とある飛空士への夜想曲(上)

とある飛空士への夜想曲 上 (ガガガ文庫)

とある飛空士への夜想曲 上 (ガガガ文庫)

ストーリー

全ての人々にそれぞれの大切な語られるべき物語がある。
単機敵中翔破一万二千キロを成し遂げたあの”海猫”を最後まで追い詰めた天ッ上の天才パイロットがいたことを覚えているだろうか。彼の名は・千々石武夫(ちぢわたけお)。幼い日々を貧しい最下層の社会の中で生き延び、自らの実力のみで天ッ上のエースパイロットとなった叩き上げの飛空士である。この物語は、その千々石武夫の物語。
両親を亡くし、貧しい者達が集まる炭坑の島・戦艦島。良質な石炭の発掘が見込めたため、開発に開発を繰り返され、狭い島に押しこめるように作業員達が移り住むための施設を増築していった結果、いびつに歪み、いつしかその姿が海上の戦艦のように見えるようになった事からそのように呼ばれた島に幼い千々石はいた。
両親のいない彼には他に生きていく術もなく、ただただ子供には過酷すぎる炭坑夫として日々を過ごしていた千々石。彼の家族と言えば、一匹の人なつこい年老いたビーグル犬だけ。飯を食い、炭坑に潜り、日給をもらい、眠る。その日々の繰り返しの中で彼は漠然と感じていた。
――ここじゃない。
自分の今生きている場所に違和感を覚えながら日々を過ごしていた彼はある日、ある歌声を耳にする。どこか遠くから聞こえてきたその歌声に惹かれるまま、戦艦島の高台まで上った千々石が出会ったのは、夕闇の中で高らかに謳う金色の髪をした少女の姿だった。
少女の名は吉岡ユキ。レヴァームと天ッ上の混血として生まれ、ベスタドと呼ばれる鬼子扱いをされていた彼女だったが、しかしどこまでも朗らかで快活な少女だった。この出会いが千々石の運命を大きく変える。その運命は天ッ上の飛空士としての運命へつながっていた・・・。
過去と現在を辿り、主人公を変えて、あの”海猫作戦”の少し未来を描き出す、飛空士シリーズの最新刊です。

恋歌では

場所も大きく変わりましたし、一作目に登場していたキャラクターの名前が出てくるまでに物語の主要な部分はほとんど語り尽くした感じでしたが、今回は真っ当に飛空士の世界を広げに来たなというのが印象です。個人的には大歓迎という感じですね。
天ッ上という国についても興味がありましたし、時間軸が縦に広がるよりは、距離を広げてもらう方がシリーズファンとしては裾野が広がる感じがして嬉しいです。同じ出来事を多角的に見られるようになることでより深みが増すという楽しみもありますしね。・・・まあ、その辺りを上手くやらないと蛇足と言われてしまうんでしょうけど、私の読む限りでは今のところ非常に上手く作られているなという気がしています。
海猫作戦を天ッ上がどうとらえていたのか、海猫にとって敵であった千々石が何を思ったのか、そうした描写が重なることで二倍楽しいような気がします。前作に余計な物語を加えることなく、千々石というもう一人の魅力的なキャラクターを語ることに成功しているんじゃないでしょうか。

あの

海猫はエースパイロットとらしくない柔らかい印象を持った飛空士でしたが、千々石はそれとは違っています。まさに”大空のサムライ”と呼ばれるのに相応しい人物ではないでしょうか。頑なで誇り高く、それでいて誰よりも空を愛しているという男です。多くを語らないために誤解を多く生み出すものの、決して血の通わない男ではない・・・魅力的な人物です。
しかし、海猫との出会いが彼を大きく変質させます。戦いの空で少しずつ普通の心を失っていった千々石は、いつしか地上への執着を失った空戦に特化した純粋な兵器のようになっていましたが、海猫を取り逃したことでそれがさらに加速しました。

あの一騎打ち以来、海猫に自分の内面を書き換えられてしまった。
――海猫を墜とさねば、この渇きを癒せない。
このそらに刻みつけられた、ただ一度の敗北。

彼は海猫との再戦を――決着を求めて戦場に彼の姿を求めて彷徨い出します。かつて不思議な交流を持った少女との約束を捨て去ろうとしてまで、千々石は海猫の姿を追いかけます。

戦場で生きる

海猫の生き方も千々石の生き方も私の心からは遠く離れすぎた話なので妄想の域を一切出ませんが、少なくともその妄想の範囲内において、彼らのいずれもが魅力的な人物であるのは間違いないと思えます。
どこかしらストイックでどこかしら世捨て人じみている・・・どこか似ていて、どこかが決定的に違う。同じ時代に生まれた二人の飛空士。まるで海猫と対比されるために空に上がったような千々石の物語は、しかし、たっぷりとした空戦の描写と相まって実に読み応えがあります。
国力に劣る天ッ上が短期決戦を求めて大瀑布を渡れば、レヴァームも一騎当千の戦闘機乗りたちを集めて天ッ上を迎撃に向かう。激化していく戦争の狂気は、不器用なかつての少年少女――一人はエースパイロットして、一人は国民的な人気歌手として――を銃弾で引き裂いていきます。
・・・私たち読者はまた悲しい別離を味あわなければならないのでしょうか? それは分かりません。しかし、海を越え空を超えて、囁くように歌われる夜想曲が何を運んでくるのか・・・期待せずにはいられませんね。

総合

星5つ・・・にしてみるかな。
前シリーズとはうって変わって登場キャラクターをきっちりと絞っているので描写の薄さが無く、レヴァームと天ッ上の戦争の行方、エースパイロット千々石の戦い、吉岡ユキと過ごした過去などがたっぷり語られて、グイグイと物語に引き込んでくれます。これは私事ですが、最近物語性が薄めの作品を読むことが多かったせいか、それが余計に心地よく感じました。個人的に群像劇があまり得意ではないというのもあります。
この上巻もまたいいところで終わっているので、続きが楽しみで仕方がありません。前のシリーズに比べて人間関係の醸成に割かれる描写が少ないため、あくまで他の飛空士シリーズとの比較ではありますが「空戦モノ」として楽しむことが出来ます。そうは言ってもヒロインであるユキの存在感が薄いとか、恋物語としての側面が弱いという事でもありません。毎度の事ながら絶妙と言って良いバランスじゃないでしょうか。
レヴィアタンの恋人」の一巻を読んだときは、こんな力のある作家だとは思ってもいなかったなあ・・・なんてしみじみ思い出したりしてしまいました。
イラストは変わらずの森沢晴行氏です。カラー、白黒イラストともに地味すぎず、派手すぎない良い出来だと思います。質実剛健とも言える仕事ぶりが光りますね。

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