過去ログは人を裏切らない

ご存じかと思いますが

私の超個人的な理由から随分長い間ほとんどこのブログは更新されていなかった訳です。
管理人がそんな案配なのでもうなんか色々と台無しな状況になっていまして、あっちこっちで中途半端な状態になっているコンテンツが今現在も散見される訳で、大変恥ずかしい状態になっています。まあだからといって焦って大騒ぎしたところで仕方がないのでまたじっくりと腰を据えてやり直していこうと思っています。

で、何となくですが

およそ一年ぶり以上の久しぶりに、はてなの「アクセス解析」のページに飛んでみました。当然ですが、こんだけほったらかしにしていると散々なことになっているのは間違いないと思っていたので、どんな数字が出ても驚かないつもりでした。
・・・が、正直逆方向でドびっくりしました。
想像より遙かにアクセスしてくれている人がいるんですよね! 一時に比べて激減しましたが相変わらず月に2万を超えるアクセス数がありました・・・! ありがたいことです! ありがたくてもうなんと言っていいやらという感じでした。本の売り上げも当然のようにゼロになっているとか思っていたんですが、こちらも意外な事に月々ちょいではありますが売れていたんです。本当にありがたいことです。

で、ちょっと気になって

調べてみたんですが、常連の方々が生存確認で来ているようなケースを除くと、色々な検索ワードに引っかかってこのブログを見に来てくれた人が多いことに気がつきました。
とらドラ!」や「文学少女」、あるいは「神様のメモ帳」「カンピオーネ!」などなど。・・・それ以外にもマニアックな作品名でこのブログに来てくれている人もいました。「ハーフボイルド・ワンダーガール」とか「小学星のプリンセス」とか・・・まあ色々です(作者の人にはマニアックとか表現しちゃって悪いですが)。
えー、エロくて非常にアレな検索ワードで来ている人も多数いまして、まあ相変わらずだな〜とか思ったりもしましたが。

実際は

単に「放置しておいた割にアクセス数がそれ程落ちなかった」というだけです。
・・・が、それでも自分がかつて積み上げたコンテンツはどれだけ時間が経ってもちゃんとそこにあって、時として人を楽しませたりしているのだというその事実が想像以上に胸に迫りました。
読む気を持ってくれる人――私に興味を持ってくれる人――に対して自分の過去がいつでも開かれているというのが不思議な程嬉しかったのです。

いずれにしても

私が感じたことは表題の通り「過去ログは人を裏切らない」という事でした。
過去ログの中には辛いことも悲しいことも消したくなるような事も色々と残っています。でもそうした事を全てひっくるめて、過去に積み上げた努力や苦労や楽しみの軌跡というのはいつまでもそこにあって、現在を生きる私の足下を仄明るく照らしてくれていたのでした。
いや、本当に馬鹿らしい位に当たり前の事ですが、ブログを残しておいたことでそれが明らかに目に映る形で残ってくれたというのは本当に書き始めた当初は予想もしていなかった事でした。

そうして

ふと・・・何故だか分かりませんが、音信不通になってしまった昔の友人のことを思い出したりしました。
長いこと連絡を取らずに過ごしてきた不義理な私の事などもうすっかり忘れ去られているのは間違いないと思っているのですが、案外・・・そうでもないのかも知れません。私が事あるごとに昔を思い出して、取り戻せないあれやこれを惜しんでいるのと同じように、縁遠くなってしまった彼らも私を思い出してくれているのかも知れません。

そしてもし

例え離れてしまった人たちがそうでなかったとしても「私は思い出したり、懐かしく思ったりしている」そして「昔を見ることの出来る裏窓から、時々顔を出して思い出を嬉しく眺めている」という事を書いておきたかったのです。
・・・いつか懐かしい誰かがこのエントリを覗き込んだときに、今の私が感じている喜びの僅かなりとも伝える事ができたら、とても嬉しく思います。「誰からも忘れ去られてしまうような事なんて、人の中で生きている以上決してないのだ」という私の確信と一緒に。
自分と違い過ぎる人々の中で疲れ果てたとき、誰からも見捨てられたように感じているとき、生きるのが人一倍下手だと思うとき、どうしても足が前に出ないとき、色々あると思います。・・・が、そんな辛いときにこのエントリが、僅かでも前へと踏み出すための希望の足しになったとするならば、それ以上に嬉しいことはありません。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 (ガガガ文庫)

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 (ガガガ文庫)

ストーリー

比企谷八幡(ひきがやはちまん)は先生に目を付けられてしまった。
「高校生活を振り返って」という作文に於いて、平塚先生の主観で判断するとどうやら「反高校生的(反社会的?)」な文章を作り上げてしまったせいらしい。まあ高校生らしくねじくれた文章ではあるのだが、それが八幡の歩んでいる道でもあるため結構な感じで率直に本音がダダ漏れてしまったためである。
つまりそれは「リア充爆発しろ」の一言に集約されるものでありながら、実に理路整然とロンリーでアローンな我が身と我が青春を歌い上げた迷文になってしまったという訳だ。友達がいなくて何が悪い、友達が沢山いていわゆる青春を謳歌していると見なされている連中は悪である、と断じた内容が平塚先生に「NG」であると判断された訳である。八幡に言わせれば「ほっとけ」なのだが。
いずれにしても問題視された八幡は、何故か奉仕活動とやらをしなければならなくなったらしい。ほとんど脅迫に近い形で学校の特別棟と呼ばれるエリアに引きずられてきてしまった八幡がその先で出会ったのは、校内でも有名な一人の美少女が静かに読書をしている静謐な教室だった。

「……そんなところで気持ち悪い唸り声をあげてないで座ったら?」

少女は・・・美少女だが容赦なかった。ついでに言えば彼女――名前は雪ノ下雪乃(ゆきのしたゆきの)というのだが――八幡の事をギリギリ脊椎動物と認めていない位のゴミか何かと認識(つまり無関心)しており、デレる気配がなくついでに言えばツンを超えて刺々しいので八幡に言わせれば「ロボトミー手術でもしておけ」という女である。
が、いずれにしても八幡はこの雪ノ下という女としばらくの間行動をともにしなければならなくなったらしい。そんな八幡と雪ノ下が学校内で出会うアウトサイダー気味の人たちとドロップアウト的な出来事の幾つかを記したのが本書という事になる。
・・・という感じの作品ですね。既に2巻が出ていますし、評判も聞いていたのですが、確かに面白いです。

高二病って

八幡は作中で言われてたりしますが、私は彼の思想というか・・・考え方を熱く支持したくなりますね。
私自身ネットでもリアルでも何故か良く誤解を受けるんですが、「リア充乙」とか「いじめっ子だったっぽい」とか「友達多いよね?」って言われたりするものの、その真逆の人生を現在も突っ走っているので変に共感できてしまうんです。八幡的な立場でもそうですし、雪ノ下的な意味でもそうです。
彼らは孤独に見える自分を”ぼっち”という言葉で端的に表現しますし、それの何が不都合で何が悪いんだと問いますが、同じように感じてしまう部分が私にも大いにあるからです。持っているように見えるからと言って苦しみが少ないわけでもないし、逆に持っていなければ苦しくないという訳でもない。端から見れば恵まれたように見えるあれやこれが、どれだけの苦しみを本人に与えているかなんて他者には永遠に理解できない。
そうして築かれる誤解の山、山、山。いつしかそんな視線に理解の光を期待するのに疲れ果て、私たちは流れから緩やかに取り残されるように”ぼっち”になる。人間嫌いには寂しがり屋が多い・・・と言ったりします。自分から人を嫌っているくせに寂しいの? と言われそうですが、確かにそうなのですよ。望んで何かを嫌う人などいないのです。

なんて

私の怨念っぽいものを交えて感想を書くとこの本も青春の怨念ドロドロストーリーって感じに思えてしまいますが、それはないです。一歩間違えたらシリアス一辺倒になりそうな物語をキャラクターの性格と軽妙で引き出しの多い言葉遣いでポップな作品に仕上げているといえますね。

「程度が違うってどういう意味だ……。独りぽっちにかけては俺も一家言ある。ぼっちマイスターと言われてもいいくらいだ。むしろ、お前程度でぼっちを語るとか片腹痛いよ?」
「何なのかしら……、この悲壮感漂う頼りがいは……」
雪ノ下は驚愕と呆れに満ちた顔で俺を見た。その表情を引き出したことに満足感を覚え、俺は勝ち誇ったように言う。
「人に好かれるくせにぼっちを名乗るとかぼっちの風上にも置けねぇな」
だが、雪ノ下は、ふっとバカにしくさった表情で笑った。
「短絡的な発想ね。脊髄の反射だけで生きているのかしら。人に好かれるということがどういうことか理解している? ――ああ、そういう経験がなかったのよね。こちらの配慮が足りなかったわ。ごめんなさい」
「配慮するなら最後まで配慮しろよ……」
慇懃無礼とでも言うのだろうか。やっぱりとても嫌な奴である

うーん、何か勝負の仕方を徹底的に間違っているというか、病人が「俺の方が症状が重い」というテーマで言い合いをしているというかそんな感じに思えますが、やっぱり独特のリズム感と言葉選びが気持ちよく、楽しく読めますね。内容だけひっぱりだすと暗い会話のはずなんですけど。

路線とすれば

同じガガガ文庫で出版された田中ロミオの「AURA」にあったような”青春の目をそらしたい部分”を扱った作品です。
でも同じように結構エグいことを書いている(各種生々しいエピソードを取りそろえております)割には、あの作品よりもずっとユーモアがありますけどね。あちらが最終的にシリアス方面に着陸点を求めたのに対し、こちらはコメディを交えて書き上げることに腐心しているというのも大きいと思います。

ただ一人黒板の前に立たされて、その周囲を同級生がぐるりと囲み「しゃーざーい、しゃーざーい」と手拍子とともにシュプレヒコールを上げたあの地獄にも似た光景。
……あれは本当にきつかった。後にも先にも学校で泣いたのはあれだけだ。
いや、俺のことはいい。

ぐうっ!

ああ、この人を馬鹿にしくさった視線には覚えがあるわ。確かにクラスの女子がこんな汚物を見るような目つきでときどき俺を見る。あのサッカー部なんかとよくつるんでいる連中のうちの一人なんだろう。
なんだ。じゃあ俺の敵じゃねえか。気を使って損した。
「……このビッチめ」

・・・こんなこと言った事なんて無いない――――あるか。

「かっ、内輪ノリってやつね」
「なによ、その反応。感じ悪。そういうの嫌いなわけ?」
「内輪ノリとか内輪ウケとか嫌いに決まってんだろ。あ、内輪もめは大好きだ。なぜなら俺は内輪にいないからなっ!」
「理由が悲しい上に性格が下衆だ!!」
ほっとけ。

・・・まあこんな感じですか・・・。なんだか昔の私というか今現在の私がどこか傷ついたような気がしますけど、流石にね、三十も後半バリバリなオッサンがこんな事で傷ついたりしないと思うんで幻覚です。幻痛です。気のせいともいいます。
・・・痛くないと言えば痛くなくなる、そんなテクニックを身につけた中年は背中で泣くんですよ?

総合

星5つで確定ですね!
クソ長いタイトルのお陰でどうせ軟派な話に違いないぜー、読む気が起きねえんだよバーカ、とか思ってたら結構しっかりたっぷり話が作られていて実に楽しい本でした。馬鹿は私だったという事ですね!
心の柔らかいところも固いところも満遍なく刺激して、挙げ句の果てに青春的にちょっと気持ちのよいエンディングが用意されているとなればこれはもう買わないとダメでしょう。今ちょうど2巻も出てますしね。読み始めるのに最適と言える時期かも知れません。
この人の前シリーズは全く読まなかったのですが、これだけの作品が書ける人だったんですね・・・ガガガ文庫は良い新人を拾って育ててますな。さすがは大手と言ったところでしょうか。
イラストはぽんかん⑧氏です。久しぶりに良い仕事をする絵師さんに出会ったという感じですね。カラーが綺麗なのはもちろんですが、何より白黒ページの表現力の豊かさを評価したいですね。どうでもいいページとどうでもいいシーンを良く絵にしたなあと思ったりしました。アリですね、はい。
ところで作中で八幡がラノベ作家志望の中二病高校生に「まぁ、大事なのはイラストだから、中身なんてあんまり気にすんなよ」というラノベ作家に対しての破滅的な一言を投げかけています。・・・前作で何かあったんでしょうかね・・・。

感想リンク

とある飛空士への夜想曲(上)

とある飛空士への夜想曲 上 (ガガガ文庫)

とある飛空士への夜想曲 上 (ガガガ文庫)

ストーリー

全ての人々にそれぞれの大切な語られるべき物語がある。
単機敵中翔破一万二千キロを成し遂げたあの”海猫”を最後まで追い詰めた天ッ上の天才パイロットがいたことを覚えているだろうか。彼の名は・千々石武夫(ちぢわたけお)。幼い日々を貧しい最下層の社会の中で生き延び、自らの実力のみで天ッ上のエースパイロットとなった叩き上げの飛空士である。この物語は、その千々石武夫の物語。
両親を亡くし、貧しい者達が集まる炭坑の島・戦艦島。良質な石炭の発掘が見込めたため、開発に開発を繰り返され、狭い島に押しこめるように作業員達が移り住むための施設を増築していった結果、いびつに歪み、いつしかその姿が海上の戦艦のように見えるようになった事からそのように呼ばれた島に幼い千々石はいた。
両親のいない彼には他に生きていく術もなく、ただただ子供には過酷すぎる炭坑夫として日々を過ごしていた千々石。彼の家族と言えば、一匹の人なつこい年老いたビーグル犬だけ。飯を食い、炭坑に潜り、日給をもらい、眠る。その日々の繰り返しの中で彼は漠然と感じていた。
――ここじゃない。
自分の今生きている場所に違和感を覚えながら日々を過ごしていた彼はある日、ある歌声を耳にする。どこか遠くから聞こえてきたその歌声に惹かれるまま、戦艦島の高台まで上った千々石が出会ったのは、夕闇の中で高らかに謳う金色の髪をした少女の姿だった。
少女の名は吉岡ユキ。レヴァームと天ッ上の混血として生まれ、ベスタドと呼ばれる鬼子扱いをされていた彼女だったが、しかしどこまでも朗らかで快活な少女だった。この出会いが千々石の運命を大きく変える。その運命は天ッ上の飛空士としての運命へつながっていた・・・。
過去と現在を辿り、主人公を変えて、あの”海猫作戦”の少し未来を描き出す、飛空士シリーズの最新刊です。

恋歌では

場所も大きく変わりましたし、一作目に登場していたキャラクターの名前が出てくるまでに物語の主要な部分はほとんど語り尽くした感じでしたが、今回は真っ当に飛空士の世界を広げに来たなというのが印象です。個人的には大歓迎という感じですね。
天ッ上という国についても興味がありましたし、時間軸が縦に広がるよりは、距離を広げてもらう方がシリーズファンとしては裾野が広がる感じがして嬉しいです。同じ出来事を多角的に見られるようになることでより深みが増すという楽しみもありますしね。・・・まあ、その辺りを上手くやらないと蛇足と言われてしまうんでしょうけど、私の読む限りでは今のところ非常に上手く作られているなという気がしています。
海猫作戦を天ッ上がどうとらえていたのか、海猫にとって敵であった千々石が何を思ったのか、そうした描写が重なることで二倍楽しいような気がします。前作に余計な物語を加えることなく、千々石というもう一人の魅力的なキャラクターを語ることに成功しているんじゃないでしょうか。

あの

海猫はエースパイロットとらしくない柔らかい印象を持った飛空士でしたが、千々石はそれとは違っています。まさに”大空のサムライ”と呼ばれるのに相応しい人物ではないでしょうか。頑なで誇り高く、それでいて誰よりも空を愛しているという男です。多くを語らないために誤解を多く生み出すものの、決して血の通わない男ではない・・・魅力的な人物です。
しかし、海猫との出会いが彼を大きく変質させます。戦いの空で少しずつ普通の心を失っていった千々石は、いつしか地上への執着を失った空戦に特化した純粋な兵器のようになっていましたが、海猫を取り逃したことでそれがさらに加速しました。

あの一騎打ち以来、海猫に自分の内面を書き換えられてしまった。
――海猫を墜とさねば、この渇きを癒せない。
このそらに刻みつけられた、ただ一度の敗北。

彼は海猫との再戦を――決着を求めて戦場に彼の姿を求めて彷徨い出します。かつて不思議な交流を持った少女との約束を捨て去ろうとしてまで、千々石は海猫の姿を追いかけます。

戦場で生きる

海猫の生き方も千々石の生き方も私の心からは遠く離れすぎた話なので妄想の域を一切出ませんが、少なくともその妄想の範囲内において、彼らのいずれもが魅力的な人物であるのは間違いないと思えます。
どこかしらストイックでどこかしら世捨て人じみている・・・どこか似ていて、どこかが決定的に違う。同じ時代に生まれた二人の飛空士。まるで海猫と対比されるために空に上がったような千々石の物語は、しかし、たっぷりとした空戦の描写と相まって実に読み応えがあります。
国力に劣る天ッ上が短期決戦を求めて大瀑布を渡れば、レヴァームも一騎当千の戦闘機乗りたちを集めて天ッ上を迎撃に向かう。激化していく戦争の狂気は、不器用なかつての少年少女――一人はエースパイロットして、一人は国民的な人気歌手として――を銃弾で引き裂いていきます。
・・・私たち読者はまた悲しい別離を味あわなければならないのでしょうか? それは分かりません。しかし、海を越え空を超えて、囁くように歌われる夜想曲が何を運んでくるのか・・・期待せずにはいられませんね。

総合

星5つ・・・にしてみるかな。
前シリーズとはうって変わって登場キャラクターをきっちりと絞っているので描写の薄さが無く、レヴァームと天ッ上の戦争の行方、エースパイロット千々石の戦い、吉岡ユキと過ごした過去などがたっぷり語られて、グイグイと物語に引き込んでくれます。これは私事ですが、最近物語性が薄めの作品を読むことが多かったせいか、それが余計に心地よく感じました。個人的に群像劇があまり得意ではないというのもあります。
この上巻もまたいいところで終わっているので、続きが楽しみで仕方がありません。前のシリーズに比べて人間関係の醸成に割かれる描写が少ないため、あくまで他の飛空士シリーズとの比較ではありますが「空戦モノ」として楽しむことが出来ます。そうは言ってもヒロインであるユキの存在感が薄いとか、恋物語としての側面が弱いという事でもありません。毎度の事ながら絶妙と言って良いバランスじゃないでしょうか。
レヴィアタンの恋人」の一巻を読んだときは、こんな力のある作家だとは思ってもいなかったなあ・・・なんてしみじみ思い出したりしてしまいました。
イラストは変わらずの森沢晴行氏です。カラー、白黒イラストともに地味すぎず、派手すぎない良い出来だと思います。質実剛健とも言える仕事ぶりが光りますね。

感想リンク

テルミー きみがやろうしている事は

テルミー きみがやろうとしている事は (スーパーダッシュ文庫)

テルミー きみがやろうとしている事は (スーパーダッシュ文庫)

ストーリー

高校の一つのクラスが無くなってしまうという悲惨なバス事故で、残された者は二人だけいた。
一人は事故に遭いながらもただ一人生き残った少女・鬼塚輝美(きづかてるみ)。一人は偶然にも事故を起こしたバスに乗り損ねた少年・灰吹清隆(はいふききよたか)。クラスメイトであり幼馴染みであり、恋人でもあった桐生詩帆という少女を失った清隆は、それを幸運と思うことは決して出来なかった。悲しみと喪失感と同時に「なぜ自分は生きているのか」「なぜ自分は死ななかったのか」という理不尽かつ不合理とも言える罪悪感と虚無感に取り憑かれていた。
しかし、彼のそうした思いはただ一人だけ事故から生還した少女に出会った後、少しずつ変化していくことになる。彼女は何か奇妙な”気配”を連れて歩いていた。「安心していいよ――」と清隆に語りかけた輝美の姿には奇妙なことに、彼にとって大切な少女である詩帆の姿が重なって見えたのだった。二人の少女に共通する部分など無いように見えるのに。
それだけではない。輝美は亡くなったクラスメイトの少年の姿を背負って見える時すらあった。そして、他の少女の姿も。輝美が言うには彼女の中には「亡くなったクラスメイトの残された”想い”」が入り込んでいるのだという・・・。
その告白がどうしても嘘とは思えなかった清隆は、彼女がやろうとしている事の協力を申し出る。それは亡くなったクラスメイト達の心残りを一つ一つかなえていこうとするものだった・・・。
随分前に「超人間・岩村」でデビューした滝川廉治氏が二年間の沈黙の後に出版した作品がこの一冊です。

なんとも

独特な雰囲気を持っている作品ですね。物語の最初に最大の悲劇が用意されていて、残された二人は半ば直接的に、その関係者たちは半ば間接的に生きていた頃の少年少女たちの人生を追体験するような作品になっています。
・・・それがどんなに魅力的なキャラクターであっても、輝美と清隆以外は既に亡くなっているわけで・・・それがキャラクターの味わった喪失を読者に僅かなりとも伝えています。取り返しがつかないいくつもの想い。残された人々がそれを受け止めてどう歩き出すのか――明らかな再生の物語でもあるのですが、そこに派手な演出はありません。それぞれの死者に対しての相応しい鎮魂歌の流れる場面を繋ぎ合わせながら、物語はゆっくりと綴られていくことになります。
物語の書き出しは以下のような文章から始まります。

この物語には、二十六人の高校生の男女が登場する。
当然のようにこの物語は、二十六人の死と青春を描くものになる。

読者は

基本的には清隆という少年の視点で物語を眺めていくことになると思います。
輝美ももちろん主人公の一人なのですが、彼女は余りにも謎めいた少女として描かれるため、感情移入し続ける事は難しいと思えるからです。輝美の中には二十四人の”想い”が宿っているために、彼女の本心がはっきりと見えてこないためです。
既にいなくなってしまったクラスメイト達が一体どんな想いを残していったのかというのが物語に散りばめられた章ごとの謎だとすれば、輝美とはどんな少女で何を求めているのか、というのがストーリー全てを通じての秘密という事になるのでしょうか。読者は一つ一つ解決していく「心の残滓」を追いかけながら、輝美という大きな謎も追いかけることになります。
ただし、一つだけ確かだと思える事があります。それは作品の序盤にはっきりと明示されていることでもあります。

物語は、この生き残った二人の少年少女を中心に進んでいく。
そして必ずハッピーエンドになる。

ストーリーは

1章ごとに一人から二人の亡くなったクラスメイトの想いを追いかけるという丁寧な作りになっています。
現状では登場してきたクラスメイトのそれぞれにしっかりとページを費やして掘り下げているため、読んでいて飽きさせません。それどころか、亡くなってしまったキャラクターたちを丁寧に描写することこそが何よりの弔いであるとでも言うかのように、その生前の姿と残された想いが印象的なシーンとともに作品の中に挿入されているので、派手さはありませんが不思議と心に残ります。
また、清隆という少年も主張しすぎず、隠れすぎずという絶妙のポジショニングで物語を進めていく役に徹する形をとっているため、大事な本筋(死者の物語)を読み進めるのにあたってストレスを感じさせません。それについては謎めいたところのある少女の輝美にも同じ事が言えると思います。
この二人の主張が全面に押し出されていない分、物語の最後でどういう風になるのか興味がありますね。残念ながらこの話はこの一冊で完結という形にはなりませんので、このあと二人の関係がどういう風に変わっていくのか興味が出ました。

総合

うーん・・・悩ましいところですが星5つにしてみようか。
何しろ最近のライトノベルではなかなか見かけなくなってしまったほどの丁寧な作品作りに非常に好感を持ちました。登場人物達に派手さは一切ありませんし、決して愉快痛快な作品でもありません。強いて言えば暗い作品と言い切ってしまってもおかしくないです。
が、読み進めて感じるのは不思議な程に透き通った印象と、嫌みのない読了感です。作品を覆い尽くすほどの大きな悲劇を少しずつ癒していこうとする物語の淡い力を感じるとでも言いましょうか・・・読むと優しい気持ちになる、というのとは何か違うとは思いますが、暖かい何かがこの作品の中に込められているのは間違いないと思います。
イラストは七草氏です。氏の柔らかいタッチの絵柄がこの作品に合っていないとは思いませんが、イラスト自体にはあまり魅力を感じませんでした。この作品で表現されている感情を絵に表現するだけの能力がまだ無いというか・・・まあ私が素人のくせに酷い言いぐさではありますが、そんな感じです。ただし作品を邪魔するような出来ではないので、本全体の印象としては○じゃないでしょうか。

感想リンク

トカゲの王 ーSDC、覚醒ー

トカゲの王 (1) ―SDC、覚醒― (電撃文庫)

トカゲの王 (1) ―SDC、覚醒― (電撃文庫)

ストーリー

五十川石竜子(いかがわとかげ)は目の色を変えることが出来る。
比喩的な意味ではなくて、本当に両目の色を自由自在に変えることが出来た。しかし彼に許されたのはそれだけ。それ以上隠された特別な力は何一つとしてなかった。自分の目の異常な力を知ったことを切っ掛けに、奇妙な宗教にはまり込んで自分を省みなくなった両親、そして理不尽な世の中を憎むだけの無力な少年。そしてそうした環境にある子供にありがちなように、異能の力を求めて妄想を繰り返す——。
けれど、それ以上は何も出来ないまま、世界を変える戦いに身を投じる力と自分を幻想して楽しむだけの小心者――それが五十川石竜子という少年だ。
しかし、不毛地帯と化した家に帰ることを拒んである廃ビルに潜り込んでいた石竜子少年は、前触れ無くいきなり割れて砕け散った窓ガラスを切っ掛けに、自分が何か危険なものに巻き込まれたと感じる。その瞬間から悪夢は怒濤の勢いで石竜子少年を嬲り始めた。
中学生のひねた少年には到底許容できないような暴力の嵐が彼を襲う。斬りつけられ、蹴り飛ばされ、抉り取られ、引き裂かれ、ちぎられる。・・・それでもしかし、少年はどこまでもただの少年だった。瞳の色は変えられる。しかしそれが圧倒的な暴力の前に何の役に立つというのだろうか。みっともなくわめき散らしありとあらゆる体液を垂れ流すような恐怖と屈辱を味わっても、現実は都合の良いようには彼に歩み寄っては来ない。
しかし、彼は変わる。自分を変える。一体何に? 彼がなりたかったSDC――ストーンドラゴンチルドレンに。彼の望む世界を変える力を持った何者かに。
・・・というような感じのちょっと異能は混じっているけど基本的にただの人間が主役の話? な入間人間の新シリーズです。

ブリキ氏の

表紙が全力で読者を騙しに来ている件について
・・・いやそういうの今に始まった話じゃないんで別にびっくりしませんけどね? いやそれにしても久しぶりにえげつないわコレは。だって表紙イラストと口絵カラー、裏表紙のデフォルメされたイラストのほとんどが作品の内容を裏切っているんですもん。
可愛らしさとか色っぽさとかえっちさなんて欠片くらいしかなくて、本編のほとんどは主人公の石竜子少年の中二病的な肥大した自意識を書くことと、血生臭くて痛々しい暴力の描写で埋め尽くされてるんですからして。
例えば中二病的な部分として、この作品の最初の文章を抜き出してみましょうか。

目を開く度、世界は色を塗り替える。
艶やかに流れ、移ろい、形さえ溶かす。
目玉は瞼を下ろし、そして上がる一瞬で別物に転じているようだった。世界が変わっているのか、それとも、俺の目玉が変化しているのか。こと俺にに限り、その疑問は馬鹿馬鹿しさに満ちた幼い問いかけにではなく、真実に行き着くための内なる設問へと至る。

見事に狙い澄ました中二的文章ですよね。普通に書こうと思えば書けるはずなのに狙ってこういう印象を持っている文章を書けるのはやっぱ見事だな〜と思ったりしました。

さらに

加えて血生臭い系の文章を引っ張ってきてみましょう。

自分自身の悲鳴も。痛い痛い! いだぃ! ちぎれる、ちぎれる! なんで俺を!
そうか俺を、勘違いしている。目の色を変えられるだけの能力をもっと大層なものと考えている。だから真っ先に俺を狙うんだ。墓穴を掘った。なんだこのクソ能力。とことん役に立たないじゃない「ぎゃいぃぃあいいいぃあいいいいいぃいい!」グリグリされた。ナイフが、腕の中をぐちゅぎゅちと掻き回した。たす、けて。誰でもいい、助けて! 俺を救ってくれよ!

こんな案配です。というか本編の6割くらいは石竜子少年が遭遇した非日常から来る異常なまでの緊張感と、惨めさとみっともなさをむき出しにした中学生の美意識を180度ひっくり返した世界の描写に費やしています。結果としていわゆるライトノベル的な夢や逆転の快楽とかとはほど遠い作品に仕上がっています。

でもまあ

それが良いと言えばいいんですけどね。
最初の印象をあらゆるキャラクターが裏切っていく感じは結構好きですね。作中にも「禁書」って言葉が出てくるんですが、この作品は入間人間の書いた「禁書シリーズ」って考えると当たらずとも遠からずという気がします。
ただしこの話では主人公にとって都合のいい能力も、可愛らしい味方も、守らなければいけない少女も出てこない。しかし異能の存在は巻き込まれた彼を容赦なく翻弄する・・・。そんな中で「ただの中学生」が今後「どんな中学生」になっていくのか・・・興味が湧かないと言えば嘘になるでしょう。
ヒロインはヒロインの資格を無くし、悪役も悪役としての振る舞いを止めてしまう。石竜子少年も生き残りたいという理由以外の抵抗の理由を持たないというふざけている位に生々しく中学生の物語になっています。
・・・中学生には決して届かない世界の裏側で渦巻いている暴力と狂気の世界を垣間見るために、本書を開いてみるのも、ありなんじゃないでしょうか。

総合

星4つかなあ。
まあリアルにしてもやっぱりライトノベルなので読者としてはそこに不思議な皮肉を感じざるを得ませんが、まあやっぱりライトノベルなんですね。入間人間氏は今一般レーベル(?)でも本を書いていますが、ラノベとのボーダーライン上の作品になっているかなという気がします。普通に中学生とかが読んだら結構胸が痛む作りになっているかも知れませんね。
でもまあ私は何気に楽しめたので次も買いそうです。みーまーシリーズにあった気に入らない言い回し(あの「嘘だけど」ってやつ。脳みそが混乱するんですよねー)も無いし、ああ、別にこの作者の話が何から何まで微妙に気に入らないとかっていう訳でもないんだなーなんて事を再確認しました。
という訳でイラストはブリキ氏ですが、上で書いたとおりイラストから受ける印象と作品の中身は真逆と言っていい程に血糊でヌルヌルしている作品なので、買うか買わないかを決める際にはイラストのことを頭から追い出した方が良いと思います。

感想リンク

僕の妹は漢字が読める

僕の妹は漢字が読める (HJ文庫)

僕の妹は漢字が読める (HJ文庫)

ストーリー

二十三世紀の日本では漢字が使われなくなって久しい。
・・・が、僕の妹は漢字が読めるのだ。妹のイチセ・クロハは二十一世紀あたりに書かれた古典作品なんかを良く読んでいるけど、良く漢字が読めるなあというのが兄である僕、イチセ・ギンの見解である。しかし、問題がないわけじゃない。妹のクロハは現代文学の良さをちっとも理解しようとしない所があるのだ。僕が現代小説を書く作家を目指しているのに、現代の文学をちっとも興味を持ってくれない。

「『いもうと すた☆あ』は今までにない趣向が凝らされていたじゃないか。例えば妹が大昔の決闘方法――野球拳を挑まれて、大ピンチのシーン。逆転の発想で先に全裸になる。意表をつかれたよ」
「なんでいきなり服を脱ぐの? そもそも、野球拳を挑まれる展開が謎だわ。道をあるいていて突然によ? 必然性がないじゃない」

・・・こんな案配で、現代の正当派文学を好きになってくれないのだ。とにかくちょっと困った妹だ。
ところで、ある時僕は色んな幸運が重なって、正当派文学のトップランナーとも言えるオオダイラ先生に会うことの出来る機会が出来た。先生の大ファンである僕はいそいそと先生の住むトウキョウに向かったのだったが、何故か妹もついて来るという・・・。
それだけで済めば良かったのだけれども、先生のところで何故か奇妙な現象が起こって、僕たちはとんでもない所に飛ばされてしまったのだった・・・!
という漢字、じゃなかった感じの話であるところの話題作です。

久しぶりに

ストーリー的に新しいとか思った作品が出てきたというか、馬鹿ここに極まるとでもいいますか?
文盲率が果てしなく低いと思われるこの日本に於いては、ある意味で前衛的とも言える「僕の妹は漢字が読める」というタイトルで発売前から話題になっていましたが、内容の方もかなり変態的に尖った作りになっているんじゃないですかね。まあその辺りの事をちまちま書いても全く伝わらないので、ちょっと一文を抜き出してみますが。

妹のクロハだ。
何を読んでいるんだろう? 本の表紙を確認する。

携帯小説全集十一 ☆→イケメン男子と恋スルアタシ←☆ 原文版』

……うわあ。
相変わらず難しそうな本を読んでるなあ。

え、そういう展開!? ・・・実は私の読む前の想像は、

  1. なんだかんだとパープリンな脳みそを持った可愛いけどダメ系妹とそれを萌え萌えしながら見守る兄の話なのかな!?
  2. それとも幼女ゾーンに分類されるような女の子が難しい文章とかを相手に奮戦するお話で、やっぱりお兄ちゃんは萌え萌えしながら見守りますか!?

くふぅっ! 私もうスタンバイOKよ!? とか思ってページをめくったんですが、蓋を開けてみたら全くの逆、漢字が読めないのは兄の方でした。
うわあ、全然萌えない。俺が漲るのに使ったカロリーを返せ! って気分です。
んで、作品舞台の未来の世界では漢字が使用される文化が消滅していて、世間一般には萌え萌えなアイテムが溢れかえり、総理大臣も二次元美少女のニャモちゃんが就任している時代という変態的な意味で挑戦的なSFだったというオチです。
・・・我々はどこに向かっているんですかね・・・。

とはいいつつも

明治とか大正時代の文豪とか、あるいはそれを遡って江戸やらもっと昔の作家に今の出版物を見せたら、恐らく「なんらかの悪夢に違いない」位は思ってもおかしくないところを考えると、漢字がなくなる未来というのもアリエナイとは言い切れないんでしょうね。かといって・・・。

どうがサイトみてたら ねぼすけ←だめっこ
いきなりちこくは やばっ
こうえんぬけたら
おなのことごっつん☆
きよし「うあっ」
おなのこ「みゃあっ」
わわわ でんぐりがえっておぱんちゅ きらり☆
きらっ きらっ
きらり☆

こういう文体の作品が権威ある文学賞を獲得するのが当たり前という未来には、えー、行きたいような、行きたくないような・・・。まあその前に俺が寿命で死ぬからいいけどさ。

ところで

上記の文章を書いたのは未来の文壇では権威的な作家であるオオダイラ・ガイ氏の新作「きらりん! おぱんちゅ おそらいろ」からの引用です。正直古い感性を持った我々現代人にどうこう言える作風ではないですが、オオダイラ氏はかなりのロリコンです。本編p33ページのイラストでも大体の事は分かりますが、本文でも大概アレです。

「さ、さあ、ミルちゃん。お兄ちゃんと読んでくれたまえ。そしてわたくしをつんつんするんだ。ツンツンした子にお兄ちゃんと呼ばれながらつんつんされる……た、たまらん」
ミルは不愉快そうな顔で先生を見上げていたが、好奇心を刺激されたのか、ボタンを押すようにぽつんと先生のお腹をつついた。
「あ、あ、あ! きた、これはきた! ……漏れちゃう、漏れちゃうおおおぉ!」

この反応、さすがは脳内に20人の義妹を住まわせているだけの事はあると思える傑物です。隔離はちゃんとした方がいいでしょうけどね! ちなみにミルちゃんというのは主人公ギンの妹でちゃんと実在する10歳の毒舌少女です。
・・・毒舌美幼女に調教されたいぃ〜ん! とか今思ったアナタ! オオダイラ先生(あと私)と仲良くなれると思うので、彼に会いに行くときは私も誘って下さい。

それから

何故か話の中盤からタイムスリップという超展開が待っていまして、主人公一行は二十一世紀に飛ばされる現象が起きてしまいます。・・・まああんまりな展開なので一種の冗談かとも思いましたが、そのまま何事もなく話が進んでいくので冗談ではなかったのだというか、ここまで来ればなんでもありなので今さらですね。
ちなみにタイムスリップ先では弥勒院柚(みろくいんゆず)という可愛らしいけども好みの方面で未来的な女の子に出会うことになります。物語はこの辺りから大きく動くことになるんですが、まあそこらへんは一応読んで確認して欲しいところです。
未来世界からやってきた主人公のギンは現代で言うところの萌えを追求する変態なので、現代でああだこうだとやらかす姿は実に痛々しいのです。が、彼は心の底から価値観が違うので恥も外聞もなく全力で変態的です。その姿は恥ずかしいとか清々しさを超えてもう怖いレベルに達していると言っていいでしょう。
まさしく未来人の正しい姿でしょうか。・・・未来って何でもアリですね。よく考えたらあの小説の某みくるちゃんも未来人でしたね。未来は萌え萌えなのかも知れません。

総合

☆よっつ だよ!
ゆで卵の頭とお尻の部分の殻を取って、水道で水洗いするとつるんっと中身が綺麗に出てくる技がありますけど、もうあんな勢いでですね、気温が一定以上になると若い娘に限ってつるんっと全裸になる現象とか起きるとか言うんだったらこの猛暑も許せる! とかここ数日思っている中での読了だったので、そう悪いことは書けないなあ! というのが私の本音ですが、まあ比較的楽しく読んじゃいましたからね。こんなもんでしょう。
作品のラストが実は2巻に続くって閉め方なんですが、まあここまで話題になったことを考えるとHJ文庫編集部のその判断は正しかったと言わざるを得ないですね。儲けが出るって意味でですけどね。まあこれでもうちょっとHJ文庫も潤って、さらに有望な新人作家を発掘しやすくなるといいんじゃないかな〜なんて思います。
イラストは皆村春樹氏です。カラーページは元々ページが少ないのでキャラクター紹介でほとんど埋まってますが、本編内の白黒イラストで背景などの手抜きが少ない印象を受けるのが好印象です。冴えない野郎であるところの主人公のギンを恐れず画面に登場させているのも悪くないですね。次も頑張って欲しいです。

感想リンク

扇風機って節電とか抜きでもかなり良くない? って話

こんなご時世なので

我が家でも適当な扇風機を購入しまして、この夏は全力でグルグル回ってもらってます。とりあえず扇風機に向かって、

「アワワワワ〜」

とかやった後、じわじわと扇風機ってイイな! って思い出したので書いておきますん。

ピンポイントの冷却効果でエアコンを上回るネ!

外でヌルヌルと汗だくになった後に臭い全身をさっさと冷却したい時とか、風呂上がりの火照ったボディをすみやかにクールダウンしたい時に便利ですねってことです。エアコンの生活に慣れきっていると扇風機とか忘れちゃってましたけど、一点集中で涼しくなりたいときにはクーラーの追随を許さない感じがします。股間がムレムレなアナタもパンツの脇から空気を送り込めば、アラ不思議! サラサラな快適なおちんちんが!(ただし部屋の空気は気分的に汚染されます
あと地味に一人だけ涼しくなれるので、同居人がいるときに部屋の温度を下げなくてもイイというのがまたポイント高いです。

「エアコンの温度設定が低すぎて寒い〜!」

というのはオフィスでも良く聞く冷え性の女性の嘆きですが、家でも同じですね。でも扇風機だったら自分だけ涼しくなれるので、我が家では私と奧さんでwin-winな感じです。私は結構なLove肉ボディですが、扇風機さえ回っていれば気温30℃でもイケる、というのがこの夏分かりました。

適当に上向けて回しておくだけで満遍なく冷えますネ!

当たり前っちゃ当たり前なんですけど、エアコンと併用しているときに扇風機を天井に向けて回しておくだけで部屋の上と下での気温差が少なくなるので、室内での地味な

「暑い〜、寒い〜、暑い〜、寒い〜〜〜」

という嘆き&体力消耗を減らすことが出来るような気がしてます。なんかそういう疲労感の蓄積って可能な限り少なくしたくないスか? たかが数千円で楽ができるなら安いモンじゃないでしょうかね。

室内の空気の淀みが減るので、なんかラッキー

一カ所に集中的に空気が溜まったりすることがなくなるので、カビがでたとかアレルゲンが濃いとか防止できそうな気がしますよ。
いや、例年通りだと我が家はカビとの戦いが激しくなっている時期なんですか、今年は空気が動き続けているせいか、カビが少ないような気がしてます。例年だと湿気取りとか置きまくったりしてたんですが*1、それでもC・トリコイデス(黒カビ菌)との戦いでは劣勢を強いられていました。が、今年はイーブンな勝負が続いているような気がするって奧さんが言ってます。
・・・まあ、気のせいかもですが、気のせいでも無いよりはマシかな〜とか思ってますよ?

どうすか?

まあもう買ってる人がほとんどで、

「いまさら扇風機の事とか書かれても意味なんかねえンだ! 時代はもうゴーヤの栽培でどこまで直射日光避けられるかになってンだーッ!」

とか言われると涙が止まりませんが、まあ騙されたと思って扇風機をひとつどうすか?
え? どんな扇風機がいいんだって? はっきり言ってリモコン付きの扇風機とかワンルーム暮らしの人間とか、2DK止まりの暮らしを送っている人間には全然必要ないので(というかこれ以上リモコン増やしてどうするって感じと違いますか?)、安くてまともに動けばなんだって良いんじゃないですかね・・・? という事でこんなんどうですか。

AucSale 30cmリビング扇風機 AMS-3001

AucSale 30cmリビング扇風機 AMS-3001

スペースを取らない縦型のヤツとかも最近はありますけど値段が高いし、やっぱ一点集中のパワー感で古式ゆかしい形の扇風機が一番じゃねえかとも思ってます。変わらないデザインには訳がある、って思うんですけどね。あとは掃除がしやすいように電源とかのコントロールパネル部分の凹凸とかが少なければマジなんでもイイとか思います。ハイ。

あ、

ラノベの感想もまた近いうちアップしますよ? という訳で紳士淑女のみなさん、熱中症を避けて私と同じ青春ナメクジの地下室ライフを満喫しましょう!

*1:除湿器買えって?