私の半分は王様病で出来ています。

結局、何かというと「キモイ」「ウザイ」と言って済ますひとは、世界のすべてが自分にとって心地よい形であって当然だ、そうでないものはそのように変わるべきだ、と信じて疑わない「王様病」なのではないか? と、ぼくは思うのですが、いかがなものでしょうか。
——Something Orange(「キモイ」「ウザイ」は王様病の症状。)

私の王様的側面

あるある、というかいるね確実に私の中に王様が。
どんなに理屈をこねても「キモイ」ものは「キモイ」、「ウザイ」ものは「ウザイ」のが人間じゃなかろうかと思うし、別にそれを表現する事も人としてそれ程おかしいと個人的には思わないです。それを否定したら「気持ちいい」とか「なんか好き」とか「嬉しい」とかの肯定的な感覚を表現する事まで否定する事になりそうだと思うからですね。
いわゆる一つの「生理的に受け付けない」とか「なんか好き」という奴ですかね。そしてそこで思考停止。
うんとても便利。不快に思うモノをバッサリと一刀両断して終了、好きなモノは好きと言って終了し、そして省みない。脳みそも無駄に使わないので燃費も良い。
でも肯定的な感覚ならともかく、否定的な感覚の場合、そのまま表に出したら争い事になる可能性は高いでしょうね。

これを

私の『king Side』と名付けよう。非合理的で非論理的。右脳。本能。幼稚。傲慢。読者諸氏の中にはこれをツンデレの「ツン」とも言う人もいるかも知れません。

私の浮浪者的側面

不快に思うモノをバッサリと一刀両断して終了してしまう自分の姿勢を傲慢なものとして不快に思う部分もあったりします。
結果、色々と考えを巡らせて、「キモイ」「ウザイ」に理屈をつけて自己正当化を計ろうとしたり、なんとかしてその感情を受け入れられないかと努力しちゃったりする。
何故かと言えば、そうしないと納得出来ない理不尽な事が世の中には多々あるし、その理不尽を飲み込まざるを得ない状況というのが出てくるのはただの矮小な一人の人間として仕方がない。つまり我慢して馬糞を喰わねば生きられんという状態が出てきます。
また、それとは別に自分と全く異なる価値観の在り方を認めるとか、自分の中の「気持ちいい」とか「なんか好き」とか「嬉しい」を上手い事説明して、他の人に分かって欲しいとかっていう場合にもこの側面が発揮されます。

これを

私の『hobo Side』と名付けよう*1。合理的で論理的。左脳。理性。老練。謙虚。読者諸氏の中にはこれをツンデレの「デレ」とも言う人もいるかも知れません。

私の指向としては

ブログのエントリではなるべく『king Side』でいたいなあというのが本音です*2
日常生活では一庶民(このエントリ的には浮浪者)なので、ブログのエントリ書く時くらいは王様でいようかなと。という訳で『king Side』を意識的に前に押し出している所がありますね。そもそも王様に一度も憧れない浮浪者っているかな? まあ分からないけど。
というか、王様に憧れていなかったら傲慢な若者が沢山でてくるラノベなんか私は読んでないでしょうね。それこそフルメタの主人公二人は完全なる王様病罹患者だと思います。

そうだ。なにを迷うことがある? 何百万人死なせようと。どれだけの困難がこれからもあろうと。彼女をこの手につかむためならば、いったい、なにを恐れることがあるのだろうか?

これはフルメタ最新刊での宗介の台詞ですが、これが王様病でなくて何を王様病と言えば良いのか分からないなあとか思います。

でね

ここでいきなり一般化してみるけど、人は普通、私の言う所の『king Side』『hobo Side』の両方を持っているんじゃないかな?
というか、王様病に感染したことがない人間なんているのかな? 発症はしていなくとも感染している/した事がある人ばかりじゃないかな?
でも、もし感染していない/した事がないと信じている人がいて、そして王様病に感染/発症するのが嫌だと表明している人がいたら、私はその人の事を聖者と呼ぼう。
そしてなるべく近づかない事にしよう。私にあまり近づくなと言おう。空気感染させたら悪いからね。

*1:hoboは元々浮浪者とかルンペンという意味。

*2:コメント欄はどっちかと言えば『hobo Side』かな?