テルミー(2)きみをおもうきもち

テルミー 2 きみをおもうきもち (スーパーダッシュ文庫)

テルミー 2 きみをおもうきもち (スーパーダッシュ文庫)

ストーリー

高校の一つのクラスが無くなってしまうという悲惨なバス事故で、残された者は二人だけいた。
一人は事故に遭いながらもただ一人生き残った少女・鬼塚輝美(きづかてるみ)。一人は偶然にも事故を起こしたバスに乗り損ねた少年・灰吹清隆(はいふききよたか)。クラスメイトであり幼馴染みであり、恋人でもあった桐生詩帆という少女を失った清隆は、それを幸運と思うことは決して出来なかった。悲しみと喪失感と同時に「なぜ自分は生きているのか」「なぜ自分は死ななかったのか」という理不尽かつ不合理とも言える罪悪感と虚無感に取り憑かれていた。
しかし、彼のそうした思いはただ一人だけ事故から生還した少女に出会った後、少しずつ変化していくことになる。彼女は何か奇妙な”気配”を連れて歩いていた。「安心していいよ――」と清隆に語りかけた輝美の姿には奇妙なことに、彼にとって大切な少女である詩帆の姿が重なって見えたのだった。二人の少女に共通する部分など無いように見えるのに。
それだけではない。輝美は亡くなったクラスメイトの少年の姿を背負って見える時すらあった。そして、他の少女の姿も。輝美が言うには彼女の中には「亡くなったクラスメイトの残された”想い”」が入り込んでいるのだという・・・。
その告白がどうしても嘘とは思えなかった清隆は、彼女がやろうとしている事の協力を申し出る。それは亡くなったクラスメイト達の心残りを一つ一つかなえていこうとするものだった・・・。
ストーリー紹介は1巻のものから特には変えていません。でも少しだけ彼らは変わりつつあるようです。

とても良い話

なので、実を言うと読み進めるにつれて段々辛くなってきました。
いきなりそんな結論だけ言われてもさっぱりだと思いますので順を追って話しますと、この作品の中に出てくる主要キャラクターたちが余りにも誠実過ぎるからです。失われてしまったクラスメイトの二十四人は残された想いだけで行動している分、人の心の純化した部分だけ抜き出されているのか、どこまでも儚くも真っ直ぐ自分を表現しようとするので人の醜さが欠片もありません。既に訪れている死という完全なる終わりを前にして、つまらない偽りなど発揮する意味がないのでしょう。
確かにそうした死者の想いはとても良く理解できるものです。・・・が、それゆえに我が身を振り返った時、体を持った自分の醜さが辛いのです。「肉体を持っていることの絶望」とでも言えばいいでしょうか・・・。生きている限り人は肉の欲から離れられません。それは業と呼ばれるものかも知れませんし、生きようとする意志とでもいうものだったり、リビドーと表現するものかも知れません。そうした「命そのもの」の泥臭さとでもいうものが、死者たちのようには誠実でい続けることを許さないという事を私に感じさせるのです。
変化して変わり続ける命あるものたちは、既に止まってしまった死者たちのようにセピア色の過去に封じ込められて美しく色あせる事を許されない。それこそが命の素晴らしさであるはずなのですが、この話では死者たちが余りにも誠実なために、私は嫉妬してしまうのです。

この話が

間違っても死を賛美しているものでは無いことは百も承知の上での話です。
自分の言っていることがまるで幼稚でマヌケな意見だという事も承知しているつもりです。しかし、心に引きずられて体を膿み、体に引きずられて心を倦んだ数限りない経験が、死者たちに対する憧れという形で心の奥底から湧き上がってくるのを感じてしまいます。
この物語が癒しに満ちるほど現実の私は自分の腐り落ちた肉体をとただれた心を感じずにはいられなくなってしまうのです。慈愛故の悲嘆に満ちた聖母子像の姿が自分の愛の矮小さを暴いてしまうように。
こうした気持ちは「死への憧れ」とでも言えばいいんでしょうか・・・。全くもって度し難いほどの心の持ち様だと自分でも思います。生きたくとも死んでいく人が溢れている世の中で、今現在死から遠く離れた安全なところで死に憧れる・・・心の持ちようが醜いにも程があります。
そうして、私はこの本から目を離せなくなるのと同じくらい読むことが辛くなっていきます。一度読み始めたら止められないような優しい吸引力があるこの本は、私の秘密を暴くための踏み絵のようでもありました。

・・・

物語の方に話を戻しましょうか。
前作から続けて死者たちの願いを叶え続ける輝美と、彼女を支えようとする清隆が中心にいる物語であることは同じですね。前作との違いと言えば、少しずつ自分が壊れていくのを感じている輝美と、戸惑いと怒りを感じる清隆という所でしょうか。
死者を癒すことが必ずしも自分を癒すことに繋がっていないような印象を与える描写が目立ち、二十四人の心を背負った事に適応しているどころかどこか壊れつつある輝美。変わりつつある日常を受け入れられず、頭で理解している事と心の感じていることにどうしようもない乖離と違和感を感じてやはり適応できない清隆。この二人が、死者のために行動する時だけしっくりとくるという感触を持っているというのがはっきりしてきます。
彼ら二人は自分でどう思っていても、この物語で一番「救われなければならない」そして「まだ少しも救われていない」人間なんでしょう。他の人物を癒すことで自分を癒そうとする。そうした苦闘を物語の最初から今に至るまでずっと続けているように見えます。
・・・そして恐らくですが、作者は物語を綴りながらまさにそうした闘いを続けているのではないでしょうか。彼ら二人が救われる、ハッピーエンドになると宣言しておきながらも、まだそこに至る道は見えていないのだろうと思うのです。
・・・死に満ちた悲劇から始まる物語を紡ぎながらその道を模索し続けていくのはまるで苦行の様です。しかし、だからこそ作品冒頭の宣言があるのでしょう。あれこそは「そこへ至るまで志半ばでこの物語を投げ出すつもりはない」という、作者の不退転の決意を表明したものに違いないと感じました。

総合

なんとも難しいですが、星は5つです。
不埒な私がそんな星とか付けていいのだろうかという気がしないでもないですが、確かに素敵で面白い作品であると思うのです。でもきっと、もっと誠実で美しい、この本の感想を書くのに相応しい人間が他に沢山いるはずだと思うので、この作品の素晴らしさはそうした人の感想を参考にしてもらいたいと思います。悲劇以外の何者でもない若者たちの死に僅かでも憧れを感じるような冒涜的な人間がどうこう言って良い作品とは思えないからです。好きとか嫌いとかの次元の話ですらないような気がします。
イラストは変わらず七草氏です。優しく柔らかい印象をもった絵柄はこの作品にぴったりのような気がします。巻を重ねたせいか、1巻の時よりもずっと強くそれを感じるようになりました。おきにいりは軍手と薔薇の書かれた一枚ですね。無骨で不器用な軍手を付けた手と、そこから差し出される薔薇の花が、まるで作中に出てくるお似合いの二人のようでした。