魔法科高校の劣等生(1)入学編<上>

魔法科高校の劣等生〈1〉入学編(上) (電撃文庫)

魔法科高校の劣等生〈1〉入学編(上) (電撃文庫)

ストーリー

魔法という存在が科学的に解析され、才能のあるものであれば教育によってその能力を伸ばすことが出来るようになった未来世界。
そこには「魔法師」としての将来を嘱望されるエリートたちが集う教育機関があった。国立魔法大学付属第一高校。通称「魔法科高校」。司波達也(しばたつや)と司波深雪(しばみゆき)はこの春からその「魔法科高校」に通うことになった兄妹である。しかし、兄は補欠の「二科生」、妹は成績優秀者として「一科生」としての入学だった。
ただ、兄に心酔する妹の深雪はその事実が気に入らない。本当に優秀なのはお兄様の方なのに――。そんな憤懣やるかたない気持ちを隠そうともしない妹に対して、兄の達也は苦笑しながら深雪の頭を撫でてやるのだった。そうしてやれば怒っている妹はまあ、満足げな顔をして一時的には大人しくしてくれるのだ。
しかし、単なる兄妹の初登校に過ぎなかったはずの一日はそう大人しく過ぎ去ってはくれなかった。目立ちすぎるほどに美しい外見をした深雪と、その兄でありながら劣等生と嘲笑される立場の達也の周囲は、気がつけば不思議ときな臭い事になっている。劣等生と言われた兄も見る人間が見れば、充分に興味深い存在のようなのだった。それが差別意識とエリート思想に染まった学生たちをさらに刺激することになって――。
という感じのSF作品です。正直読み終わるまで全く知らなかったんですが、Webで大人気の小説なんですって? いずれにしても先入観なしで読めたのは良かったです。

フムン

近未来というか未来を舞台にしたSF魔法物語(?)とでも言えばいいんですかね。
真っ正面から逃げずにSFと魔法をくっつけようとした設定に確かな読み応えがあります。最近ライトノベルでよく見かける量子力学をベースにした粒子の振る舞いの曖昧さを拡大解釈した魔法設定ではないところが実にいいです。現実に存在するフェルミ粒子(代表的には電子とかですかね)やボーズ粒子(有名どころでは……光子=フォトンとか)と言った素粒子の分類に、全く別の粒子のグループをつけ加える形で魔法を「現実に存在する素粒子の作用に裏付けられる物理現象」として規定しています。
「霊子(プシオン)」と「想子(サイオン)」という仮想粒子がそれにあたります。ま、現実でも「ある」と言われているけど観測がされていない粒子って普通にありますので(重力子=グラビトンとかそうですが)、つけ込んだ所というか目の付け所というか、そういう部分の良さを感じました。
・・・まあ私は全然そのテの専門家でもなんでもないどころかマニアですらないので、詳しく書こうとすると大変な事になるので(すでに大変ですが)この辺にしておきます。が、この作品が「魔法」と「科学」を近づける努力をしている事だけは伝わって欲しいと思います。

これ以外にも

CAD(Casting Assistant Device)術式補助演算機という名前のデバイスを登場させて、人間が魔法を効率よく使えるように科学を進歩させている事が作中で説明されます。この辺りはかなり未来の匂いがしますよね。練り込まれたCADに関する設定は、そういうのが好きな人にはなんというか・・・ある種の酩酊感みたいなものを与えてくれそうです。
ただし、物語を盛り上げるのはそうしたアイテムではありません。高度に機械化された未来世界であっても誰もが魔法を使える訳ではなく、魔法の才能のあるなしで人間が区分けされるという「階級社会」が物語を動かす原動力です。つまるところ、比較されるモノが変わっただけで精神的な意味では現代の普通の高校とかと変わらない世界が舞台になっているという事ですね。
主人公たちが通う学校でもその差別ははっきりと存在していて、エリートの「ブルーム」と落ちこぼれの「ウィード」の違いが存在しています。司波達也はウィードとして、深雪はブルームとして魔法学校に通学することで、その差を作品を盛り上げるのに上手く使っています。
これを「未来世界でも変わることのない人間の業を物語に練り込んで楽しみに変えた作品」という風に受け取るべきか、あるいは「純なSFと言うには情報化が中途半端で未来と現代がパッチワークにされた印象が拭えない中途半端な作品」と受け取るかは、個々人の読み手次第という所でしょうか。私の場合は前者ですね。ライトノベル読みとしては無理なく楽しめる設定だと思います。

楽しいです

が、全体的にはちょっとキャラクターの魅力に欠けるところがあるのが気になるな・・・という感じです。
主人公が醒めているせいなのか、作品に出てくる登場人物全般が全体的に醒めている印象があるというか、どこか達観した印象が付きまといます。老成しているというか、自分に与えられた役割を壊そうとしているキャラクターがいないというか・・・クールな印象を受けるキャラクターばかりなのが気になりますね。
いやもちろん、怒りをあらわにしたり喜んだりするキャラクターは出てきますが、こう・・・なんというか若者にありがちな「怒ったり喜んだり憎んだりすることへの疑問」や「定まりきらない自分自身に対する不安」のような、簡単に揺れ動いてしまう心の描写が少ないのがちょっと寂しいですね。差別するのが当たり前、愛することが当たり前、評価するのが当たり前・・・というような境地に誰もが至るには、高校生というのはちょっと早過ぎやしませんか? という感じがするってところですかね。

物語の方は

順調というか・・・安定した楽しさで進んでいきます。
まあ主人公の達也を気に入るかどうかという所はありますが、それしだいですかね。個人的には「ソードアート・オンライン」の主人公を思い出したりしましたが、今後どんな展開をしていくんですかね? あとがきに解説を寄せている川原氏の名前を見た時にそんな事を感じたんですけど、皆さんはどんな風に思いましたか?
あと欠点と言えば、元々Webに連載された小説が元になっているということから、文庫レベルで盛り上がる部分やクライマックスが用意されている訳ではないという所です。この1巻もラストも特に大きく盛り上がる事無く終わってしまいますので、元のWeb版を知らない人間(例えば私)からすると結構拍子抜けな一冊となっています。
まあそれでもつまらないという印象に落ちないところをみると、作品としての出来は充分に評価できるという所でしょうか。

総合

星3つでしょうかね。厳しめの星になっています。
が、理由としては大したことではなく「この本を一冊読み終わっても普通のライトノベルと違って締まらないから」という理由で星一つ減ということにしています。元々がWebページで書かれてなんの制限もない状況で書かれた物語ですから、大幅改稿でもしない限り一冊の間に起承転結が収まりきる訳がないのは当たり前ですかね。そうするとどうしても中途半端な事になりますがこれは仕方がない事なんですけどね。でも一冊としてみたらやっぱり星を減らさざるを得ないというか・・・まあちょっと苦しい判断です。
もっと厳密に考えれば、下巻を読んでから星を付けろと言う事になるんでしょうが、まあこれはこれという事で仕方がないですね。下巻を読んだらまた感想を書くつもりですが、その出来によっては買って損をしない一冊に評価を変えるかも知れません。
イラストは石田可奈氏です。カラーイラスト、白黒イラストともにかなり良いと思いました。特に良いと感じたのは白黒のほうですね。アップで描いたり、引いて描いたり、漫画調のコマ割りが使われていたりと、バリエーションの多い表現が読者を飽きさせないのではないでしょうか。唯一気になることと言えば、作中で自己評価の低い達也がかなりのイケメン&出来過ぎな事くらいでしょうか。お前それで劣等生とか思ってるってお天道様が許さんよ? とか思いました。

さくら荘のペットな彼女(3)

ストーリー

水明芸術大学付属高等学校に通う神田空太は、さくら荘という下宿風の学生寮に住んでいる。キッチン、ダイニング、風呂が共同という古式ゆかしい物件だ。ただしこのさくら荘、学校では悪名高い方で有名だった。とにかく問題児とされる人間だけが集められているからだ。
空太の場合は拾った猫が捨てられないために以前住んでいた寮を追い出されたのだったが、他の連中はひと味違う。芸大付属というだけあって特殊な才能を持った生徒が少数精鋭という感じで入学してくるのだが、それらの一部が揃いもそろって人格破綻者だったのだ。才能は溢れているけど普段の行動に問題(警察にやっかいにならない方向で)がありすぎる生徒が集められているところ――それがさくら荘だった。
奇人変人の集まったさくら荘を出て行くというのが空太の目下の目標だったが、奇妙な隣人たちとの暮らしの中でその目標も少しずつ変わっていく。特に新しくさくら荘に入居してきた椎名ましろとの出会いは空太の毎日に確実に変化を加えていた。
ましろは画家としては国際的に認められている天才であったが、ましろは絵画の道を放り出してまでして漫画家になりたいのだという。それだけでも充分にとんでもない事であるのに、日常生活を送ることにかけてましろは何一つとしてまともに出来ない無能力者であった。
そんな状況の中、空太はなし崩し的にましろの世話を押しつけられることになってしまう・・・。パンツを選ぶことから髪の毛のドライヤーかけまで、十代の少女とは思えない距離感で無自覚に近づいてくるましろにタジタジになりつつも、なんとか学校生活を送る空太だったが、ましろの一心不乱に漫画家を目指す姿に色々と感じるものもあって・・・という感じの青春学園ストーリーの2巻です。
この3巻は読み終えたばかりです。

前作の

2巻のラストからほとんど作中時間が経過しないままの3巻となってますね。
つまり空太が社会人相手のプレゼンに大敗を喫して凹んでいる状態をがっちりと引きずった状態からのスタートということです・・・が、空太が「ちゃんと落ち込む暇も無い」という辺りが流石のさくら荘というところでしょうか。率先して余計な事をやらかす人間が多数いるので、静かに物思いに耽りたくとも出来ないという環境というのは良いような悪いようなという感じです。・・・まあ無駄に落ち込んでいても何一つ良いことがあるわけではないので結果としてはオーライという感じでしょうか。
それでバタバタしている間に気がついたら二学期がスタートする、謎の訪問者がさくら荘を訪れる、という感じで流されているうちに空太の挫折はとりあえず棚上げされた格好になっています。あのシリアスと冷や汗の続きが楽しみたかった人からすれば残念な展開かも知れませんが、どうせまたそういうチャンスも来るでしょうから(打ち切られなければ?)、読者としては楽しみに待つのがよろしいかという所です。

で、本作の

中心となるのが、遙かイギリスからましろを連れ戻しに来たリタ・エインズワースという存在です。
最初の方こそ大人しくしていますが、中盤になって一皮むけて、終盤でまた変身するというなかなかに奥深いキャラクターとなっていまして、彼女が加わることで話が読み応えのあるものになっています。しかもIT穴居人の赤坂龍之介と異様なまでに相性が悪いため、それがまたスパイスとなって物語を盛り上げてくれます。というかこの龍之介というキャラってまともに登場するのって始めてじゃなかったですっけ?
とにかく話が進むにつれて、リタがなんでましろを英国に連れて行こうとしているのか、リタにとってましろとは一体どんな人物なのか、リタの本心がどの辺りにあるのかという部分が書かれることになります。そしてその描写が進むにつれて、今までも多かれ少なかれ言及されてきた「ましろの絵の分野における破壊的とも言える天才性」が残酷な形で表現されていくことになります。
・・・芸術やその他なんでもですが、クリエイティブな仕事に就こうと努力している人が、ましろのような圧倒的存在に出会った時の心境ってどんなものなんですかね。私はクリエイティブだった試しが無いのでイマイチピンと来ないんですが、まあ似たような経験は人生の他の場面でしてきているので分からなくもないです。正面から乗り越えにかかるか、迂回するか、後退するか・・・一つだけ確かなことは、正面から立ち向かう人間しか相手にしてもらえないという事でしょうか。

また

作中では文化祭に向けてさくら荘の面々だけで作品を作って発表することを画策したりしています。
変な才能だけは有り余っている人間が集まっているさくら荘なので、行動する方向さえ決まれば話が早くてしかも全力全開で完成させようとします。それは主人公の空太も例外ではありません。この愚直かつ真面目に出展物を作ろうとする姿は正直・・・なんだか新鮮でした。
その理由は上手いこと言えませんが・・・ライトノベルってこう・・・文化祭の発表とかの事になるとちょっと中途半端になりがちな気がするんですよ。出し物そのものよりその過程で起こるあれやこれが大事になっていたり、斜に構えていて全力にならなかったり、本気は本気でもやっぱり楽しさ優先だったりとか。
・・・まあ学生が学校の文化祭で発表するものですから楽しみとか遊びとかの要素を多分に含んでいたって全くおかしくないんですけどね。というかこの話だって出展物を製作する過程で起こるいろいろを話にしている訳ですから同じっちゃあ同じなんですけど・・・うーん、なんですか、えーっと、多分ですが・・・登場人物の全員がプロっぽく(あるいはもうプロとして)ものを作っていこうとしているところが違うんでしょう。
文化祭に出展すること自体はさくら荘の面々にとって遊びであることは間違いないんですけど、だからこそ何よりも真剣な気がするんです。そうした文化的な作品作りを得意にしている連中にとって、これは楽しみであるのと同時に決して手の抜けない戦いの場面でもある訳です。スポーツでボールに必死に食らいつこうとしている熱血キャラみたいに。
うん、スポ根ならぬ芸術根とか、そんな気配がするところがなんかパワフルで良いとか思ったところでした。

総合

いや、面白かったですよ。星4つ。確実に2巻より好きですね。
お気楽なようでいて何気に夢と希望とかの方面でどろどろしていたり、栄光とか挫折が表裏一体で生々しく書かれていたりするので時々心が痛かったりするんですが、それこそが面白い本なのは間違いないです。これはちょっと悪趣味な表現になってしまいますけど、後半付近のリタの告白がましろの無理解によって滅多打ちにされるところとか、もう堪らなく美味なシーンじゃないでしょうか。
とにかくまあ、色々とあってまた一歩未来に進むことになった空太ですが、ましろの方も少しずつ変わってきているのかも知れません。今後どういう風に変わっていくのかまだ予想もつきませんが、他者の努力を理解出来ない程の天才故に敗北を知らないましろが、人と同じものを欲しがるようになることで一つ成長し、そして結果として一敗地にまみれるような展開をこの先に用意する・・・というのもこの話ならありのような気がします。何気に正当派とも言える成長物語として機能しつつある作品ならではのほろ苦いラストシーンとかも悪くなさそうですね。
イラストは溝口ケージ氏です。なんだかこれはこれで悪くないような気がするようになってきました。お気に入りという所までは行きませんが、本全体で見たら淡泊なイラストが良い毒消しになっているような気がします。サバ味噌にショウガと梅干しを入れるような感じとでも言いますか・・・えー、この表現で言いたいことが伝わるといいんですけど。

エアリエル 〜緋翼は風に踊る〜

エアリエル―緋翼は風に踊る (電撃文庫)

エアリエル―緋翼は風に踊る (電撃文庫)

ストーリー

遠い異国から親の商売の道具としてここ、ストーリア王国に連れてこられた少年がいた。彼の名前はマコト・カシマ。兵器商人を親に持つ我が身の不幸を感じながら、唯一の趣味とも言える写真を撮ることを楽しみにして日々を過ごしていた。
そんな時、偶然反政府勢力”レヴァンテ”の戦闘に巻き込まれたマコトは、そのなかで王国軍に”赤い亡霊”と呼ばれている一騎当千の飛行機乗りに出会うことになるのだが、なんとその飛行機乗りは足の不自由な女の子だった。彼女の名前はミリアム・トラエッタ。事故で足の自由を失いながらも持ち前の意地で空を飛ぶ翼を手にした少女である。
そしてまた、戦闘のどさくさで反政府勢力に身柄を拘束されたマコトは、なんの因果か写真の腕を買われて反政府勢力の広報用の写真を撮ることを求められてしまった。写真に対して感じている魅力と、放っておけばいつか訪れるであろう武器商人の息子としての運命に嫌気がさしていたマコトは、その申し出を受けることにする。そしてそれはミリアムに近づくことを意味していた。
マコトは他で見たことの無いような美しさを持ったミリアムに魅せられるままに、反政府勢力に協力していくことになるのだが・・・。
という感じで始まる空戦と恋の物語の1巻です。随分前に買った一冊で今日の今日まで積んでいました。そうやって私が停滞していた間に3巻まで出ているようです。

うーむ・・・

微妙。というかアウトか?
足の不自由な女の子が空を飛ぶ才能を持っていて、一心に努力した結果誰にも負けないような空戦能力を身につけて、エースパイロットとして活躍するって設定はなかなかだと思いますし、そんな少女と出会うのが裕福な家に生まれたけれども武器商人の身の上と政略結婚の未来を忌避しているカメラ大好き少年というのも面白いと思います。
が、そんな二人が接近していく過程の演出の仕方が凄くアリエナイです
主人公が戦闘に巻き込まれた挙げ句の果てに反政府勢力にさらわれてしまうまではまあよしとしましょう。でもそこから先はいけません・・・! カメラが使えるという理由だけで広報の役に立つと見込まれていきなり活動メンバーの写真を撮ることが許されたり、主人公が反政府勢力の極秘とも言える潜伏先を自由に出入り出来るようになるまでの時間があっという間だったり、果てはこれから先を嘱望されて大切にされているエースパイロットの女の子と即座に同居する事を要求されるとかもう凄くアリエナイ。
なんですかこれ。リアリティどころか大宇宙の神秘なレベルで無理があるにも程があるとか思うんですけどどうですか。主人公もヒロインも17歳ですよ。12,3歳ならまだなんとなく許容できる展開のような気もしますけどねえ・・・。
飼い猫が一匹いる所に新しく子猫を飼おうとする時だってもうちょっと気を使いますよ。だのになんですかこの展開。周囲の人間はどれだけ脳みそに花が咲き誇ってればこういう脳天気炸裂の展開を許容できるんでしょう。ここまで行くと非人間的ですらありますね・・・なんだかさっぱり納得できませんでした。

実はですが

中盤で語られることになるミリアムが飛行機乗りに至る経緯と、反政府勢力に現時点で協力することになっている経緯に関する描写はなかなか悪くないと思ったんですよ。所々「ご都合主義の行きすぎ」になっていると感じる部分があるんですが、まあ許せる内容だったので中盤は読み進めるのが楽でしたね。
そういう部分があったので、序盤の無理な展開が読了後に凄く浮いて感じてしまったという訳です。「ライトノベルとしてもトンデモな展開を多分に含んだ作品なんだな」と思って読み進めていたら、途中からいきなりのリアルっぽさを押し出した作品に方向転換となれば、やっぱり戸惑いますよ。
・・・なんなんですかねこのパッチワーク感。書いている最中で違う作品が顔を出しかけているとでもいいますか。ひょっとして作者の人はもっと違う印象の話を書きたかったのかと違いますかね。それが途中で方向転換してこうなったとか、そんな印象すら受けます。

キャラクターは

突飛なところが無いわけでないですが、まあライトノベルとしては許容範囲内に収まっていると思います。
主人公のマコトがちょっと(いやかなり?)人間離れしている思考形態を持っている関係で、まれに異星人レベルの突飛な行動を取りますが、それを除けばまあありだと思います(ここで私が言っているのは、最初にマコトがミリアムとちゃんと出会った時の話ですけどね・・・読んだ人ならこのシーンがかなりイカレてることに同意してくれるに違いありません)。
特にミリアムの方は悪くないですよ。可愛いとも可愛く無いとも言い切れませんが、何気に人間的な魅力があるように思えました。その分派手さはちょっと無いんですが、それが逆に魅力になっているようにも思います。
あと一人重要人物としてミリアムの友人兼メイドとしてマルという女性が出てくるんですが、こちらもまあまあです。でもミリアムが精神的に最大のピンチに陥っている時にマコトと二人で外出させて、「恋の進展があるかも!?」とかのほほんとした事にしか考えが至らない辺りをみると、凄く頼りにならないというか、ちゃんとミリアムの事見てるんか? とか言いたくなるキャラクターではありますね・・・。困ったもんです。

総合

良い星は付けられません。2つ。
この作者の人が書いた別のシリーズ「彼女は帰国星女」を読んだことがあると記憶していますが(感想は書いてないかな?)、あのシリーズもなんだか微妙だったと記憶しています。続けて2冊目ですから次はよっぽど周囲の評判でも良くない限り買わないでしょうね・・・。
しかしなんなんですかねこの歯車のあってない感じ。折角それなりに面白いと思える食材を用意するところまでは上手くいっているに、料理で台無しにしている感じが凄くします。まあそれって結局の所「設定は作れるけど人間が書けない」という致命的な結論に達してしまいそうな気がするんですが、まあ私はそう感じるというだけですから、他の人がどう感じたかも聞いてみたいですね。
イラストは夕仁氏です。カラーと白黒、なかなかに良い仕事をしているんじゃないでしょうか。ほとんど少女キャラクターばかりを絵にしているという他のライトノベル絵師さんの多くに感じるのと同じ残念さこそある程度ありますが、その辺りも構図や小物の描写で手抜きをしないことで魅力を上手く引き出していると思います。結構好きですね。

さくら荘のペットな彼女(2)

ストーリー

水明芸術大学付属高等学校に通う神田空太は、さくら荘という下宿風の学生寮に住んでいる。キッチン、ダイニング、風呂が共同という古式ゆかしい物件だ。ただしこのさくら荘、学校では悪名高い方で有名だった。とにかく問題児とされる人間だけが集められているからだ。
空太の場合は拾った猫が捨てられないために以前住んでいた寮を追い出されたのだったが、他の連中はひと味違う。芸大付属というだけあって特殊な才能を持った生徒が少数精鋭という感じで入学してくるのだが、それらの一部が揃いもそろって人格破綻者だったのだ。才能は溢れているけど普段の行動に問題(警察にやっかいにならない方向で)がありすぎる生徒が集められているところ――それがさくら荘だった。
奇人変人の集まったさくら荘を出て行くというのが空太の目下の目標だったが、奇妙な隣人たちとの暮らしの中でその目標も少しずつ変わっていく。特に新しくさくら荘に入居してきた椎名ましろとの出会いは空太の毎日に確実に変化を加えていた。
ましろは画家としては国際的に認められている天才であったが、ましろは絵画の道を放り出してまでして漫画家になりたいのだという。それだけでも充分にとんでもない事であるのに、日常生活を送ることにかけてましろは何一つとしてまともに出来ない無能力者であった。
そんな状況の中、空太はなし崩し的にましろの世話を押しつけられることになってしまう・・・。パンツを選ぶことから髪の毛のドライヤーかけまで、十代の少女とは思えない距離感で無自覚に近づいてくるましろにタジタジになりつつも、なんとか学校生活を送る空太だったが、ましろの一心不乱に漫画家を目指す姿に色々と感じるものもあって・・・という感じの青春学園ストーリーの2巻です。
読んだの随分前ですね・・・という訳でちょっと時間を見つけて読み直しましたよ。

一通り読むと

しみじみ大人が機能していないライトノベルだなあ〜と思ったりしますね。
普通の学園ラブコメとかだとそういう事は思わないんですけど、この作品は比較的リアルな生活臭が強いので、よりいっそうまともな大人の不在が奇妙な空白として感じられます。一応さくら荘を監督している学校教師がいることにはいるんですが、基本的に思わせぶりなことを言うだけで生徒を導いたりとかは一切しないし出来ない無能教師なので、ぶっちゃけ威嚇効果があるかどうかもう分からない案山子みたいなもんです。・・・ん、一応責任を取る能力はあるのかしらん? 作中でそういう大人っぷりを発揮しないので全く分かりませんが。
ですのでこのさくら荘では学生の住民同士が刺激しあって大人になっていくというスタイルが基本です。まあ学園ライトノベルとしては当たり前と言えば当たり前ですが、中心になっている舞台が学校ではなくて下宿っていうのがありますので、学園ものよりずっと閉鎖的なコミュニティで彼らは衝突と和解を繰り返していくことになります。

今作では

1巻から顔を見せていた青山七海が本格的に話に参入してくることになります。
まあつまりさくら荘の住人になると言うことですが、基本普通人の七海が参加することでちょっとひきしまったさくら荘が見られることになりますが、その反動もあっちこっちに出てくるわけで、それが今作の一つの見所となっています。意地を張りつつける七海と彼女を危うく思い続ける空太という構図でしょうか。
ただし、この二人はそれぞれの理由があってそうしている訳で、どちらが正しいという決着をつけるような展開はしていきません。あの時の彼と彼女にはそういう振る舞いをするしか出来なかったという、青春のちょっと苦い1ページが残るという正当派とも言える展開をすることになるのです。
そしてもちろん空太一人をとってみても、色々と前に向かって進んでいくために障害とぶつかっていくことになります。ゲームの企画を持ち込むことに決めた空太は、それを成功させるために四苦八苦することになります。しかし、その側には既に画家として十分すぎるほど認められた存在であるましろや、映像クリエイターとしての余りある才能と成功を兼ね備えた上井草美咲という人物がいるわけです。
明らかな好意を示している美咲を拒絶し続けるシナリオライターの卵である三鷹の気持ちが分からなかった空太でしたが、一つの挫折を経験してまた一つ大人になることになります。

しかし・・・

この話、ヒロインの椎名ましろをどの程度気に入れるかで感じ方が凄い変わりそうです。
というかこの話の登場人物全般に言えることなのですが、尖った性能を持っている人物ばかりが出てくる反面、能力値が平均して優れている人物が一人も出てこないのです。ですので気に入らない場合はどこまでも不愉快に感じるようなキャラクターが出てきても不思議はありません。
その典型的なキャラクターがましろですかね。何しろ登場シーンが多くて人格的にも能力的にも問題だらけという問題児です。恐らく可愛い女の子補正がかからなければ単なるイタ過ぎる人間で終わってしまうところです。・・・というか可愛い子補正がかかっても微妙に苦しい感じがするくらいですから・・・。何しろ空太がましろに来た手紙を気にしていたら空太にも手紙を送って、ただ一言

――恋を教えて

とか書いてくる娘です。悪い方向に感じてしまったらマジ怖いですよねこの手紙。
でもまあどうなんですかね。気に入る人が多いんですかね? 個人的にはまあギリギリセーフという所です。まあ・・・元気がある時はこういう疲れる女の子も悪くないですしね。

総合

うーん、サービス込みで星4つ・・・かなあ。
個人的にはメインで出てきているましろや美咲といった女性キャラクターにはあまり魅力を感じない(真面目な時の美咲は除く)んですけど、主人公の空太や七海、やっぱり真面目な時の仁には好感が持てます。なんですかね、自分が凡人だからそんな風に感じるんでしょうか。まあライトノベルの読み過ぎで特殊さを売りにしたキャラクターには慣れきってしまっているというのもありそうです。
とにかくこの2巻では空太と七海の頑張りが光る一冊でした。そしてそれと一緒にましろや美咲が天から与えられたものの大きさが圧倒的な壁としての存在感を持った一冊でもありました。並と思える空太たちが努力すればするほど、自分との差を思い知らされるというジレンマを感じる主人公たちに想像以上の共感を感じることが出来ましたね。自分の弱さと向き合わなければならない空太たちの姿は痛みを感じるものでしたが、それがお気楽なだけのライトノベルと違う魅力となった物語でもありました。
イラストは溝口ケージ氏です。うーん、取り立てて魅力がある訳でもないですが、まあ特に悪くもない感じではありますね。良くも悪くも普通かも知れません。

雨の日のアイリス

雨の日のアイリス (電撃文庫)

雨の日のアイリス (電撃文庫)

ストーリー

この物語の最初のページには以下のような文章が綴られている。

ここにロボットの残骸がある。
その左腕は肩の部分からごっそりとなくなっており、残った右腕も関節があらぬ方向に曲がっている。下半身はちぎれていてそもそも存在せず、腹部からは体内のチューブが臓物のようにだらしなくはみ出ている。
一見するとただのスクラップとしか思えないこのロボットだが、かつては人間の家で働き、主人に愛されて幸せに暮らしていた。
HRM021ーα、登録呼称アイリス・レイン・アンヴレラ。
それがこのロボットの名前である。
この記録は、オーヴァル大学第一ロボティクス研究所のラルフ・シエル実験助手によって、HRM021ーαの精神回路データを再構築したものである。

この部分を読んだだけである種の好みを持っている人であれば全部読みたくなってしまうに違いない作品ですね。一見するとSF色の強そうな作品ですが、実はファンタジー作品だと私は思います。

上で書いたとおり

アイリスと名前のついたロボットを主人公とした話になっています。が、SFとは言えない作りでしょう。
科学的な用語は一部で並んでいたりもするんですが、それは正直記号以上の深い意味を持っていません。精神回路というメカ的な部分は、例えば魂結晶とかソウルキューブとか言い換えても何ら不都合を感じさせない程度の使われ方だからです。そうですね・・・この話に出てくるロボットたちはファンタジー作品に出てくる「魔法で作られた使い魔」のイメージと綺麗に重なる感じです。
人間に忠実で、人間を心から慕い、人に尽くすために生まれて、時には人に愛されて、時には憎まれて、そして時には裏切られる。人に近い姿や心を持っているものもいるけれども、普通は人としては扱われない――そういうキャラクターたちが沢山出てくる話です。

この話は

ウェンディという心優しい人間に仕えていたアイリスというロボットが、過酷な運命に晒されて転落していく様を描いた部分がほとんどです。
その転落は人間だったら決して耐えられない類のものです。人間のような心を持ちながらも決して人間として扱われない彼女は、生きながら体を解体されて捨てられるという虐殺行為にも似た経験をすることになります。アイリスは人間と同じように苦しみも悲しみも感じるというのにこの仕打ち――そうしたどうしようもなくもの悲しさに満ちた体験を経て、人間のように絶望していきます。しかし彼女の煉獄巡りは終わりません。機械故に再利用された彼女は、美しかった体を失ってただの使い捨ての継ぎ接ぎの中古ロボットとして第二の生を生きることになります。
・・・関係ありそうで関係ないんですが、なんだかこの辺りのエピソードを読んでいて「クロノ・トリガー」のロボが砂漠をオアシスに変えるエピソードを思い出しました。パーティ一行から離れて一人長い年月を過ごしていく彼の荒野を行く道のりが、アイリスの辿る道となんとなく重なって見えたのです。もちろん全然違う話ですけどね。

それに

アイリスのようなロボットにはペットの犬や猫に感じる可愛らしさといじらしさを感じます。
私は犬を飼った経験がありまして、あのどこまでも飼い主を慕って疑わない一途さに随分と救われたと思っています。誰にも話せないような愚痴を黙って聞き続けてくれたのも(返事はしてくれませんが)、誰もいない家に帰ってきたときでも尻尾がちぎれそうな程にふって喜んでくれたのも飼い犬でした。絶対に裏切らず、絶対に待っていてくれる・・・その姿は今でも忘れられません。それが忠実かつ愛らしいアイリスや他のロボットたちに重なるのです。
でも、そんな犬でも虐待する人間はいましたし(私の家の近所でも)、何の情もなく捨ててしまう人間もいました。私はアイリスや悲しみを背負うことになったロボットたちに、そうした心ない人を愛してしまったペットの悲しさを見てしまいます。どこまでも許せないのは人間なのに、彼らロボットは人間を恨もうとしたり憎もうとしたりしていないところに、声を上げられない者達の悲哀を見るのです。

総合

星5つ・・・ですかね。
上では色々と悲劇的な書き方をしてしまいましたが、多くのものを失ったアイリスは、しかし、新しく得難い友情を手に入れることになります。リリスという愛らしさのあるロボットと、ボルコフという元軍事用ロボットです。彼らは自分たちが背負った悲しみを吹き消そうとするかのように、過酷な一日の暮らしを終えると、隙をみては深夜の「読書会」を開くのでした。
救いのない現実と、そこに僅かに見える優しい希望のような「読書会」。アイリスたちに待っているのはどんな未来なのか。過酷な現実の中で彼女が最後に選ぼうとしたのが一体何だったのか――今はもうスクラップとなってしまった彼女の記憶から私たちは読み解かなければなりません。
この物語は現実にはありえない舞台を元に書かれているわけですが、そこに流れるロボットたちの心はいまこの現実の中にある何かに絶対通じているのです。この物語から「何かの心を学び取る必要がある」と、読み終えた今、そう思います。書店で見かけたら是非手にとって少しだけ読んでみて下さい。きっと最後まで読みたくなると思います。
イラストはヒラサト氏です。カラーも白黒も非常に良いと思える出来で、構図や背景の作りなども含め十分魅力的な水準に達していると思いました。絵にした部分のチョイスも好ましく感じます。今後もこの調子で頑張って欲しいと思いました。

そうそう

ロボットで思い出しましたが、個人的にロボットで一番好きなのがこの作品です。

ウォーリー [Blu-ray]

ウォーリー [Blu-ray]

主人公のウォーリーのいじらしさと真っ直ぐさはこの本が気に入った人だったら絶対愛おしく感じると思います。

ハロー、ジーニアス(2)

ハロー、ジーニアス〈2〉 (電撃文庫)

ハロー、ジーニアス〈2〉 (電撃文庫)

ストーリー

子供の出生率が著しく落ちた近未来。政府は子供を一カ所に集中させて教育するという方針をとっていた。それと時を同じくして世界中にごく少数ながら出現しだしたジーニアス”と呼ばれる超越的な天才達。そんなどこかおかしくなった世界が舞台の物語。
主人公の竹原高行(たけはらたかゆき)は走り高跳びの選手として陸上部のエースとして活躍してきたが、怪我を理由に二度と飛べない烙印を押されてしまったが、紆余曲折の果てに現在は第二科学部という部活動に在籍している。
彼の現在の部に誘ったのは学園に在学中だった”ジーニアス”である竜王寺八葉(かいりゅうおうじやつは)だった。第二科学部に本格的に所属するようになってからも、高行としては何が出来るのか分からないことだらけだったが、第二科学部に対する奇妙な思い入れから、八葉と行動を共にし続けていた。
そこに水泳部と掛け持ちだったが有屋美月という新しいメンバーが加わり、さて第二科学部として新しい活動に踏み出そうとした矢先、彼らと彼らの周囲を巻き込む大きなトラブルが襲いかかってくることになる。そのトラブルを運んできたのは学園の警察権力とも言える「課外活動統括委員会」であった。
果たして彼らはこの出来事を通じてどんな成長を見せてくれるのだろうか? という近未来世界の青春物語の2巻です。

全体的に

ちょっと大人しいまとまりになっちゃったかな、というのが印象ですね。
1巻ではプライド高く孤高で在ろうとし続けた、主人公であるところの竹原高行の存在がピリッと粒胡椒のようなアクセントになっていましたが、本作では随分と丸くなって良くも悪くも読者である私たちに近い存在になっています。物語の語り部が大きく方向転換したことが結果として本作の刺激が少なくなっている原因だと感じました。
まあその代わりと言っては何ですが、本書ではジーニアスである海竜王寺八葉と、1巻のラストの方で第二科学部に飛び込んできた有屋美月との確執が描かれることになります。ただし1巻の少年同士の決着にあったような正面衝突ではなく、ハリネズミがお互いを傷つけない距離を探り合うための突っつき合いというか、相手の針で突っつかれる程度だったら気にならないという位にお互いがタフになるための位置取りの物語というか、そんな仕上がりになっています。
まあ簡単に言えば詰まるところ1巻と同じく友情物語なんですが、まあ女の子同士の話なために少年同士の話よりも展開がちょっと搦め手なったという所じゃないかと思います。

物語としては

10年前に交わされた契約によって、第二科学部が部室を持っている「部室長屋」からの強制退去を命じられてしまった所から大きく展開することになります。もちろんそこに至るまでに色々と新しい人間関係が描写されたりはします。その辺りについては・・・うーん、なんでしょうかね、1巻で一度綺麗に閉じた物語を再開するために必要な手続きの描写とでも言えばいいんじゃないかと思います。
まあいずれにしてもそうしたトラブルに見舞われたことで、第二科学部の三人は「部室長屋」に根城を持っている他の部活動の連中――混沌としていて弱小だけれどもしつこいアングラな部活に入れ込む学生たち――と協力体制をとって体制側(統括委員会)と戦いを始めることになります。
八葉はジーニアスとして抜きんでた能力の持ち主ですのでそれなりに頼りになるわけですが、他の連中も層かと言えば決してそんなことはなく・・・エクストリーム・トイレ掃除をやる部活だとか、SF喫茶だとか、菓子愛好会などという感じで、情熱はあっても実務能力的に今ひとつパッとしないというのが本当の所です。
そこで八葉は個人レベルでやれる王道的な活動を提案し、現場レベルで集団の維持と統率力を発揮したのが美月という対照的な展開をしていくことになります。知恵と理性の八葉と行動と人望の美月という所でしょうか。

まあ

そうした二人による立ち位置の違い、ジーニアスと普通人の差、コミュニケーション不全などが合わさってまあ色々と起こる訳です。
そこに裏の方からは謎の思惑なんかも見え隠れしてきていよいよきな臭いとなって、じゃあ我らが主人公の高行くんはどうしているかというと、どうも女性二人の橋渡し役に徹することにしたという意外な展開をします。
・・・うーん、そういうキャラクターが嫌いという訳ではないんですが、止めようとしていた学園に残ってまでやろうとしたことがそれなの? と拍子抜けする感じは否めませんね。本編の後半では、

「俺の人生、予定のコースからだいぶ外れちまってるんだぞ。急カーブを切りすぎて、もうどこへ行き着くのか見当もつかない。全部おまえのせいだ。なのに、こんなところで放り出されて堪るかよ。おまえがどこへ行こうと、俺は地の果てまでだってついて行くからな」

・・・弱った八葉を奮い立たせるために言った言葉ですし、八葉にとっては大事な言葉となったんでしょうが、なんか舵取りを任せきって主体性が感じにくくなっている辺りがちょっと、ヤダなあ・・・なんて思ったりしました。
「無駄なプライド」というのは確かに無駄だから「無駄」という言葉が頭についているわけですが、その「無駄なプライド」が捨てられない事をみんな知っているからこそそれを振りかざしているみっともないキャラクターを見ると胸が締め付けられるんじゃないかと思うんですよ。みっともないのにね。とすると、そういう意味では「無駄なプライド」は決して「無駄」ではないわけで、じゃあ無駄なプライドなんて無いんじゃないかという話になって・・・。
何が言いたいんだか分からなくなりましたけど、つまりは1巻の高行の方が好きだったという事ですかね。

総合

まあ楽しんで読めるし、描写も何気に繊細で丁寧です。良くまとまっているんですけど・・・星4つ、いや3つ・・・ですね。
小さくまとまっていくような物語なんてライトノベルでは読みたくないなあというのが正直な気持ちでしょうか。心が折れて丸くなるような体験はみんながしていることですから、それを裏切る太陽のようなキャラクターたちが少年漫画やライトノベルでは愛されたりするわけですよね。
もちろんそういう意味では1巻でも主人公の高行が傷ついていたので「太陽のよう」とは決していかなかった訳です。しかし、その代わりとして新しい夢や希望を全力で提示することに成功したからあの気持ちの良い読了感があったんだと思うんですよ。でも本作ではそれが足りないのではっきりとパッとしませんでしたね。次に期待するしかなさそうですが、なんか高行くんが青春の出がらしみたいに感じるからなあ・・・期待していいのか不安です。
イラストはナイロン氏です。なんでしょう、結構奥行きがあるような絵が多くて好きな感じなんですが、なんかキャラクターが全部同じ表情に見えてしまって・・・すっきりしませんでしたね。次に期待したいところです。あとイラストと全然関係ないけど作者によるあとがきが妙に痛い文章になっちゃってるような気がするのは気のせいでしょうか? 多分気のせいじゃないと思うんだよね・・・。もしこの2巻を手に取ったらちょっと読んでみて欲しい、とか思ったりして。

テルミー(2)きみをおもうきもち

テルミー 2 きみをおもうきもち (スーパーダッシュ文庫)

テルミー 2 きみをおもうきもち (スーパーダッシュ文庫)

ストーリー

高校の一つのクラスが無くなってしまうという悲惨なバス事故で、残された者は二人だけいた。
一人は事故に遭いながらもただ一人生き残った少女・鬼塚輝美(きづかてるみ)。一人は偶然にも事故を起こしたバスに乗り損ねた少年・灰吹清隆(はいふききよたか)。クラスメイトであり幼馴染みであり、恋人でもあった桐生詩帆という少女を失った清隆は、それを幸運と思うことは決して出来なかった。悲しみと喪失感と同時に「なぜ自分は生きているのか」「なぜ自分は死ななかったのか」という理不尽かつ不合理とも言える罪悪感と虚無感に取り憑かれていた。
しかし、彼のそうした思いはただ一人だけ事故から生還した少女に出会った後、少しずつ変化していくことになる。彼女は何か奇妙な”気配”を連れて歩いていた。「安心していいよ――」と清隆に語りかけた輝美の姿には奇妙なことに、彼にとって大切な少女である詩帆の姿が重なって見えたのだった。二人の少女に共通する部分など無いように見えるのに。
それだけではない。輝美は亡くなったクラスメイトの少年の姿を背負って見える時すらあった。そして、他の少女の姿も。輝美が言うには彼女の中には「亡くなったクラスメイトの残された”想い”」が入り込んでいるのだという・・・。
その告白がどうしても嘘とは思えなかった清隆は、彼女がやろうとしている事の協力を申し出る。それは亡くなったクラスメイト達の心残りを一つ一つかなえていこうとするものだった・・・。
ストーリー紹介は1巻のものから特には変えていません。でも少しだけ彼らは変わりつつあるようです。

とても良い話

なので、実を言うと読み進めるにつれて段々辛くなってきました。
いきなりそんな結論だけ言われてもさっぱりだと思いますので順を追って話しますと、この作品の中に出てくる主要キャラクターたちが余りにも誠実過ぎるからです。失われてしまったクラスメイトの二十四人は残された想いだけで行動している分、人の心の純化した部分だけ抜き出されているのか、どこまでも儚くも真っ直ぐ自分を表現しようとするので人の醜さが欠片もありません。既に訪れている死という完全なる終わりを前にして、つまらない偽りなど発揮する意味がないのでしょう。
確かにそうした死者の想いはとても良く理解できるものです。・・・が、それゆえに我が身を振り返った時、体を持った自分の醜さが辛いのです。「肉体を持っていることの絶望」とでも言えばいいでしょうか・・・。生きている限り人は肉の欲から離れられません。それは業と呼ばれるものかも知れませんし、生きようとする意志とでもいうものだったり、リビドーと表現するものかも知れません。そうした「命そのもの」の泥臭さとでもいうものが、死者たちのようには誠実でい続けることを許さないという事を私に感じさせるのです。
変化して変わり続ける命あるものたちは、既に止まってしまった死者たちのようにセピア色の過去に封じ込められて美しく色あせる事を許されない。それこそが命の素晴らしさであるはずなのですが、この話では死者たちが余りにも誠実なために、私は嫉妬してしまうのです。

この話が

間違っても死を賛美しているものでは無いことは百も承知の上での話です。
自分の言っていることがまるで幼稚でマヌケな意見だという事も承知しているつもりです。しかし、心に引きずられて体を膿み、体に引きずられて心を倦んだ数限りない経験が、死者たちに対する憧れという形で心の奥底から湧き上がってくるのを感じてしまいます。
この物語が癒しに満ちるほど現実の私は自分の腐り落ちた肉体をとただれた心を感じずにはいられなくなってしまうのです。慈愛故の悲嘆に満ちた聖母子像の姿が自分の愛の矮小さを暴いてしまうように。
こうした気持ちは「死への憧れ」とでも言えばいいんでしょうか・・・。全くもって度し難いほどの心の持ち様だと自分でも思います。生きたくとも死んでいく人が溢れている世の中で、今現在死から遠く離れた安全なところで死に憧れる・・・心の持ちようが醜いにも程があります。
そうして、私はこの本から目を離せなくなるのと同じくらい読むことが辛くなっていきます。一度読み始めたら止められないような優しい吸引力があるこの本は、私の秘密を暴くための踏み絵のようでもありました。

・・・

物語の方に話を戻しましょうか。
前作から続けて死者たちの願いを叶え続ける輝美と、彼女を支えようとする清隆が中心にいる物語であることは同じですね。前作との違いと言えば、少しずつ自分が壊れていくのを感じている輝美と、戸惑いと怒りを感じる清隆という所でしょうか。
死者を癒すことが必ずしも自分を癒すことに繋がっていないような印象を与える描写が目立ち、二十四人の心を背負った事に適応しているどころかどこか壊れつつある輝美。変わりつつある日常を受け入れられず、頭で理解している事と心の感じていることにどうしようもない乖離と違和感を感じてやはり適応できない清隆。この二人が、死者のために行動する時だけしっくりとくるという感触を持っているというのがはっきりしてきます。
彼ら二人は自分でどう思っていても、この物語で一番「救われなければならない」そして「まだ少しも救われていない」人間なんでしょう。他の人物を癒すことで自分を癒そうとする。そうした苦闘を物語の最初から今に至るまでずっと続けているように見えます。
・・・そして恐らくですが、作者は物語を綴りながらまさにそうした闘いを続けているのではないでしょうか。彼ら二人が救われる、ハッピーエンドになると宣言しておきながらも、まだそこに至る道は見えていないのだろうと思うのです。
・・・死に満ちた悲劇から始まる物語を紡ぎながらその道を模索し続けていくのはまるで苦行の様です。しかし、だからこそ作品冒頭の宣言があるのでしょう。あれこそは「そこへ至るまで志半ばでこの物語を投げ出すつもりはない」という、作者の不退転の決意を表明したものに違いないと感じました。

総合

なんとも難しいですが、星は5つです。
不埒な私がそんな星とか付けていいのだろうかという気がしないでもないですが、確かに素敵で面白い作品であると思うのです。でもきっと、もっと誠実で美しい、この本の感想を書くのに相応しい人間が他に沢山いるはずだと思うので、この作品の素晴らしさはそうした人の感想を参考にしてもらいたいと思います。悲劇以外の何者でもない若者たちの死に僅かでも憧れを感じるような冒涜的な人間がどうこう言って良い作品とは思えないからです。好きとか嫌いとかの次元の話ですらないような気がします。
イラストは変わらず七草氏です。優しく柔らかい印象をもった絵柄はこの作品にぴったりのような気がします。巻を重ねたせいか、1巻の時よりもずっと強くそれを感じるようになりました。おきにいりは軍手と薔薇の書かれた一枚ですね。無骨で不器用な軍手を付けた手と、そこから差し出される薔薇の花が、まるで作中に出てくるお似合いの二人のようでした。