゃないかななんて思ったりしました。読み終えると最終的になんか「ほっこり」出来る話です。締めの話としては最高の部類に入るんじゃないかな・・・。

総合

星4つですね。
なんかこの話で終わりみたいな事が書いてありますが、もしそうだとしたら非常に残念ですね。他のポリフォニカシリーズが全体的に「強力な上級精霊が出てきてのパワーゲーム」という感じの作品なので、それらとは全く切り口の違ったこのシリーズがとても気に入っていたのです。精霊とかの設定を抜きにしても充分に面白い作品だったというか・・・そんな感じです。
とにかくここで終わりという事になると、全三巻で手に取りやすいシリーズという事になると思うんですが、この作品を初めて読むポリフォニカシリーズにするのはちょっとおすすめできない感じがするのが残念ですね。「精霊とかの設定を抜きにしても面白い」=「ポリフォニカシリーズ特有の設定を多用して作品を作っていない」という事なので、世界観について微妙に説明不足な部分があるような気がするからですが。でも面白いことは間違いないので、他のポリフォニカシリーズを読んだことのある方は、安心して買い、ですね。
イラストはカズアキ氏です。私はこの人の絵は好きですね。カラーも美しいし、白黒イラストも奥行きを上手く利用して書かれている感じがして好印象です。もっと活躍して欲しい絵師さんです。

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