小さな魔女と空飛ぶ狐

小さな魔女と空飛ぶ狐 (電撃文庫)

小さな魔女と空飛ぶ狐 (電撃文庫)

ストーリー

サピア共和国は、国際的に見ればよくある出来事をまるで必然であったかのように起こし、それに見合うだけの悲劇を国民からひねり出して順調に内戦状態となり、近隣諸国の思惑を巻き込みながら鉄火によって引き裂かれた死体の溢れかえる悲憤の国となっていった。
レヴェトリア皇国もサピア共和国に対して干渉している大国の一つである。レヴェトリアはサピアの反乱軍側に与する形で軍隊を送り出しており、クラウゼ・シュナウファー少尉はそこで「狐」という二つ名で恐れられているエースパイロットだった。彼は優秀な兵士として敵兵の死体を――積極的に指揮をとり積極的に敵機を味方に撃墜させ、ただし消極的に直接手を下して――結果として大量に作り出しながら戦場の空を飛んでいた。
そんなクラウゼに上層部から特殊な指令が下る。戦争の現場をよく知る人物として兵器開発を行っている優秀な科学者に協力して、サピア共和国の戦況を決定的にするような新兵器を作り出すこと、というのが命令だった。最前線からレヴェトリアへととんぼ返りしたクラウゼが連れて行かれた先で出会ったのは科学者とは思えないような一人の少女だった。

「ま、わたしに任せておきなさい。戦争なんてすぐに終わらせてあげるわ!」

そうふんぞり返って豪語した少女の名前はアンナリーサ・フォン・ラムシュタイン。レヴェトリアの皇族との繋がりを示す白金色の髪をもったその少女は、天才、美しさ、血筋・・・確かに幾つもの才能を神から与えられているようだったが、まだまだ子供であることも間違いなかった。クラウゼはこれからアンナリーサと協力して新兵器の開発を行っていかなければならない。
そして戦争は現在も継続中であり、戦場は兵器開発をする科学者を待ってはくれない。しかもレヴェトリア皇国とサピアを挟んでの敵対勢力となっているヴェストニア共和国にもアンナリーサに匹敵する狂気の天才とも呼べる人間が存在していた。さらにはサピア以外から諸外国の思惑と共にサピアに流れ込む幾多の金と兵器と人間たち・・・そうしてサピア共和国での内乱はさらに悪化の気配を見せ始める・・・。
という感じで作られたちょっと変わった視点から描かれる戦争物語です。仮想的な国々が舞台になっていますし、あくまでもライトノベルとしての体裁を保っていますが、それ以外では結構リアル寄りの作りの物語でして、SF的な要素も持った作品です。

いやあ

好きですね・・・!
同じ作者が書いた前作「ピクシー・ワークス」もかなり好みの作品でしたが、こちらの作品もたっぷり読ませてくれます。物語の舞台になっている世界情勢ですが、ベトナム戦争時のアメリカとソビエトの関係を想像してみると理解するのが楽でしょうね。弱小国家を間に挟んだ大国の代理戦争という様相です。
・・・いつの時代でも悲劇に見舞われるのは弱者という訳ですね。結果として作中で舞台となるサピアの地では数々の悲劇が起きるのですが、作者はその状況を冷静なまま、批判的かつ皮肉げに描き出しています。かなり長いのですが、作者の主張が真っ直ぐに書かれていると思えた部分を引用してみます。

介入している各国の軍隊が自国と仮想敵国の新兵器に気を向け、各国の政府がこの内戦で生じる莫大な利益の勘定に気を取られている頃、共和国政府側も、反乱軍河も、人民解放戦線も王党派も、全てのサピア人達が自分達の国を試験場にしている諸大国に、自分達を食い潰している諸外国に、真っ黒な目を向けている。
サピア人達の置かれた状況は戦場でも銃後でも凄惨だった。
戦場では最新鋭兵器を駆使する諸大国の軍隊が、サピアの正規兵や民兵達を害虫のように踏み倒していた。圧倒的テクノロジーの前では、勇気だの気合いだの信念だの、その手のシロモンがハナクソほどの役にも立たない事が証明されている。
難民キャンプは絶望が支配していた。致命的なほどの物資の欠乏。骨まで沁みる寒さ、防ぎようがない疾患と飢餓。難民達は磨り減るように死んでいく。毎日のように、そこかしこで母親が冷たくなった子供を抱きしめながら張り裂けるような慟哭を上げている。神は難聴を患っているのだろう。救いを求める数多の声を聞き入れる気配すら見せないのだから。
各地の都市やインフラは破壊され、国土のあちこちに地雷と不発弾がばら撒かれている一方で、資源地帯や地政学上の要衝では各国の軍隊によって傷一つ付いていない。
生臭いほどの現実。サピアでは戦争の本質が、戦争とは経済活動における政治的手段の一つに過ぎないという本質が、醜悪なまでに表面化している。

酸鼻を極める悲惨な状況も、所詮は大国の利益を目的とした合理的な決定の元に作り上げられているという訳ですね。イヤになるほどの戦争の現実という訳です。手足が千切れ飛び、飢え乾きに悶え死に、暴徒と化した民衆に強姦される・・・ありとあらゆる煉獄のような痛苦が戦争というものであると同時に、経済活動の一部としての戦争もまた真実であるというわけです。
自らの良心に訴えたならばどうしようもなく許し難い事ばかりなのですが、フィクションの外にある我々の今日の現実は確かにこうした世界の構造の元に成り立っている訳です。この作品におけるこれらの描写には全く夢も希望もないのですが、それでもどこかには救いを残しておくのがライトノベルという奴です。そこで用意されたのがクラウゼとアンナリーサの二人という事になるでしょうか。

キャラクターですが

大きく分けて二つの視点で作品は描かれます。レヴェトリア皇国側(クラウゼとアンナリーサ)とヴェストニア共和国です。
レヴェトリア側は主人公であるクラウゼたちですね。アンナリーサが頭でっかちの生意気な小娘だとしたら、クラウゼは人を殺すことにすっかり倦みながらも完全に適応してしまった兵士という役所です。出会ったときの二人の関係を示す部分を引用してみます。

「貴方はサピアで大勢を殺したんでしょう? 空戦で、爆撃で、たくさん殺したんでしょう? ねえ、どんな気分? どんな気持ち? 昂奮した? 後悔した? 楽しかった? 辛かった? コンバット・ハイを経験したことは? PTSDは発症した?」

まるで、人の生き死に救い殺すを紙の上での計算のように「知ろう」とするのがヒロインのアンナリーサです。知識と知性があっても賢明さはないクソ餓鬼と言っていいでしょう。そしてクラウゼはそんなアンナリーサに辛辣な言葉を投げつけます。

「話しても意味はありませんよ。フラウ・ドクトル。分かりっこないですから」
「それは戦争の現実は一般市民には理解できないって言いたいの?」
アンナリーサが不満そうに唇を尖らせると、
「少し違います。処女にセックスの話をしても分かったつもりになるだけで理解はできないのと同じで、殺人も体験した者にしか分からない、という話です。フラウ・ドクトルが私の体験をお聞きになりたいというのは、ポルノ映画を見てセックスした気になりたいと仰っているのと同じです」

二人のファーストコンタクトはこんな感じです。当然幾多の衝突を繰り返していくことになり、同時にアンナリーサは自分の作り出した兵器の生み出した死体の山を通じて戦争の現実を徐々に知っていくことになります。結果としてゲロを吐くほどもがき苦しむ事になる訳ですが、戦争を題材にしている以上は避けて通れない道だったでしょうね。

そして

対するヴェストニア共和国側にはルイ・シャルル・ド・アジャンクールという狂を発した天才科学者と、「狐」への復讐に燃える軍人のエマ・フォンク少尉という二人が中心になって出てきます。

「はっはっは。フォンク研究員はいつでも元気があってよろしい。私の息子も君を見習って山猿の如き活力を発してもらいたいものだ」
「さりげなくバカにすんなっ! 誰が山猿だ!」
「はっはっは。そう褒めるな。いくら天才と言えど美少女からの賛辞は照れるではないか」
「あたしは二十歳だぞ! 少女とか言うな! うああああああああぁあ! 本当に面倒臭ぇ!」

最初こそこんな風に少しばかりコミカルに描かれる二人ですが、話が進み戦争によって失われるものが増えてくると、憎悪と狂気を剥き出しにしていくことになります。つまり・・・アジャンクールもエマも戦争で大切なものを失った人たちなのです。そうして失った部分に生まれた心のひびにはひっそりと狂気が忍び込み、アジャンクールは新兵器で、エマは戦闘機の操縦桿越しにその狂気を解放することになるのです。
クラウゼだけでなく、戦いを知る者たちはどこかで絶望しているのです。しかしそれでも戦争は止まらない。憎しみの連鎖はどこまでも続いていく・・・。アンナリーサとアジャンクールという二人の天才科学者は、その絶望にどっぷりと浸かっていくことになります。そして皮肉なことに決定的な兵器を作り出すことによって泥沼の戦況を決定づけ、戦争を止めようとすらしているのです。
最も効率よく人を殺す兵器を持ってでしか戦争を止める事が出来ない・・・こんな皮肉な事が他にあるでしょうか。間接的にせよ人を殺しすぎた彼らは決して「平和」を望めない。だから「安全」を作り出そうとする・・・現実は苦々しいですね。

総合

サービス込みで星5つですね。
甘ったるい夢に充ち満ちたライトノベルが読みたいときもありますが、シビアな現実を書いておきながらその現実に対してなんらかの楔を打ち込もうともがくようなライトノベルもいいものです。シリアス一辺倒だと疲れますが、この本は程よいところでご都合主義を利用しているので読了感も悪くありません。近未来から現代レベルの兵器群の描写やメインキャラ達の個性的な性格の描写も良く、もっと評価されてもいいんじゃないかと思える一冊でした。というか売れているといいな。
一応物語としてはいいところで決着がついているのでこの一冊で終わったとしても消化不良で悶々とすることもないと思います。ですので「近現代〜未来SF戦争風味・半シリアスライトノベル」に興味がある人は是非手に取ってみて欲しいですね。
イラストは大槍葦人氏です。カラーイラストの柔らかい表現は実に美しいですし、白黒イラストの丁寧で味のある感じも実にいいです。唯一不満に思ったのは、カラーイラストに描かれた「ベッドにしどけなく横たわっているアンナリーサ」でして。この絵でアンナリーサは、柔らかくゆったりとした白のフリル気味ワンピースを腰の上まで大胆にはだけさせ、物憂げな(物問いたげな?)瞳で読者を見上げているという構図なのですが、基本全身白で固めているにも関わらず、何故かぱんつだけは水色のしまぱん、かつ、ひもぱんで、白のソックスは決して脱がないという美少女トリプル役満状態なのです。なんだかよく分かりませんが、凄くズルい絵だと思います。人心を惑わせるのも大概にして欲しいものです。あと一歩で賢者タイム突入でした。

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