1÷3≒0.3333……とどう向き合うか

まなめはうすさんが私の書いたエントリ冷静になったら負けかなと思ってるを受けて、賢者の知恵の贈ってくれたので、自分なりに考えてみました。

そういえば、以前ここでラブレター募集したら5通も届いた。もちろん、ラブレター返しをした。はっきりいって頭おかしい文章だったけれど、あれはあれで勢いがあって良かったと思ってる。でも、ラブレターの相手は一人。ウェブに書くときの相手は3人。そこんとこよろしく!

ここで出てくる「3人」というのは、304 Not Modifiedに書いてあります。

3人とは、以下の通り。


1.自分(一人称)
2.相手(二人称)
3.たまたまサイトに辿りついた誰か(三人称)
304 Not Modified(ブログは3人に向かって書け。)

このひとつひとつに私がどう感じているか書いてみようかと思います。

1.自分

これは良く分かりますね。
このブログを読んでくれている人は概ね分かるだろうけど、殆ど私的記録の域を出ていないという感じがこのブログからプンプン匂っていると思います。その辺りについては「まなめはうす」さんからの指摘の元になったエントリに書いてある通りと言っても良いかな。

2.相手

実は「書いたものを読ませたい相手」というのが具体的にいる事がほとんど無いのです。
今回は「まなめはうす」さんが読ませたい相手という事になるんだけども、こういうケースは非常に珍しかったりする。普段のエントリで「誰かに読ませたい」と特定の人物を思い浮かべて書いている事は滅多にないかな。
具体的に読ませたい相手がいる場合には普通にトラックバックとか送っているか、普通にリンクを張っていると思う。今までで言えば・・・えーっと、誰のブログにそういう事やった事あるかな? 多分「Something Orange」さん「魔王14歳の幸福な電波」さん「雲上四季」さん位かなあ? あ、もっといるかな? まあでも数える程しかいないはずです。
ラノベの感想を書いてトラックバックを送る事は多々あるけど、大抵の場合は、

「トラバ経由でアクセス数を少しでも呼び込めれば・・・ヒヒヒヒヒ」

とか、

「俺がトラバもらうと嬉しいから、ひょっとしたら他の感想ブログの人も同じように感じてるかなあ?」

といったなんだか「アクセス数狙いの下衆っぽい感覚」があったりとか、「自分基準で考えた変な優しさ回路」が起動しているんじゃないかなとか思ったり思わなかったり。
・・・実はあんまり良く分かってません。

3.たまたまサイトに辿りついた誰か

これね・・・これ確かに難しいんですわ。というかちょっとお手上げかなと思っちゃったりしているんですね。
私の感じている事を端的に現している文章があるので、ちょっと手助けしてもらっちゃおう。

金に執着するでもなく、地位や名誉を得るために必死になるわけでもなく、なんだかそんな自分も結局は自分のため以外には何もしてないような気がした。
まるで1÷3の0.3333の3の上を、辿るようなものだと思った。三つ割るうちのひとつは自分のために、ひとつは彼女のために、最後のひとつは愛すべき、すべての人々のために。
でもその最後のひとつの一人あたりの比重が、自分や彼女に比べてあまりにも少なすぎてしまうのが嫌になってしまい、彼は自分と彼女の1÷2の愛にすがりついて自分をなぐさめようとした。

――誰かのクラクション

そうなんです。
読んでくれる人一人あたりに分け与えられる優しさが余りに少なくなり過ぎて嫌になってしまうんだよね
以下は例ですが・・・。

  1. ブログを3人に向けて書くとする(自分『一人目』、相手『二人目』、通りすがりの誰か『三人目?』)
  2. 1エントリを書く上での心構えを3分割します(1÷3)。
  3. 出てくる数字がそれぞれ「0.3333……」という終りの無い数字(まあ0.3でいいですかね)。
  4. 自分に0.3、相手に0.3、通りすがりに0.3を割り当てましょう。
  5. その上で、一日に1000のユニークアクセスがあったとしましょう。
  6. 通りすがりさん向けへの0.3をさらに1000で割ろう(0.3÷1000)
  7. 出た答えが「0.0003」
  8. 読者一人あたりへ向けられる意識の量が少なすぎる。少なすぎるよ! どうしたらいいんだ! ウワアアアアン!
  9. くっそー! どうせ優しく出来ないなら、通りすがりに向ける「0.3」を自分のために使って書きたいように書いて、そして野垂れ死にしてやる・・・! うおおおぉ Born to Run!

まあこれはちょっと極論な例なんですが・・・こういう気持ちは少なからずあります。

私は時々

「コメント欄で豹変する」「エントリは過激なのにコメント返しが丁寧」とか言われたりするんですけど、その謎はここにあります。
エントリは上記のような理由で「たまたまサイトに辿りついた誰か」を無視するかのようにキレて書いてしまってますけど、コメントの場合はそうではないですね。
それは、例え通りすがりであっても特定個人である「相手」が存在するからです
そうすると自分に向けるのと同じだけの「0.3」、あるいはそれ以上*1をコメントをくれた人に向ける事が出来ます。だから可能な限り丁寧に、誠実に、相手の事を考えながらコメント返しをしています。

  • 常連さんは常連さんなりに今までのやり取りである程度分かっている気安さを持ちつつも、やっぱり相手の事を考えて、自分に出来るだけの優しさを発揮してコメントを返し。
  • 通りすがりの人は初めてかも知れないけど、もらったコメントから可能な限り相手の考えを読み取って、「どう相対したらいいかな」を考えながらコメントを返す。

それだけの違いなのです。

恐らく

このブログは、アクセス数が増えつづけた場合の話で言えば、それに従って一人あたりの割当が小さくなって行く、通りすがりさん向けへの「0.3」との戦いを宿命づけられています。
結果的にその割当の小さくなって行く「0.3」がどういう結果をもたらすのかは、今の所分かりません。しかし一つだけ確かだろうと思う事は「このブログが短命だろう」という事くらいです。
一人あたりの割当が小さくなっても0.3は0.3。
その僅かな0.3を奪い合い、その僅かな0.3で勘違いをし、その僅かな0.3に踊らされてしまった通りすがりの人達がいつ一つの大きな波になってもおかしくありません。そして今のスタイルを変えない限り、それに私が飲み込まれる時がそう遠くない未来に来るに違いありません。
我を通し続ける行為は、いつか弾の出るロシアンルーレットをやっているようなものでしょう。だから、このブログは短命じゃないかと思っています。

なんとなく

伝わりましたでしょうか? こんな風に今は思ってます。
利口なやり方とは自分でも思えないんで、そのうち変わるかもしれません。でも今はこんな感じですね。

*1:読んでくれた事と、コメントをくれた事両方に対して感謝の念が少なからずあるからです。